(8)――この子たちは、絶対に守りきる。

「――三人とも下がって!!」

 なににも触れられない俺では、三人を遠くへ突き飛ばすこともできない。

 だから俺は咄嗟に〈それ〉と三人の間に入り、せめて盾になれたらと、右手を突き出した。確かこのリストバンドには、防衛機能どころか、反撃を繰り出す魔改造が施されていたはずだ。

 刹那、教室の窓が割れ、稲妻に似た閃光が走り、大きな破裂音を轟かせた。

 あまりの反動の強さに、気がついたら俺の身体は床に転がっていた。思っていた数十倍は殺意が高く、俺はこの状況には不似合いであろう苦笑いを浮かべた。

『ろむ! おい、聞こえるか?! 聞こえてたら返事しろ!』

 リストバンドからアサカゲさんの声がして、俺はゆっくりと上半身を起こしつつ、

「き、聞こえてる……」

と答えた。

 そうして、三人の無事を確認しようと、教室内を見回す。

 どうやら上手く退避できていたらしく、机や椅子の間から、恐る恐る様子を伺っていた。リストバンドから放たれた攻撃の威力は途轍もないものだったが、三人とも怪我はないようである。

 窓の外には〈よくないもの〉の破片が蠢いている。だが、リストバンドによる結界が発動しているようで、教室の中にまでは入って来られないようだ。

『お前、どこに居るか言ってみろ』

 そう言ったアサカゲさんの声は、これまでになく低い。怒っている、なんてことは言うまでもないだろう。

「……三年五組の教室」

『なんでそんなところに――』

「ごめんだけど、先に俺の話を聞いて」

 アサカゲさんの言葉を遮り、俺は言う。

「校内に生徒が残ってたんだ。今のは、〈よくないもの〉の塊がこの子たちを狙ったもので、それをこのリストバンドが守ってくれたんだよ」

『はあ?!』

「俺と同じで、どうしてもアサカゲさんの応援をしたかったみたいだから、あんまり怒らないでくれると嬉しいな」

 リストバンドを介していても、アサカゲさんが様々な言葉を飲み込んだのがわかった。

『そこに居る連中、その教室から出すなよ。そのリストバンドがあれば充分凌げるはずだ。ろむ、お前がそいつらを絶対に守れ』

「おっけー、任された」

 頷き、立ち上がる。

 リストバンドは一片の焦げなく、綺麗な秘色色を保っていた。これがきちんと盾になるよう右手を前に出しつつ、首だけ軽く背後に向けて、俺は言う。

「三人とも、俺の後ろに来れるかな」

 声をかけると、三人は神妙な顔つきで頷き、そろそろと俺の後ろへ移動してきてくれた。

 アサカゲさんが充分凌げると言っていたんだ、これでひとまずは安心である。

 とはいえ、〈よくないもの〉の動きは、わかりやすく活性化していた。ようやく獲物を見つけたと言わんばかりに、こちらから目を離そうとしない。きっと〈あれ〉にとって人間は、多少身が崩れようとも、それ以上の価値があるご馳走なのだ。大きな塊になって凶暴性が増しているのは、嫌な誤算だった。

 この子たちは、絶対に守りきる。

 強く心に決めて、俺は〈よくないもの〉と対峙する。

 大丈夫、大丈夫だ。

 アサカゲさんと先生たちなら、上手くやってくれる。

 現に、先生たちが展開している結界の強度が、ぐんぐんと増していくのがわかる。少しでも校舎から〈よくないもの〉を引き離そうとしてくれているのだ。

 そしてアサカゲさんも、〈よくないもの〉をグラウンドに引き込む為に、用意していたものとは別の霊術を臨時で発動させている気配を感じる。

 全員が全力でことに当たっていることは、わかっている。

 けれど、〈よくないもの〉が想定以上に強力なのか、完全に拮抗状態に陥ってしまった。

 あと一手。

 あと一手あれば、或いは――

「ろむさん」

 と。

 不意に小声で俺を呼んだのは、オオモモくんだった。

 彼は、こんなときに言うことかわからないんですけど、と慎重な前置きをして、言う。

「一昨昨日に言ってた、土地神様なんですけど――」

「あ、最近噂の土地神様の話?」

 オオモモくんの言葉に被さるようにして、タカハシさんが言った。

 オオモモくんがなにか言いかけたのも気になるが、それよりも、タカハシさんの発言に引っかかりを感じた。

「土地神の話、噂になってるの?」

 俺の問いかけに、タカハシさんはこくこくと首を縦に振る。

「なってるなってる。今一番ホットな噂話だよ。学校の中のどんよりした空気をなんとかしてくれるかもって、みんな探してるよ」

 体調が悪くて人混みを避けているうちに、そこまで大きな話になっていたのか。

 これは間違いなくオオモモくん発信の噂だろうが、僅か数日で一年生にまで伝播させているとは、部活の連絡網、恐るべし。

「特徴は、着物を着てて、背が高くて、髪を後ろでひとつに結ってる――だったよね」

 噂を思い出しながら、サトウさんは、だけどさあ、と続ける。

「全然違うけど、なんか、ろむ君っぽいなって思わなかった?」

「君もそう思った?!」

 オオモモくんの喰いつきっぷりに、この場に居る全員が肩をびくつかせた。

 しかし、三人を驚かせた自覚のないらしいオオモモくんは、興奮気味に話を続ける。

「見た目の特徴は、精々背の高さくらいしか該当しないし、背だって実際のところ、その高さなのかわからないけど――でも、僕も土地神様の話を聞いたときから、ろむさんっぽいなって思ってたんだ」

 そういえば、オオモモくんに土地神の特徴を伝えたとき、なにやら含みのある態度を取っていたことを思い出す。まさか土地神本人が土地神を探しているなんて頓痴気な状況とは思わず、言葉を濁してくれたのだろうけれど。まさかまさかの大正解だったってわけだ。

「あー、でも確かに、ろむ君って幽霊としては特殊そうっていう話は、前からあったもんね」

「部活の先輩たちも、この学校にはよく幽霊が居るけど、あれだけ長い間成仏してない幽霊は初めて視たって言ってたなあ」

「なにより、ろむ君って優しいし」

「困ってる人を見つけては、助けてあげてるよね」

 タカハシさんとサトウさんの発言を証拠とするように、オオモモくんは俺を見て、言う。

「ろむさん、貴方が土地神様なんじゃないですか?」

 しかしその口調は、決して問い詰めるようなものではなく。

 むしろ、そうであればと願うような、柔らかいものだった。

「……うん、そうみたい。この間、ある人から『土地神はあなただ』って、言われたよ」

 右手は〈よくないもの〉からの攻撃を防ぐ為に窓側に向けつつ、半身を捩って極力三人のほうを向いて、俺は言う。

「だけどご覧の通り、今の俺には力も記憶もない。なんにもできない残り滓でしかないんだ」

 ごめんね、と謝ることしかできない。

 せめて、今この場ではアサカゲさんの力でもって三人を守るから、と言おうとした矢先。

「ねえ、ろむ君。あたしはそういうの詳しくないんだけど、神様って信じる人が居ると、パワーアップする系?」

「え? う、うん、アサカゲさんはそう言ってたけど……」

 タカハシさんからの唐突な質問に、俺は困惑気味に答えた。

 きっとそれだけ、意図が読めない、と俺の顔に書いてあったのだろう。タカハシさんは苦笑して、じゃあさ、と言う。

「言葉にしてみたら良くない?」

「そうか、言霊だ! 全然有りな方法ですよ、ろむさんっ!」

 オオモモくんは突破口を見つけたと言わんばかりに、目を輝かせている。

「今、生徒の間では土地神様の噂で持ち切りで、きっと僕らのように一部では、それがろむさんじゃないかって思われてるはず。その宙ぶらりんになった土地神様への信仰がろむさんに向けば、力を取り戻せるんじゃないですか?!」

「それは――」

 それで駄目だったら、どうしよう。

 そんな不安が脳裏に過る。

 だけど。

 だけど神様は、人間の願いや信仰によって生まれるのだ。

 たとえ今の俺に力も記憶もなくても、俺を信じてくれる人が居るのなら、その想いに応えたいと、強く思う。

 もうずっと長いこと、諦めて逃げ続けてきたんだ。

 過去に向き合え。

 未来に足を向けろ。

「――俺が!」

 声が、唇が、震える。

 それを嘲笑うかのように、或いは、元気づけるように、教室内に風が吹き込む。

「俺が、この土地の神様だって、信じてくれますか?!」

 それは己を鼓舞するようでもあり、虚勢を張っただけでもあるような叫びになった。

 果たして。

「信じます!」

「信じる!」

「信じるよ!」

 三者三様、しかしピッタリ重なった答えに、涙が出そうになった。

 目頭が熱くなり、次第に、身体の内側から温かい力が漲ってきた。

 俺は、この温もりの正体を知っている。

 言霊、信仰、願望。

 それらが土地神の――いや、俺の、原動力なのだ。

 長いこと枯渇していたそれが、急激に身体を満たして行くのがわかる。

 これが、オオモモくんの言うところの『宙ぶらりんになった土地神様への信仰』か。三人が声に出して俺を信じてくれたことで、滞留していた力に流れが加わったのだ。

 ああ、嬉しい。嬉しいなあ。

 そんな俺の感情に呼応するように、一陣の風が吹く。

 それは陽気に教室内をくるくると巡る、心地の良いものだった。

 今なら、この風こそが、アサカゲさんたちの言っていた『土地神の加護』だったのだと、理解できる。すべてを失っても、これだけは土地に巡らせ続けていたんだ。

 風は、ごうごうと唸りを上げていく。

 三人に向かって左手を翳すと、風は動きを変え、彼らを守るように吹き始めた。

 これで大丈夫だ。

「ありがとう」

 俺は三人に微笑みかけて、それから、外に足を向けた。

 とにもかくにも、〈これ〉をなんとかしなければ。

 そう思うのに、意思とは裏腹に、意識がぼやけていく。

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