(6)――「なんだろうなあ、この漠然とした不安感は……」

「よう、戻ったぜ」

 小脇に小さな箱を抱えたアサカゲさんは、そう言いながら音楽室に入ってきたかと思うと、しゃがみ込んで早速箱からなにやら取り出し始めた。

 素人には解読できない文字が書き連ねられている護符。小皿。塩。

「結界でも張るの?」

 素人丸出しの俺の推測に、アサカゲさんは、まあそんなところだ、と言う。

「この音楽室に限り、結城先輩の姿を霊感ゼロの一般人でも視えるようにする。あと、結城先輩がピアノに触れるようにする」

「そんなことが、できるの?」

 咄嗟にそう尋ねたのは、ユウキさんだった。

「そんなことができるから、オレはこの学校に呼ばれたんだよ」

 アサカゲさんはユウキさんのほうを見ず、手を動かしながら淡々と答えた。

 それは、ユウキさんがアサカゲさんのことを警戒しているのと同じくらい、アサカゲさんの側も壁を作っているような物言いだった。

 視える者と、視えない者。

 霊能力者と、そうでない者。

 それらが生んだ溝が、そのままこの場にも展開されているようで、空気がピリついているのがわかる。

「ち、ちなみにさ」

 その重苦しさに耐えきれず、俺は明るい口調を意識して、言う。

「件のオオモモくんって、普段も全然幽霊とか視えない感じなの?」

 ユウキさんは視界の端にアサカゲさんを捉え、警戒しつつも、

「オオモモくん、今二年生ですけど、これまで校内で一度も霊を視たことないみたいですよ」

と、答えてくれた。

「えっ、一度も?! それはそれですごいね」

 それまで一度も幽霊の類を視たことのない人でも、この学校の敷地内に限り、視えるようになる人は少なくない。この土地の影響を受けてなお、入学してから丸一年以上経っても視たことがないというのは、非常に珍しい。もしかしたら、オオモモくんは邪気を払う家系の人間かなにかなのかもしれない。

「アサカゲさん、大丈夫そう?」

 果たして、生まれてこのかた幽霊を視たことのないような人間が、場をここだけに区切るとはいえ、視えるようになるのだろうか。

 そういった意味合いを含めた俺の問いかけに、アサカゲさんは、はん、と一笑に付す。

「できるに決まってんだろ。舐めんじゃねえよ」

 そうして、作った盛り塩を設置し、各所に護符を貼り始めながら、アサカゲさんは言う。

「確かにオレは、この手の結界を張ること自体は苦手だけど」

「えっ」

「今回のは萩森先生直伝で、そう複雑な術じゃねえから大丈夫だ。組み上げた霊術にオレの霊力を流し込めば、これは問題なく発動する。自慢じゃねえが、オレはオレの霊力の高さには自信があるんだ。霊感がなかろうが、邪気払いの力を持っていようが、オレの霊力をもってすれば、確実に視えるようになるぜ」

「それはある意味、レベルを上げて物理で殴るようなものなんじゃないかしら……」

 自信満々のアサカゲさんに、ユウキさんは思わずそんな突っ込みを入れた。

 俺にはその言葉の意味がいまいち理解できなかったが、恐らく、アサカゲさんが力技で押し通そうとしていることにどん引きしているのだろう。それは俺も同意である。

 とはいえ、アサカゲさんの内包している霊力が莫大なのは、言うまでもない。

 それは俺もユウキさんも、幽霊としての直感で理解している。

 一言で言えば、アサカゲさんという存在は、とても眩しいのだ。

 それは清浄さであり、神聖さであり、純真さであり――安心できると同時に畏れを抱くような霊力を、彼女は有している。

 それほど圧倒的な力を、護符を介してひとつの方向に定めて出力するのだから、失敗するほうが難しい。そう思わされるほどだ。

 だから、アサカゲさんの組む霊術の成功率も、アサカゲさん自身への信頼も満点のはず、なのだけれど。

「それなのに、なんだろうなあ、この漠然とした不安感は……」

「ああ? なんか言ったか、ろむ?」

「ううん、なんでもないよ!」

 ぽろっと出てしまった本音に、本気で凄まれた。どうしてこの子は、怒りの感情表現だけ異常に上手いのか。

「よっし、準備完了!」

 俺たちと話をしつつも着々と作業を進めていたアサカゲさんは、手についた埃を払うように両手を叩きながら、そう言った。

「霊術の仕様上、オレは近くで霊力を流し込み続けなきゃなんねえが、それは隣の音楽準備室でやってるから、なにかあればそっちに来てくれ。大桃先輩にも、オレのほうから事情は説明しておくから、明日の放課後、結城先輩はいつも通りここに居てくれるだけで良い。なにか質問は?」

「……大桃くんに、どこまで話すつもり?」

 淡々と説明をし終えたアサカゲさんにそう問われ、ユウキさんは僅かに震えた声で、そう訊き返した。

「勿論、全部話すさ。そうでないと、大桃先輩はいつまで経っても結城先輩を解放できないだろうからな。あんたの足元に巻きついてんのは、それほどに強い執着なんだ。本人に納得してもらって、現実を受け入れてもらわねえと、今度はそれに飲み込まれて悪霊化したあんたが、人を殺して呪いを拡散させることにもなりかねない」

 ルールを破るからには、リスクがついて回るもんだ。

 そう言って、アサカゲさんは口を閉じた。

 あくまで、ユウキさんの意志を尊重するつもりなのだろう。

 少しでも彼女が現世に遺恨を残さないように。

 本来逝くべきところへ、迷いなく逝けるように。

「……わかったわ。だけど、あんまり強い言葉を使わないでくれるかしら」

「それは……努力する」

 ここで『できる』と断言できない辺り、アサカゲさんの実直さが窺えるようだった。ユウキさんもオレと同じことを考えたのか、小さな笑みを零したかと思うと、大丈夫よ、と言う。

「大桃くん、半年くらい前までは運動部に居た人だから、少し凄んだくらいじゃ怯まないと思うわよ。とはいえ、穏便に頼むわね、朝陰さん」

 そうして微笑んだユウキさんは、俺の勘違いでなければ、アサカゲさんへの警戒をかなり緩めてくれたように見えた。

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