第2話 延長線上の哀歌

(1)――「い、今のが音楽室の幽霊……?」

 旧校舎の音楽室に居る幽霊の様子を見てきて欲しい。

 それが先生からお願いされた案件の、端的な内容だった。

 先生の見立てでは、死後二週間ほどが経過しているらしい幽霊が、旧校舎の音楽室に居着き、ピアノを弾いているのだそうだ。

 発見が遅れたのは、先生の巡回頻度の低下と、結界が経年劣化により感知機能が落ちていた為。それに加え、先生のほうから接触を図ろうにも、警戒心が強いらしく、先生の姿を見るや否や、即座に逃げられてしまっているのだそうだ。

 本来、死者の魂は即座に死神が回収にやって来る。

 しかし今回はどういうわけか、回収が遅れているらしい。恐らくなにか事情があるのだろうが、そのまま放置しておくと悪霊と化し、この学校の生徒に危害を加える可能性が浮上してくる。最悪の事態に陥る前に、一度状況を正確に把握する為、人を変えて様子見してみたい、とのことだった。

 ただ、ハギノモリ先生で逃げられてしまったということは、恐らくアサカゲさんが行っても同様の結果となることは、容易に想像できる。

「そこで、ろむ――お前の出番ってわけか」

 時刻は午後五時を少し過ぎた頃。

 俺たちは第二特別教室棟を離れ、旧校舎前の茂みに身を潜めていた。件の幽霊がピアノを弾き始めたら音楽室に突入しようという作戦の下、待機中である。

「先生は直接そう言ってこなかったけど、文脈的に考えて、たぶんそうだよねえ」

 言って、俺は肩を竦める。

 恐らく先生は、俺がひとまず無害であることを確認した上で、言外に俺に動くよう促したのだと思う。

「幽霊同士なら、少なくとも除霊の心配はないもんね」

 なんだったら俺という存在は、幽霊としてもかなり希薄らしい。悪霊に消されることはあっても、俺が悪霊化する可能性は極めて低い――と、二人から太鼓判を押されたほどである。むしろ、よく消滅せず自我を保っていられるものだと、褒められたくらいだ。

「それもあるけど」

 アサカゲさんはじっと俺を見つめ、続ける。

「ろむって、なんかこう、警戒心をいだかせねえじゃんか」

「じゃんかって言われても……。それは見た目の問題? それとも、性格?」

 同意を求められたところで、そういう自覚がない身としては、こう言う他ない。

「七対三で、見た目かな。たれ目で泣きぼくろがあるからか?」

「人畜無害っぽい見た目ってこと?」

 首を傾げるアサカゲさんに、俺も同じ動作を返した。

 幽霊は鏡に映らない。そのルールは俺にも例外なく適用されており、こうして意識が覚醒してからも、俺は一度も自分の姿というものを見たことがなかった。

「ろむの見た目は……」

 近くに落ちていた小枝を手に取ると、アサカゲさんは地面にざりざりと絵を描き始めた。どうやら、俺の似顔絵を描いてくれるらしい。

「半透明だけど、髪の色は黒だな。髪型は、前髪が長ェくらいで、基本的にゆるふわっつうか、校内をうろついていても違和感ない程度には、最近の髪型だと思う。瞳も黒っぽいな。んで、左目の目尻のほうにほくろがひとつあって……」

 アサカゲさんは俺を見て容姿を言語化しながら、地面に描画していく。

「服装は学ラン。他の生徒と似たりよったりに着崩してる。靴紐の色は……膝から下が透けきってて足元が見えねえから、わかんねえな」

 この高校では、内履きの靴紐の色で学年を分けている。赤、青、緑の三色でローテーションが組まれていて、今年の一年生は赤色だ。アサカゲさんも例に漏れず、赤い紐を通した内履きを履いている。

「例えばの話、俺に足の先まであったら、靴紐は何色だと思う?」

「んー、緑かな」

 顎に手を当てて考えつつ、アサカゲさんは言う。

「リストバンドもそうだけど、ろむってなんか、緑系の色が似合う気がする」

「ふうん。でも緑だと、今年は三年生の色だね。俺、アサカゲさんの先輩になれちゃうわけだ」

「享年が何歳かは知らねえけど、生まれた年って言うなら、どっちにしろ、ろむのほうが年上だろ」

「確かに」

「少なくとも、一年生には見えねえかな。オレのクラスの連中より大人っぽい感じはする」

 そんな話をしながら、アサカゲさんは地面の絵に足を描き足した。

 かなり簡略化され三頭身ほどで描かれた『俺』は、なるほど確かに、どこにでも居そうな大人しい少年に見える。……というか、アサカゲさんの絵柄、思いの外かわいいな。

「……ふふ」

「なに笑ってんだよ」

 思わず溢れた声に、アサカゲさんは鋭い眼差しを向けてきた。絵を笑われたと思ったのかもしれないと思い、俺は、違うちがう、と慌てて右手を横に振って、その憶測を否定する。

「すごく嬉しいなって思ったんだよ」

 幽霊は、そこに存在する証を残せない。

 だからこうして、俺の姿を視認し、その姿を描き留めてくれたという事実が、自分でも驚くほどに心の深いところをくすぐったのだ。

「オレの絵で喜ぶのなんて、お前と爺さんくらいだよ」

 そう言って、アサカゲさんはどこか寂しげに笑った。

「爺さんって?」

「オレが世話になってるお寺の住職。小学生のときとか、見たままを描いただけなのに、学校の先生から『嘘を描いたら駄目なんですよ』って怒られた絵を、爺さんだけは『良く描けてる』って褒めてくれたんだ」

 そう話すアサカゲさんの柔らかい表情を見ていると、そのお爺さんが彼女にとってどれだけ太く強い心の支えになっているかが、わかるようだった。少なくとも一人、アサカゲさんの理解者が側に居てくれているのだと思うと、不思議と身体の内側が陽だまりに晒されたような気分になった。

「ねえアサカゲさん、もしよかったら、今度、俺にも描いた絵を見せてくれない?」

 見たままを描いたら『嘘』と言われたアサカゲさんの見る世界。

 きっと彼女の目には、人間も幽霊も同等に視えているのだろう。幼ければ、なおのこと区別もつかなかったに違いない。けれど事実、この世ならざるものは存在していて、アサカゲさんはなにも嘘など言っていない。視えない人のほうが多いというだけで、それら全てが無いものとして語られるのは不愉快だった。

 彼女の理解者に幽霊が一人追加されたところで、意味なんてないのかもしれない。それでもきっと、少ないよりかはマシなはずだ。

「はあ? ガキんときの絵ってことか?」

「そうそう。お爺さん、保管してくれてるんじゃないの?」

「えええ……」

 怪訝そうな顔を隠そうともしないアサカゲさんだったが、渋々頷き、

「探してみるけど、あんま期待すんなよ」

と言った。

「うん、楽しみにしてるね」

 だから期待すんなって、とアサカゲさんが苦笑気味に返した、そのときだった。

 一人の男子生徒が現れた。

 彼は隠れる様子もなく、足取りに迷いもない。

 それがあまりに自然なものだったから、俺たちは二人揃って見逃しかけ、いけない、と二度見した頃には、その男子生徒は旧校舎の奥へと姿を消していた。

「い、今のが音楽室の幽霊……?」

「……いや、あれは生きてる人間だ」

 動揺する俺に、アサカゲさんは至極冷静に言う。

「取り憑かれてる感じはしなかったな。ただ、妙な気配を纏ってるのは、ちょっと気になる」

「そういうの、なにで判断してるの?」

「んー? 気配? 直感?」

「なんてアバウトな……」

「言葉じゃ説明しにくいんだよ。爺さんから見分けかたを教わったときは、魂がどうとか生気がどうとか言ってた気がするけど」

「アサカゲさんは理論より感覚派ってことだね」

「そんなことより、ろむ。さっきのやつのあとを追ってくれ」

「え? でも取り憑かれてもないなら、あの子は関係ないんじゃ――」

「妙な気配を纏ってる、とは言っただろ」

 俺の言葉を遮り、アサカゲさんは言う。

「それにあいつ、指先で太ももをとことこ弾いてただろ? あれ、ピアノの指使いっぽかった。旧校舎の幽霊でなくとも、関係者と見て間違いねえだろ」

 あの短時間のうちに、とても良く見澄ましていたものだ。

 素直に感心しつつ、俺は立ち上がる。

「わかった。行ってくる」

「なにかあれば、リストバンドで連絡してくれ。頼んだぞ」

「おっけー」

 なにがなんだかわからないまま、俺はするりと茂みを抜け出し、旧校舎に入った。

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