批評など

白石多江

リリー氏の「Cheers」を読んで

 昭和初期の小説家・エッセイストである堀辰雄の作品に、「七つの手紙」というものがあります。これは、堀がその女友達にあてた手紙、という体裁で書かれていて、実際に書かれた手紙を筆写したものなのか、手紙調で書かれた純粋なエッセイなのか、少し迷うところです。実際、こうした作風の作品は日本には多くはなく、堀辰雄独自のものだったと言っても良いのかもしれません。堀は自ら雑誌を主催してもいましたから、ある程度文体や内容面などで自由にすることも出来たのでしょう。


 この文章は、現代詩フォーラムという投稿詩のサイトにおいて、わたしがリリー氏の作品「Cheers」につけたコメントをほぼそのまま転載したものです。若干の補筆などはしていますが、ぶっつけ本番のような、即興のような勢いで書かれたコメントとなっています。未だ批評になりきれていない、批評というには不十分な文章ですが、文体で遊んでみたいという思いもあり、そのまま投稿するものです。


 なお、タイトルには「Cheers」と書きましたが、この作品は現在タイトルが変更されており、「Cheers ①『冬日和』」となっています。リリー氏自身のコメントによると、連作にするかどうかを迷った末に、連作として書いていくことを決めた、としています。この作品についての氏自身のコメントも興味深く、「創作…というのは、やはり勇気、精神の…いえ、魂の!躍動、霊の奮い立つ力…、学識の無い私には上手く言えませんが、そういったものを感じます。」と書かれています。


リリー作「Cheers ①『冬日和』」

https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=381990&filter=usr&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D12619


 なお、このコメントを転載するにあたっては、事前にリリー氏の許諾を得ております。


 ***


 生活感あふれる詩というのは、過去のフォーラムでは嫌われていました。というより、軽く見られていました。今でもそうですね。わたしはそういう潮流(生活詩の否定)にたいしては、嫌悪感を抱くものなのです。「それはポエムにすぎない。行分けされた散文にすぎない」というのが彼らの言い分なのですね。


 わたしがネット詩の世界から離れていた時期に、「ライトバース」などというものが(「ポエム」という呼称で良いじゃない、とわたしは思うのですが)流行ったらしいのですが、そうした軽めの詩を否定して、文学の世界というものが成り立つのか、ということを思います。


 リリーさんの詩は生活や個人的な感慨・経験に根差したであろう詩が多く、当初わたしはそれを上手く作られたフィクションなのか? とも思いました。小説家の感受性、想像力のみによる創作(ここでは悪い意味の)にすぎないのではないのか、と。ですが、リリーさんの詩を読み進めていくうちに(これは、ひだかたけしさんから勧められたことによるところが大きいです)、リリーさんの詩は生活を元にして想像力を発揮しているのではなく、創造性を元にしてむしろ生活や過去の体験などを文章のうちに引き寄せているものなのだ、と思うようになりました。


 先日までリリーさんが書かれていた一連の猫の詩を、リリーさんの挑戦心の表れだとは思いつつ、わたし自身はあまり評価できずにいたのですが(戦後詩以降、物語詩という確固たる一分野が出来たことは思っています。ですが、それは長い詩を書いて対価を得なければならない、という詩人のひっ迫した事情から生じたものです。飯島耕一氏のように、劇詩などに活路を見出した詩人などもいます。哲学的な表現に活路を求めて、名付けるならば知識詩とでも呼べるような詩を書いた人たちもいます。フェミニズムの流れで、いかにしてオリジナルかつあからさまな性的な表現をするか、といったことに憑かれた女性詩人などもいます)。


 話を元に戻すと、リリーさんが書かれた一連の猫の詩のなかで、リリーさんは叙述と抒情との違いということを意識することになったのではないかと思っています。意識的にそれがなされたか、そうでなかったかは存じません。「あれは小説だ」という安易な批評もしません。ただ、詩表現というものが多様化した時代にあって、一つの挑戦的な試みであったろうとは思うのです(過去にそうした挑戦をした有名な詩人は大勢いますから、新しいものとは考えていません)。それは、リリーさん自身が本当には何を表現したいのか、ということを意識的に考える転機になったものと思われます。


 この詩(「Cheers 」)のなかでは、料理という女性的な話題を骨子にしつつ(料理というのが未だに女性のものであるということを残念にも思い、それに反してプロの料理人の世界では圧倒的に男性の調理人が占めているということを、さらに残念に思うのですが)、それはあくまでもガジェットとしてのそれであり、本質は料理を取り巻く女性の世界(人間の世界、であればなお良いです)の人間模様・交感(交流)を描くものとなっている。そこに詩の本質があると思うのです。


 戦後の女性詩はおもに個人主義に徹するものでしたが、語られているのはそういうことではなく、詩的な感情、他人を求めるということへの追求であるのでしょう。


 最後の連の、


  「いい天気なって良かったなあ!」

   今年は菜種梅雨の入りが早く

   近頃 ぐずついた空模様だったのだ


 という部分を、旧来の詩表現に凝り固まった読者は、あるいは「脈絡がない」「ポエジーが一貫していない」として批判するかもしれません。ですが、この部分に、この詩がメタ的な表現(構成)になっていることの表れを見るものです。それまで書かれていた料理の話題は、詩表現が引き出したものであって単なる叙述ではない、という気もちにさせられるのです。言うなれば、詩というものが何であるのか、ということが書き進められるうちに問い直されている。


 過去のどんな詩に似ているのかと言えば、ランボーの「酔いどれ船」が最後の最後になって転調する(詩的雰囲気ががらりと変わる)、そうした類似性を見ることも出来るでしょう。多分、この唐突な話題の切り替えは、詩を書いていくなかで無意識かつ自然に行われたものだと思うのですが、この部分があって、この詩は詩たりえている、と言うことが出来るでしょう。


 過去の詩人のなかには、名辞の羅列に逃げる詩人たちもいましたが、この詩のなかに出てくる名辞たちは、それが苦しんで選ばれたものではなく、楽しんで選ばれたものである、という点で読者にとってはしっくりと来るものです。このサイトのなかで誰の詩に似ているかと言えば、ふるる氏の詩に似ていますが、リリーさんの書き方はより抒情詩に近いものでしょう。


 多分、このような詩作法を続けていけば、より意識的に生活していかない限り、いずれは行き詰るだろうと思うのですが、先日の猫の詩のような(自己主張ではなく)表現としての表現を求めるというリリーさんの姿勢、また豊かな感受性を思えば、こうした路線で書き続けられる・成功する、という道もあると思います。読者はわたしのようなひねた見方をするのではなく、自然にこの詩の面白さを楽しめば良いと思います。ただ、繰り返して読まれるのに値する詩だ、という思いで長文の感想を寄せさせていただきました。長々と書いてしまい、失礼いたしました。


 ***


 以上が、現代詩フォーラムに書いたコメントですが、あらかじめ作品を読んでいなければ何も伝わらない、という点において、これは批評には達していない文章だと、わたしは考えています。


 また、読みの甘さをも感じています。コメントで書いたように、わたしはこの詩の最終連を「転調である」と考えたのですが、実際にはこの詩が小説的に書き進められたにすぎず、最終連は時間的な経過によって自然に表れたものだ、と見ることも出来ます。ですが、わたし自身はこの詩が詩作品である、という理由をもって、この最終連を「転調したもの」と思いたいです。そこに、作者の心理的な変化の現れが、やはりあるのです。


 あるいは、この構成は詩的未成熟によって偶然誕生したものなのかもしれません。ですが、詩の成熟とは? わたしは、若い詩人が書いた詩や、詩を書き始めて間もない詩人が書いた詩などを、一律に批判するものではありません。リリー氏の詩には、すでに一種の成熟がありますが、必ずしも舌足らずな表現が「詩でないこと」を決めるわけではないのです。


 2024年3月現在、リリー氏は現代詩フォーラム上に300編ほどの詩を発表されています。わたしは、インターネット文学は変化していくことこそがその醍醐味だと思っているので、今後氏の詩風がどう変化するのか、あるいはわたしの望まないような変化をするのか、といったことをも含めて、見守りたいと思うものなのです。それゆえにこそ、このような一瞬のコメントの重要性は増してくるものと(僭越ながら)感じているものです。


 余談になりますが、以前、男友達に「今は古今の時代だから」と言って、「いや、むしろ新古今の時代だろう」と返されたのですが、今やインターネット文学の時流は一気に室町時代の総合芸術などの風貌を帯びるものとなってきています。室町時代の文学(文芸)と言えば、そこにはコミュニケーションの過剰や断絶があり、わたし自身は不勉強ゆえに、未だ一貫した見識を持ち得ていないのですが、インターネット上の作家が、作品を発表する場の充実によって、創作活動によって糧を得られるようになったのは純粋に良いことでしょう。願わくば、それが詩作者の世界にも訪れることを望むものです。


 以上、末筆ながら。


 追記です。上のコメントで「猫の詩」と書いたのは、リリー氏の連作「のらねこ物語」29編を差しています。現代詩フォーラムでは、投稿した作品を文書グループとしてまとめることが出来るのですが、これらの作品は作者が未完だと言っていることもあり(「Cheers ②『鏡像』のコメント欄を参照していただければと思います)、詩群へのリンクは張れませんが、興味を持たれた読者の方は、この挑戦的な詩群を読まれてみても良いのではないかと思います。……ただ、わたし自身は作者の最初の投稿作である「瀬戸内レモン」に、作者の神髄と決意が表れているのではないか、と思うものです。


リリー(現代詩フォーラム)

https://po-m.com/forum/myframe.php?hid=12619


リリー「瀬戸内レモン」

https://po-m.com/forum/myframe.php?hid=12619

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