3/9 H橋
*H橋
交差点までやってきた時、Lはそのまままっすぐ歩道を渡ろうか、それとも右か左に折れようかと迷った。右に行けばS市の中央駅に、左に行けばH橋のほうへと行くことが出来る。H橋のたもとには、Lがよく通った喫茶店や図書館があった。そこからさらに北へと進んでいくと、Lが卒業した高校がある。
迷った末に、Lは西に向かっていくことに決める。川の流れが見たかった。
雪はその時小止みになって、すでにLの顔や衣服に触れることはなくなっていた。これくらいの雪や雨であれば、Sの街に住んでいる人々は傘をささない。もちろん、その時のLも傘をさしてはいなかった。ふと、肌に触れる冷たさがなくなったのをLは感じる。「冷たさ」=「死」ではない。当然、「冷たさ」=「生」でもなかった。
生きたい、という欲望を喪失したのだろうか。それとも、自分は何らかの快楽に憑かれているのだろうか、とLは考える。ハンドバッグの中からMP3プレイヤーを取り出して、Lはそのスイッチを入れ、ボタンを押した。ミレーヌ・ファルメールの"Dégénération"が流れて来る。Lは、自分に酔っているようではなかった。
H橋の下を流れる川の流れは、雪解け水で増水しているように思えた。
(ここへ飛び込めば、わたしは死ねるかもしれない)
と、Lは考える。そして、鞄の中から二冊の本を取り出した。「聖書」と「死の家の記録」。このごろずっと読んでいた本だ。それぞれを右手と左手に乗せて、重さを計ってみる。どちらも同じくらいに感じられた。
もし、右手のほうが重ければ上流から、左手のほうが重ければ下流から、Lは川の中へと飛び込むつもりだった。しかし、どちらも同じような重さに思える。このタイミングで神様が気まぐれを起こしたわけでもないだろうに、とLは考える。判断力の低下? そんなことも思った。
(死は必然だ)
と、Lは改めて思う。3月の初旬。まだ冬の気配が残る季節。誰もが花粉症の話題を口にし始める季節。その季節の中で、女が一人自殺したことなど、ニュースにもならないだろう。テレビやラジオはそれぞれの理由で忙しい。つまり、それぞれの社員の糊口をしのぐために。Lの人生にはそれは関係なかった。
友人がいないわけではない。しかし、Lの死を悲しむ者はそうはいないだろう。「やっぱり」と、皆は思うに違いない。今の時代、「神経衰弱」などという言葉は流行らない。今では、「神経症」という名前に変わっている。それは明確に精神疾患の一つで、狂気のことではない。Lが狂女かと言えば、そういうわけでもなかった。
ただ、Lはなんとなく生きていて、なんとなく死んだのだと、友人の誰もが思うだろう。だから、涙は流さないかもしれない。それで良い、とLは思う。今までそのために振る舞ってきてもいた。彼女にとっては、「死」が必然だと皆に思ってもらえるために。
LINEやメールでは「死」という言葉は使わない。自殺を連想させるような言葉も。ただ、Lは彼女が生きてはいないかのように振る舞うのが得意だった。何も感じず、何にも動じず、何にも感動しない、そういう冷たい女性に見せかけるのがうまかった。しかし、友人の皆がLは明るい女だと思っていた。
その不思議さを、Lは今になって考え直している。
(わたしにとって、死は必然だ)
だから、皆は驚かないのだ。というのが、彼女にとっての答えだった。あるいは、死後の彼女の感情を先取りして、死後には何が起こっても何も感じない、そういう予測が彼女の今の心理を決定しているのかもしれなかった。
しかし、ここは自分の死に場所ではない、とLは思う。この高さからでは死ねない、と思うからではない。入水後にもすぐに浮かび上がってきてしまう、と思うからでもない。誰かが彼女のことを発見してしまう、と思うからでもない。ただ、ここは自分の死に場所ではないような気がした。そして、誰かが止めに入ってしまうかもしれない。いかにこの街の人々が無関心に慣れているからといって、自殺志願者を放っておくことはないだろう……
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