地雷✕爆弾〜地雷系女子こはくちゃんと極右系健男児江田島くん〜
@hamazyuntaitei
第1話
「ねえ、本当に仕事なの?」
午後十一時の数分を回ったところで、耐えきれなかったこはくは、憤怒で震える指を抑えながらメッセージを送った。
送り主は、健児という本命の彼氏で、現在都内の某社において営業の仕事をしている。
「今日は遅くなる」と言い残して出ていった彼であったが、この残業時間は尋常ではなく、こはくは我慢の限界が今になって来たのである。
ゆえに送信したが、その後数秒、瞬時に既読のマークが付いた。しかし、返信は数分経っても送られてこない。
(やっぱりそうだ……!)
考えられるのは一つ。浮気である。偏愛の男が、他のあばずれと姦通した、という耐え難い事実を想像し、激情で彼女の腫れた涙袋は張り裂けんばかりになった。
どうして私の愛に気づかないのか。どうして本気の私に同じく本気で向き合わないのか。
立ち込めるのはただ焦燥だけで、彼の冷めたであろう心を何としてでもこちらに向けようと思った。
では、あの不埒者になんと返そうか。この屈辱と怒りを晴らすには相応の仕返しが必要で、どの様に調理してやろうか、と頭の中で練っていたところ、
「然り。滅私奉公は之日本男児の本懐たり」
という、ふざけた漢文調の返信が帰ってきたではないか。
「なによ!訳解んないこと言ってごまかそうっていうの!」
こはくは一人、取り残された部屋で発狂し、スマホをテレビにでも投げつけようかと思ったが、さすがにそれは制して
「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき」
と単語を連呼して送った。
するとまたしても既読マークが一瞬でつき、少し間を置いた後、モノクロで画質が粗く、デカデカとボロボロになったヘルメットの写真が送られてきた。
こはくがそれを見て、彼の本意を探ろうと頭を悩ましていると、数分して少し長い返信
「俺の帰りを待つ君に、軍歌『上海だより』の歌詞を送ります。
作詞:佐藤 惣之助
作曲:三界 稔
著作権:消滅(詞)、無信託(曲)
一、
拝啓御無沙汰しましたが
僕もますます元気です
上陸以来今日までの
鉄の兜(かぶと)の弾(たま)の痕(あと)
自慢じゃないが見せたいな
二、
極寒零下の戦線は
銃に氷の花が咲く
見渡す限り銀世界
敵の頼みのクリークも
江南の春未(ま)だしです
三、
隣の村の戦友は
偉い元気な奴でした
昨日も敵のトーチカを
進み乗っ取り占領し
土鼠(もぐら)退治と高笑い」
を送ってきた。
こはくは全身の血が逆行しそうなほどの怒りを感じた。こちらの愛を、恋を、すべての感情をバカにしていると思ったからである。そうでないと
「トーチカを進み乗っ取り占領し」
などという、物騒な歌詞の書かれた歌は送ってこないはずである。
琥珀はその白面を真っ赤に染めさせて、怒りに燃える返信を書こうかと思ったが、十文字くらい書いて、すぐに体の力が抜けた。
そして、先程まで怒りで震えていた顔に、乾いた笑みが浮かび、ため息混じりの笑い声を発した後、
「もういいよ」
と、一言返信し
「もい疲れた」
と、続けて
「私の愛が伝わらないのなら、もういい」
と、無機質な言葉を並べると、最後に
「もう死ぬ」
と一言。送るとすぐさまスマホの電源を落とした。その顔には、震えた微笑と僅かな涙が頬を辿っている。
しかし、もう死ぬ、と言った手前であるが、本気半分の気持ちであって、心の中には
「こうすればきっと帰ってくる」
という期待が含まれていたのも事実である。
***
爾来三十分程、こはくは部屋中の電気を消し、窓を開けて月光のみで部屋を輝かせた。都会の汚い月であるから、月光と言うよりは他の高層ビルから漏れ出た光による輝きと言ったほうがいいかもしれない。しかし、何にせよ当たりは暗く、物音は静かである。
そしてこはくは、射し込む光で最も明るい場所に、目立たせるため包丁をおいた。もちろん、刀身を彼女の鮮血で濡らして。
彼女の左腕は、血に染まっていた。それは例の包丁で切り付けたからであって、多分に慰めと健児に対する抗議を含んだ一撃であった。
これからの予定で行くと、この包丁で健児を刺殺し、その後に自身の恵体をも蔑ろにすることで、永遠の愛を誓うつもりであるから、このような左腕の傷、取るに足らないものである。
後は大急ぎで返ってくるであろう、健児を光が漏れる窓の側で待てばいい。こはくは徐ろに体を屈めて体育座りの姿勢を作り、呆然と目をあてもなく泳がせた。
どれほどたったであろう。湧き出る血潮で辺りに小さな池ができるか、といったところで、玄関の鍵が勢いよく開く音がする。
(帰ってきた)
と、彼女はぼやけた視界に意識を戻し、リビングにつながるドアをじっと見つめた。
玄関のドアが勢いよく開閉すると、廊下から床に穴を開ける程の轟音が響き、ドアノブが動くとともに
「武運幸いに玉砕せんとするなら俺も遅れては面目ない!」
と、士気天衝の一喝が聞こえてくると、そこには身の丈一九〇センチを悠に超えるかのような硬骨漢、健児が立っていた。
目は輝き、これから歓喜の万歳を三唱せんとするような彼に対して、これを虚ろな目で見つめるこはくであった。彼女は落胆の目で、彼に「いつ気づくの?」と訴えかけていたのである。
しかし、不幸にもそんな感情に全く気づかない健児は、彼女の左から滴り落ちる鮮血の河川を見つけて
「うぬ、流石は武弁の才女。君が腕を切って二つ無き身を奉ろうとするなら、俺は腹を斬ってこれに応える!」
と、俄然、床に落ちた包丁を手に取り、シャツをまくって鍛え抜かれた腹を出したかと思うと、勇猛果敢に刃を腹へ切り入れ、その表面から鮮血が陽陽と躍り出た。
そしてそれをみたこはくは
「もう嫌……」
と、その場で泣き始めてしまった。
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