第45話 戻ってないじゃん!
目を覚ますと視界に入ってきたのは見知った天井だった。
もっとも、僕の部屋ではない。タレカの寝室だ。
少しだけほっとしている自分に嫌気がさした。
「ふわぁ」
ここ最近は、ずっと隣にタレカがいたが今日はいない。そのせいか、なんだか寝心地がいつもと違った。
頭をかきつつ、さっさと体を起こして朝の準備を済ます。
いつもならタレカに色々と直されるところだが、今日は自分で全てを済ませて家を出た。
「やっぱり何か変な感じだな」
登校中も隣にタレカがいない。
当たり前のことだし、これが当たり前だったはずなのに、慣れというのは恐ろしいもので、落ち着かない気持ちにさせられる。
なんとはなしにダラダラ歩く僕とは違い、背後からは元気に走る足音が聞こえてくる。
朝からよくやるな、なんて思っていると、真後ろを走っていた足音はたんっと踏み切ったように聞こえた。
「え」
バシン!
違和感に気づいて振り返るより早く、僕の背中は思いっきり叩かれていた。
「いった!」
「おはよ! って、全然決まってないじゃない。どうしてくれるのかしら」
「どうしてくれるのかしら、って。いきなり朝から暴行してくる人に言われたくないが」
「暴行じゃないわよ。ただじゃれてるだけでしょ。ちょっと止まりなさい」
「ちゃんとしたぞ? その、僕にできるところは」
「来なさい」
道の端まで引っ張られて、タレカに正面から品定めされる。
今朝、鏡で見た僕よりも目の前のタレカは決まっているように見えた。やはり、これは数日程度の慣れではなく、ずっと女の子だったタレカの技量か。
ぼんやりする僕を無視する形で、タレカは何やら器用に制服のあちこちを触れると、髪までぺっぺっと整え、改めて僕の全身を眺めてきた。
「これでよし! 完璧!」
満面の笑みでやり切った表情を浮かべているタレカからはすっきりとした印象を受けた。
「微妙な違いな気もするけど、確かに妙に気分がいいな」
「そうでしょ? 身だしなみは自分のためなのよ」
一理あるかもしれない。
これまで、動きやすさ重視、楽さ重視できたが、それだって自分のための服装選びだ。
タレカにはタレカの基準がある。そして、タレカにはタレカの考えがある。
ただ、ほほえみ返していると、周りの人たちが、ほほえましそうに僕らのことを見ていることに気がついた。
「タレカ、行こう」
「どうしたのよ急に赤くなって」
「いいから。急がないと」
「別に遅れる時間でもないでしょうに」
「いいから!」
こんな時だけ気づいていないタレカの手を引っ張って、僕は走り出した。
「てっきり戻ってないことを抗議されると思っていたのだけど、そうじゃないのね」
「別にいいよ。戻ってない! ってのには慣れっこだ」
「そんなことに慣れてしまっていいのかしら」
「いいんだよ。それより、タレカの方こそ、僕のフリはできたのか?」
「当然でしょ?」
なぜか自信満々にタレカは胸を張って言う。
「童島さんの道具のおかげで、容姿は完全に誤魔化せてたわ」
「そう、か」
以前、僕が戻った時は、そこのところを妹にツッコまれたのだが、タレカはうまいことやったらしい。
それとも、僕との接触があったことで、妹が違和感をどうにか飲み込んだりしたってことだろうか。
少なくとも、僕の方へも変な連絡は来ていない。師匠が対処をしていないところから、問題は大きくなっていないはずだ。
僕はタレカの表情が曇っていないことを確認してから、もう少し話を掘り下げることを決める。少し深呼吸してから切り出した。
「どうだった、僕の、家族は」
「いい人たちだったわよ」
普通の感じでタレカは言う。
「メイトがどれだけ心配されてるのか実感した。あまり、長引かせるのも悪いわね」
「僕はいいんだよ」
「違うわよ。あの人たちに心配をかけるのは悪いと思っただけ。メイトじゃないわ」
「くっ」
ニヤニヤするタレカは、たしかにいつも通りのタレカさんだった。今のところそう見える。
「何も、嫌なことはなかったか?」
「嫌なことなんてないわよ。だから、だからこそ」
タレカは少し迷うように視線をさまよわせた。
歩くスピードが少し遅くなり、僕はタレカの歩調に合わせるように勢いを緩める。
うつむくタレカは申し訳なさそうに顔をしかめていた。
「だからこそ、どうしたんだ?」
「だからこそ、もう少しだけメイトでいたいって思っちゃったのよ。あと、少しだけ」
「子どもか」
僕はふっと笑っていた。
「笑うことないじゃない」
「そうだな。でも、いいと思う。タレカのやりたいことはやるべきだ」
僕の言葉が何か変だったのか、タレカは僕のことを疑うように見てきた。
だが、僕はすぐに前を向いて歩き出す。
「キセキだって、ずっと続くわけじゃない。次に願った時には、もう欲しいものは手に入らないかもしれない。でも、手に入っているものを逃したくたくないと思うのは、ごくごく自然なことだよ」
僕はノートのことを思い出しつつ、これ以上タレカに顔を見られないように、また一歩前に進んだ。
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