第33話 母襲来

「ママ……」


 かすれ声でつぶやくタレカの言葉からして、どうやら大方予想通りみたいだ。


 今度は母親と遭遇したらしい。


「お母さん。待って。今は」


「あんた誰よ!」


「……っ!」


 父親ほど苦手意識は無いらしく、タレカは聞き取れる声で母親を止めに入ってくれた。しかし、知らない人扱いされ、それがショックだったようで、唇を引き結んでうつむいてしまった。


 入れ替わっているのだから仕方ない。


 普段なら、そんなフォローを入れたいところだが、いかんせん、やりとりしているタレカの母はキセキと全く関わりがない。キセキに無知な人がいる以上、話題に出すわけにもいかないだろう。まして、タレカの肉親となったら余計に話がややこしくなりそうだ。


「私に用なんですね」


「はあ……当然でしょ?」


 前回の反省から口調に気をつけつつ話しかけると、タレカの母親は、頭痛でもしてるように、頭を押さえてこれ見よがしにため息をついた。


 いきなりつかみかかってこない分だけ、父親の方よりも会話ができそうかと思ったのが、それはどうやら気の迷いだったらしい。こんな面倒くさい、芝居がかった動きをする人間と、平常心で長く会話ができるほど、僕のコミュ力が高くない。


「タレカ、こんなダサい子とは、関係を切って戻ってきなさい」


 母親はひったくるように僕の腕を掴んでくると、何の前触れもなく、席から立たせようとしてきた。


 従う義理はないので、僕はその腕を軽く振り払った。


「何のつもりよ。私の言葉が聞こえなかったの?」


「お父さんの方から聞きませんでしたか」


「お父さん、なんてずいぶんと他人行儀に呼ぶのね」


 まるで言うことを聞かないこちらが悪いと言いたそうに、母親は再度大きなため息をついた。


「聞いたわよ。でも勢いで言っちゃったんでしょ? 思春期ってそういう時期だものね。反射的に反抗してしまうのも仕方ないわ」


「違います」


「わかるわよ。私もそうだったから」


「違いますって」


 僕の言葉なんて聞こうともせず、母親は、しつこく僕の腕を狙ってくる。


 そこまですぐに立たせたいか。


 警戒のスキをついて、ぐいっと席を立たされたその時、僕のことを引きずっていこうとする母親の手を、目の前で見ていたタレカがつかんだ。


「なにするのよ。これはうちのことよ。あんたには関係ないでしょ」


「あります。私はその子と、タレカさんと、一緒に変わるって決めたんです」


 あぁ、と声を漏らして、母親の手から一瞬だけ力が緩んだ。僕はその瞬間を見逃さず、すぐさま席に戻った。


 そんな僕を見ながら、母がチッと舌打ちしつつ、タレカのことを見下ろした。


「そういえば、旦那の話に、あなたみたいなダサい子の話も出てきたわよ」


 ヘビがカエルを狙う時のような、鋭い視線を向ける母に、タレカが一瞬だけびくっと背筋を震わせた。


 その様子を見て、母親はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。


「あなた、青ざめて動けなかったそうじゃない。なにが変わるよ。なにが一緒によ。笑わせないで。あなたが一人うちの子に寄りかかってるだけでしょう。迷惑なのよ」


 初めは多少でも希望のこもった瞳をしていたタレカだが、次第に目に涙をため始めた。


 実の娘に言うようなことじゃないよな……。


「さ、行きましょう」


「行かない。行かないでいい。それに、メイトはダサくなんかない」


「は?」


 悔しさからか、肩を震わせ言葉を発したタレカに対し、母親は間抜けな声を漏らした。


「メイトは料理もできないし、周りもあんまり見てないし、気遣いもそんなにできないけど、ダサくはない。優しいし、人の力になろうとしてくれる」


 タレカがポツポツつぶやく言葉に、僕のほうもぽかんと口を開けてしまう。


 それ僕のことか?


「さては、この状況でもフォローする気ないな?」


 僕の砕けた喋り方に、母親は心底驚いた様子で口を開けた。と同時、顔を上げたタレカの顔は晴れ渡るような笑顔だった。


「タレカ。タレカあなた……」


「メイトは困ってる人に、私みたいな子にも手を伸ばせるような人だから。決してダサくなんかない」


「タレカ……」


 きっとこれでも、今日くらいはフォローしてくれているのだろう。


 初め、罵倒されたのは僕じゃなかったと思うけど、存在としては僕のことが否定されたのだ。だから、タレカは僕を庇ってくれた。自分が責められているのに、僕の心を思ってくれた。


「はっ」


 だが、そんな心中を無視するように、母親はタレカの言葉を鼻で笑った。


「なに? 誰よメイトって。ここにいない欠席者のこと? それとも、あなたは自分を名前で呼ぶようなイタイ子なの? 本当、メイトって誰よ」


「メイトは、成山タレカのパートナーよ!」


「「は?」」


 一瞬、場の空気が凍結した。


 僕としたことがタレカの母とおんなじ感じで驚いてしまった。


 パートナーってなんだ? 聞いたことがないぞ。どういう風の吹き回しだ?


「パートナー? 恋人ってこと? じゃあ、タレカの彼氏なの? タレカに男がいるって言うの……?」


 あっけに取られて固まる僕の手を引いて、タレカは店に来た時のように、するりと入り口へ駆け出した。


 驚きで思考が止まっているのか、母親は小刻みに瞳孔を震わせるだけで、その場所から動き出す気配がない。


 その隙を見て、僕らは迷惑をかけたことを店員さんに謝ってから、さっさと会計を済ませて、カフェを後にした。そしてすぐさま、人混みに紛れるように逃げ込んだ。

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