第37話 普通に生きてます、その二
スベント領の民はアレクス信仰ではない。メゾリバリア領と同様に海に面する港を多く持つから、海神リバルーズを信じる者が多い。
アタシが言うのもなんだけど、ここの人達は海より偉大なものはないと信じている。
海から星々が生まれ、海から太陽が生まれ、海から月が生まれ、海から雷雲が生まれ、海から風が吹いて海の水が地上に降り注ぐ。
そして、海には食べ物が豊富にある。
「アタシの名前が付けられているのは、別に特別なことじゃないのよ。海の神様が男だから、船は女にしようって」
「ん。海神リバルーズがそうしろって?」
黄金の髪を持つ美少年が、アタシの顔を覗き込む。
思わず眺めてしまう綺麗な男児。彼は何故か幼くなった。
アタシは抱きしめたくなる気持ちを抑えて、小さく頷いた。
「うーん。そうなのかも。アタシは戦え、俺の力を存分に使え、って声しか聴いてないけど」
「物騒な神様でしょ。アレクス様とリバルーズ様は特に声が大きいって言われてるんだよ」
ついでにもう一人。何故か金色の美少年と同じ髪型をしている青緑の髪の男。
どれほどの神の加護を宿しているか分からないけれど、今の彼が信じる神が誰かは、ハッキリと分かる。
「確かに物騒…。でも、ある意味優しいのかも?」
「優しい?戦えって煩いのに?」
「内容は物騒だけど、見ててくださる。それだけで生き方が変わってくるでしょ?突然声が聞こえなかったら、何を頼りに生きていけばいいかって迷わない?」
「確かに‼流石、悪魔の子ソリスだね。考えたこともなかったよ」
そう。彼は気味が悪いくらいソリスを崇めている。
彼はここに来なくても良いのに、ソリスと同道したくてここにいる。
アタシも同じようなものだけど、彼の場合は少し違う気がする。
うーん。やっぱ…、アタシも同じかもね。
「ソリスも声を聴いたんじゃなかったっけ?」
「うん。…でもね。ボクの神様は放任主義だった。考えたら分かることだったかも。だって、彼女が世界を作ったのに名前を知られていないんだよ」
「あれ?神官長の話だと、その女神様ってデボネア様じゃなかったっけ?」
「もしかしたらデボネア様も居るのかもしれないけど、多分違う」
船の中で彼は神の声を聴いた。それを知っているからアタシは首を傾げた。
アタシも神々の声は聴いているけれど、神が自らを名乗ったことはない。
「え?分からない…なら分かるけど。…どうして違うって分かったの?もしかして…」
「…えっと。ゴメン。言っても多分聞き取れない。だって神様とは『
「それって悪魔の言葉?神様は実は悪魔だった…」
「ウィズ、そうじゃない。誤解を招くようなことは言わないでよ。ボクが使っていたのがソレだっただけ。神様は何でもできるから、どんな言葉でも話せる…、二人とも。ここで待ってて」
彼は小さな手でアタシとウィズの手を握り、その場に立ち止まらせた。
その理由は分かるけれど、待てという意味が分からない。
だって…
「一人で何をするつもり?アレって、アールブに攻め込むための軍隊でしょ?」
「だーかーらーだーよ。ウィズも余計なことしないでね」
「了解!何をするつもりか分からないけど、楽しいことをするってのは何となく分かるよー」
「…なんでだよ。ボクは何も言ってないけど?」
「顔を見てれば分かるって。あの時からなんか雰囲気変わったし」
それはアタシも思っていたこと。
ソリスはあの時から感じが変わった。成長が止まるどころか巻き戻った意味は分からないけれど、今までのようなオドオドした顔は消えていた。
最初に思ったのは、神から戦えとか、自分の存分に力を使えとか、天命を言われたのかと思った。
でも。
「ボクは普通に生きるってだけ。ボクはボクらしく生きるんだ」
「ソリスらしく…ねぇ」
□■□
藍色の髪が風が吹くたびに靡く。遠くから見ると青い草原、いや青くて足の長い絨毯かもしれない。
海の民は皆、リバルーズを信仰しており、ルーズ人と呼ばれている。
海の、それも深海のような深い青の髪を持った男、そして少数の女。
特に若い男の姿が目立つ。こんなにも人間が居たのかというくらいワラワラといる。
既に明らかとなった、出産の秘密。それが理由で、成人以降は男の方が生存率が高い。
アレ?そうならないように、出産じたいを抑えてと神学校の教師が話していたような?
そして、これは一般的な知識である。
勿論、魔力に優れている女性ならば、それ以上の出産が可能だし、総魔力量に優れる貴族女性は、貴族男性には引っ張りだこになる。
ソリスの義姉リーナが玉の輿に乗れたのも、弟の影響を受けまくった彼女は魔力の器が大きくなっていたから。
アールブの娘が王族の許嫁になっていたのも、同じ理由。
ただ、ここに居並ぶは神学校の生徒と同等、もしくは少し劣る魔力の男ばかり。
彼らはロザリーのように多く加護を持つわけではない。
であれば、これはどういうことだろう。
勿論、戦争の準備をしていたからだ。先の条件がある限り、富国強兵は母親の喪失を産む。
それ故に、戦いには男しか参加しないし、その男たちは祖国の為に女を誘拐する。
生まれてくる子供の男女比はほぼ一対一。若い女を失う訳にはいかないから、ここには殆ど来ていない。
そして、これが只の宿命ではなく、色々と歪んだ考え方によって成立しているのは、異世界人にはとても奇怪に映る。
「お兄様。本当に大丈夫でしょうか」
少数の女とは、魔力量の高い貴族階級の者である。
その中の緑の髪の女が言った。
馬上だから、上衣と脚衣が分れた革製の衣服を着用している女。
年齢は15歳くらい。彼女の視線の先には赤茶色の髪、鳶色の瞳の二十代後半くらいの男が、同じく馬上から自軍を見下ろしている。
「心配する必要はない。ウィンディはすました顔で見ているだけだ。お前は美しい。それだけで領民も気合が入るだろう」
ガーランド・スベントは前で戦うつもりなので、魔法で強化された鎧を纏っている。
他にも騎士が参戦するのだから、目立つようにと全身鎧を赤く染めてもいる。
鎧に付与された魔法の加護は多岐に渡っており、肩を竦めたとて金属音はしない。
妹のウィンディは肩を竦めた兄に向って、分かりやすく溜め息を吐いた。
「私の心配ではありません。アールブにはロザリーが居ます。ロザリーは元々は、王子の許嫁ですよ。彼女が私と同様に馬上で士気をあげれば、アールブの兵も頑強な兵士に変わる筈です。そうなれば…」
「そうはならねぇんだよ。そうならねぇからここに居るんだろ。ガンプ公に言われなくても、俺達は遅かれ早かれ挙兵したんだしな」
「ですが、ガンプ公に操られているという見方も出来ます」
「出来ねぇ。でないと、アールブの家臣連中も内応しねぇ。アイツらもそう思ってるから、王家に嫁ぐ予定だった領主を捨てたんだ」
アールブ卿の家臣はまだ裏切ってはいない。先に裏切って内紛が勃発したら、間違いなくメゾリバイアの商人が出張って来るし、アクアス神殿も戦地をアールブ領に定めて、聖戦が始まる。
聖戦が始まるのは、火を見るよりも明らかだが、出来れば前線は前の方が良い。
という話は勿論、彼の妹のウィンディの耳にも入っている。
ということを少し年が離れて、しかも母も違っている兄が察せない筈もない。
だから、もう一度肩を竦めて彼は言った。
「神からの啓示…か?でも、神は戦えって言うだけだろ?」
心配性の妹。だけど、今までの話は散々し尽くした。
ならば、直感的なものか、神託的なもの。
因みに、加護の数は兄のガーランドより、妹のウィンディの方が圧倒的に多い。
「…はい」
その瞬間、ガーランドは言い知れぬ不安に唾を飲み込んだ。
やはり神。そして、その神は妹に何かを言った。ただそれは
「戦いを楽しみにしておられます…」
「え?そのまんまじゃねぇか。…なんだよ、脅かすなって」
さっき言ったじゃん、という内容だった。
それでも妹ウィンディの顔色は悪い。やはりただの心配性…、いや
「いえ。今しがた聞こえてきた声の持ち主です。…普段と違うんです。勿論、リバルーズ様もレイザーム様も皆さま、戦えと仰っておいでですが」
顔面蒼白な妹の声。
兄ガーランドは先ほど唾を飲んだばかりだから、今度は息を呑む。
途端に喉がカラカラになる。
「…リバルーズ様、レイザーム様、俺に宿るフィーゼオ様も同じ。それ以外って言ったら…」
「はい。冥界神ヘスティーヌ様です。私の加護で紅一点だから分かりやすくて…。面白そうだから、冥界の門を開けておく、と。」
顔周りが忙しい兄は、今度は眉を顰めて怪訝な顔に変わった。
「ん?ヘスティーヌ…ってヘスティーヌか?…って俺は何を言ってんだ。でも、言葉はおかしくない。戦いが始まるから?確かに冥界神ヘスティーヌ…って殆ど主張しないって話だったし、加護を得ている者が極端に少ないから神学研究も出来ていない」
「はい。でも、私の加護の女神って彼女だけ。そして、…今が多分初めての言葉です。グラスフィール伯と組んで、バレンシア地区を強襲した時の方がよほど危険だったのに…」
「あの時はウィンディは参加してないだろ。どっちかっていうとグラスフィール伯の動きを探るのが狙いだったしな」
結局、訳が分からない。
困惑の後、最終的には苦虫を噛み潰したような顔で終わり。
離反の約束が果たされたら殆ど無傷でアールブの城に辿り着ける。
とは言え、全てが無事に終わるとは思えないから。全員が綺麗に離反するかは怪しい。
「ま、とにかくウィンディは…」
と言ったところで、兄ガーランドの顔が固まる。
スベント卿の兄妹のところに馬が駆けつけ、馬上の男は言った。
「ガーランド様‼火急の件につき、このままお話させてください‼」
「今度はなんだぁぁあ⁉」
もう百面相をしなくて良いと思っていたところに駆けつけたのは、スベント卿の親戚筋の男だった。
「南方より、近づいてくる人間が居ます」
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