第28話 赤毛の少女

 今日も今日とて神官長の部屋で残業。

 前、とっても偉そうな話をした。神官長ヘルメスの執念の話もした。


 でも、ここには大きな、大いなる誤算がある。


「…俺、もう数字見たくない」

「僕も…」

「ご、ゴメンなさい、ソリス君。私も…です」

「そうだな。今日は、この辺りにしておこう」


 恐らく女神デボネア。そこまでは辿り着いた。


 だが、彼らは舐めていた。だから過ちを犯した。


 くっくっく。…考えれば分かること。簡単な話。


 そう。彼らは勘違いしている。


 だって、ボクは何の変哲もない人間だったのだ‼


「…ボクの方こそ…ごめんなさい」

「気にするな。、もう遅い。早く帰れ」


 たった一文でも、この世界の人間が理解できるまでに変換するのに、一か月以上はかかる。

 音の変換までに三週間、過去の悪魔の子が記したロゼッタストーン的な聖典から、変換した音を見つけるのに一週間以上。


 気付いたら、中等部が終わっていた。

 気が付いたら上等部に上がっていた。

 今までは中身はオジサンだったが、本当の意味で叔父さんにもなっていた。


 ん?上等部に行くための進級試験はどうなったかって?


 当てはまる音を探すことで言語を覚えた。それ以外はニースとウィズのお陰で成績も上がった。

 気が付いたらテストに合格していた。


 神官長ヘルメスの執念が、ボクを上等部に連れて行ってくれた。


 更に言えば、商人の子供の殆どがそこで学校を卒業していくから、不公平だとか出来レースだとか、文句を言う奴がいない。


「はぁ…。いつの間にか中学生か。なんか、あっという間だったな」


 本格的な魔法実技が始まる。

 本格的な神学が始まる。

 本格的な地理学が始まる。

 本格的な──


「ソリス、なんか暑くね?全身もわもわするんだけど。」

「意念になってるからだよ。もっと体の力を抜いて」

「当たり前のように私の部屋で、マナ訓練をするな。…それから、アレス。お前はマナの操作が未熟だから無駄に汗をかいている。帰ってシャワーを浴びろ。というより、全員帰れ」


 このように叱られはするものの、相変わらず神官長の部屋に籠っている。

 気功波の使用は禁じられているが、それ以外は許されている。


 この辺で、ちゃんと考えるべきだった。


 だけど、本当にあっという間に過ぎていく日々。

 ボクとって懐かしい感覚は、やっぱり呆気なく過ぎていく。

 過去の記憶を持ったまま生まれ直したラッキーマンなのに、圧倒的なリードは出来ないまま。

 郷に入っては郷に従えだったのか、蛇の道は蛇だったのか。

 何をしていても、砂時計はサラサラと流れていき、神官長と舌あの話もいつの間にか忘れてしまっていた。


「あれ。そういえば、ライブスも上等部に上がったんだ?」

「まぁ…。上がれるんなら上がったらって、家族会議で決まったし。魔力もまだまだだしな。」


 歯切れの悪さをほんの少し感じた。

 でも、この頃のボクは随分、アルテナ語と日本語が近くなっていて、彼が居続けることに疑問を持たなくなっていた。

 だって、まだ義務教育課程だし。


「そ。僕も。ソリスの領域には辿り着けないし」

「ウィズ、それは無理です。ソリス君は生まれたその日から、これを続けていた。体の構造が違っててもおかしくない」


 この何も変わらない関係が、ボクを麻痺させていたのだろう。



 高等部に入ると座学も一段階レベルが高くなってくる。

 魔法学は良く分からない。結局、他の神の加護は与えられていないのだし。


「へぇ…」


 そんな中、一番面白かったのは高等地理学だった。

 今まではアクアス大神殿南部しかなかったが、アルテナ神国全体に広がった。


「知らなかった。山の向こうにも大神殿があったんだ。サファ大神殿。氷の女神様…だっけ。そっか、雪解け水も立派な水源…だ」

「サファは氷の魔女ですよ、ソリス君」

「前の戦いで負けちゃったから、王家と関係が深いのはこっちだけどね」


 勝てば官軍。負ければ悪魔。それが分かってしまえば、神学が途端につまらなくなった。


「ん-。なんで頻繁に戦争を起こすんだろ…。ここは天国みたいな場所なのに」


 折角の世界だから、世界地図を舐めるように見てみたい。

 だけど、悪魔の子が生まれたんだから、今は色々と問題だらけ。


「それより…、ちゃんとヘルメス様の言いつけを守ってますか?」

「え…、えと…。い、一応」

「嘘だろ、それ。流石にそろそろ身長が伸びてもいいころだ」

「伸びてるよ!」

「少しだけですけどね。私との差、どんどん広がってます」


 これは、保健体育的な講義で聞いた話の続き。

 一般的に一世帯二人〜三人子供が生まれる。

 多産はかなり珍しい。理由は出産時に大量の魔力が削られるからだ。

 いつかも話した通り、乳幼児に魔力を与えるのも母親で、そこでも大きく削られる。


 そしてボクの姉の話に繋がる。

 リーナからは貰ってばかりだったけど、ボクからリーナにあげたものがある。


「お姉ちゃんはボクの力で、大きな魔力を持つに至った。だからボクだって…大きくなると思うんだけど…」

「それが目当てでアイツは…」

「だから、そうじゃないってば!兄さんは本当に一途になっちゃった。そういう意味でも感謝。ちゃらんぽらんな兄が真面目になったんだよ。流石はソリス‼」


 魅惑という言葉には鬼が入っている、なんてこの世界とは関係ないけれど。

 魔力が高くなれば、それは魅力へと変わる。初期のヘルメス病はだいたいそれ。

 そして彼は努力を惜しまない性格。中身を知れば重度のヘルメス病に罹患する。それがマーガレット。


 って、彼女の話はさて置き。

 レックスは純愛のつもりだろうけれど、アクアス商会のドンである両親には関係ない。

 ボクの影響で魔力量が増大していたリーナは、魔力的な意味でもレックスとウィズの両親の眼鏡に適ったのだ。


 実際に問題なく出産している。だから、ボクは叔父さん。


 彼女のシンデレラストーリーは、ボクの不断の気功術によるもの。

 だから、ウィズはボクに感謝をしているってわけ。

 

「そのマリョクを考えず、自然体で生活してください」

「…はい」


 0歳児の魂百まで。…これは本当に誤算だった。


「あー、もう昼休みも終わりか。んじゃ、行くぞ。午後はお前の大好きな実技授業だぞ」


     □■□


 実技授業は好きではない。デボネアかもしれない名もなき神の加護しか知らないボク。

 みんなと同じ実技が出来るわけがない。

 午前の座学が地獄だったから、そういうイメージになっただけで、座学が苦ではなくなった今はこっちのが地獄。


「はぁ…」


 ボクはやっても何も出ない魔法実技に飽きて、木陰で座ってぼーっとしてた。

 すると、誰かが近づいてきた。


「ソリス、またサボってんの?」


 いきなり失礼な奴だなと、見上げると彼女がいた。

 赤い髪の少女。そういえば、最近は話をしていない。


「実技は苦手だから」

「前は座学が苦手って言ってたのにね。前は私が座学一位だったのに。最近は二位なんだけど」

「ボクは補修を受けてるから。みんな、色々教えてくれるし」


 逆に皆は、魔力向上を優先して座学全体としての成績を落としていた。

 もしくは興味がなくなっているのかも。


「それに座学で二位、実技は一位のロザリー様の方が凄いと思うけど」

「ちょっと、いきなり何?…私だって努力してるし」


 彼女が近づけなかった理由がある。勿論、ウィズとニースとライブスに囲まれていたことも理由の一つ。

 だけど、彼女は優秀でなければならなかった。強くなければならなかった。

 間違いなく、神官長に言われている筈だ。


 ──あの事件を解決したのはロザリー。それを証明しろ、と。 


「うん。ロザリーは凄いよ」

「だ、…だから、そういうんじゃないって」


 そう言って、ロザリーはボクの隣に態々ハンカチを引いて座った。


「そういうんじゃないって?」

「私、もっと頑張らないといけないの」


 翡翠色の瞳がグッと近くに寄る。

 まだ、二次性徴は来ていなくても、流石にボクも十三歳。

 既に二次性徴を迎えた彼女はとても魅力的に育った。

 そして何より、赤い髪が姉と重なる。色は違うけど同系統。


 ボクの姉になってくれるかもしれない…


 なんて考えてしまいそう。

 

「え、えと…。十分…だと思う…けど。そういう意味じゃない…んだよね」

「ええ。ソリスにしかできないこと」


 流石に条件が揃い過ぎている。

 彼女が考えていてもおかしくないこと。

 それは勿論、ボクの姉になりたいって方ではなく…


「私もヘルメス様のところで勉強したい!」

「え…と。とても重要なこと?」


 そんなの当たり前の話だった。だって、この三年間でボクたちは大人になる。

 本来な前途洋々な彼女の道だったかもしれない。でも、貴族であれば率先して戦わないといけない。

 ボクが存在しているから…って、やっぱり思ってしまう。


「うん…。私の一生が…。じゃなくて、アールブの血族がかかっているの」

「分かった。先ずは聞いてみる。…ううん。どうにか説得してみるから」

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