gni(感想もらう用）

第5話

　神殿から徒歩八分。

　アーケード街には、朽ちた木の壁とドアが紛れていた。

　その押せば簡単に崩れるような場所の前で、ベスタは立ち止まりカチャリと鍵を開ける。

　ベスタはいつの間にか着替えており、やや大きめの白いパーカーに青いジーンズを着ていた。

〈ここにコギトさんがいます。コギトさんは一人暮らしの方で、ゴミ出しとかを代わりにしてあげると喜びます〉

　……何だそれは。

　そのくらい自分でやるものだろう。

「そこまでしてあげなくてよいのでは？」

〈それは私たちにも思うところがありますけれど、まずは元気になって頂かないと〉

　——ギイィッ。

　ドアの開く音は軋んでいるが、中は外装と違い随分キレイだ。

　コンクリート敷の玄関、その先には木の廊下と襖。

　和風建築のものはやはり落ち着く。

《コギトさん、お邪魔します》

「お邪魔します」

　ベスタは襖を開ける。

　中ではワースよりも大きくて細い——白い体毛で首長の何かが、黒いフード付きのパジャマを着ていた。

　ツノがあり、四角く黒い目の瞳孔以外はヤギ種に見えない。

　鼻先は鱗っぽく、手に蹄はなくて鋭い爪が生えている。

　壁の襖以外に何もない八畳ほどの畳部屋には、そんな想像上の生物である龍から翼を取ったような存在が正座していた。

　彼は首を捻じ曲げ、頭を横にして目尻にシワを寄せると、こちらを見つめる。

「こんにちは。ベスタ様、この子は神殿の新入りさん？」

《ええ。昨日お会いしたばかりのフィルさんです！》

「初めまして。ワタシはコギト」

　コギトは首を戻し、ゆっくりとお辞儀した。

　全く魂がこもっていない、無気力な声をしてる。

「フィルです、よろしく」

「しかし珍しいね、いつもはメイド服を着たネズミの人が来るのに」

《メイド長さんですね。フィルさん、ワースさんを含めお二人は私の右腕ですよ！》

　左腕どこ行った。

　ベスタはこちらを見て、力の抜けたような……デレっとした顔で笑う。

「ベスタ様。三人で話すというようなことを仰っていましたが」

《そうでした。コギトさん、何か話題振ってください！》

　コギトが首を引き、その顔は少し遠くなる。

「え。ワタシ？　話題なんてないよ」

《またまたあ、メイド長さんから聞いていますよ。お喋り好きだって》

「それはあの人がいつも黙ってるから、気不味くなって話題を振ってるだけだよ」

《あれ……？》

　ベスタは笑顔のまま固まる。

　これは、正確な報告をしなかったメイド長とやらが悪い。

《ではとりあえず、フィルさんのご紹介代わりに昨日のお話を。休日だった私は軽い仕事を終え、フィルさんに声を掛けようと思い、バイトが終わるのを待っていました》

「どういうこと？」

《その昔、フィルさんに一目惚れしまして。それをメイド長に話したら彼女が色々と調べ、フィルさんの情報が入ってきていました。その時点では声を掛けようとは思っていなかったのですが、神殿へ誘うタイミングというのが丁度来まして。これは最終的にフィルさんと添い遂げるための運命だと思ったのです》

　なるほど、と分かっていない様子でコギトは相槌を打つ。

　というか、おれがよく分かっていない。

「仕事を手伝ってほしかったのではないのですか？」

《ええ。そしてこれは、フィルさんの心の状態を改善するためのことです》

「それとこれとは関係ないかと」

　おれを前向きにするとかって話もそれか。

　こういうことしても、効果はないと思う。

　ベスタは目を閉じ、首を横に振る。

《神類である私自身が根拠です。必ず効果があります》

　……神類の特性が関わることとなると、余計に分からない。

　でもやればアイツが死んだ理由は分かる。

　とにかく、会話を続けることに集中しなくては。

「フィルさんは、新入りだけど信者対象でもあるってこと？　自殺未遂したの？」

《フィルさんは自傷行為をしました》

「へえ。そう」

　ベスタはこちらを見てニコリと笑った。

　おれのことは話し過ぎないで頂きたい。

《そして私はフィルさんに声を掛け——》

「ベスタ様、おれの紹介はもういいです。それでコギトさんはどうして栄養失調に？」

「ああ。ワタシはこんな見た目だから、人目を向けられるのがイヤでさ。両親が亡くなって外に出られないまま、栄養失調で死に掛けてた。ベスタ様には救われたし、内職まで紹介してもらえて助かってる。感謝してるよ」

　ふむ。

　おれも正直、人目を向けられるのはイヤだ。

　家から出られず栄養失調になるほどではないが……自分の姿も声も、何もかもがキライなのだ。

　でもそれと家を出てやらなければならないことを比較すると、大した問題ではない。

「コギトさんは、外へ出られないままでいいんですか？」

「……神殿の人に買い出しやゴミ出しを任せる時は申し訳ないけど、人は助け合って生きるものだから。このままがいいな」

「それ、自分ができないことを人にやらせる理由にするのは、自分は何も出来ずに親から世話してもらい続けるだけでいい、子供のままでいいと言っているようなものですよ」

　コギトは鬱陶しそうにこちらを睨んだ後、首を後ろに曲げ顔を背ける。

「キミはこうして弱いものイジメをするために、神殿で働いているのかい？」

「違いますよ。甘えた理由だったのが、同じくベスタ様から世話を受けてる身として気に入らないだけです」

《フィルさん、言い過ぎです。ちょっと席を外してください》

　ベスタの言葉にハッとする。

　確かに、心の傷を負う相手に対し言い過ぎたかも知れない。

「……ごめんなさい、お二人とも」

　黙っている二人を背に、家から出た。

　しかし、仮にコギトが克服したいと思った時、どう協力すべきなのだろう。

　コギトに多少共感できるとはいえ、自分と同じ辛い方へ向かう生き方を薦める訳にも行かない。

　結果、ベスタの世話になっているし。

　……お金掛かるけど、美容整形だろうか。

　しばらく経つと、ギイィッと音がしてベスタが笑顔で出てくる。

〈もう少し話したいそうです。亡くなったご両親はコギトさんに、もっと外に出るよう言っていたのを思い出したのだとか〉

「ではそうします」

　おれはコギトの親じゃないんだけど……イヤな気分はしない。

　入ると、コギトは頭を畳上まで下げこちらを上目遣いで見ていた。

　なんか……申し訳なさそうにするにしても、他にやり方ありそうなのだが。

「フィルさん。もう少し話をさせてくれるかい？　ワタシもできることなら、外へ出られるようになりたいんだ。でも、諦めてる理由がある」

「理由とは？」

「声だよ。傍を通る人から独り言が聞こえてくるんだ、気持ち悪いって。それがイヤで堪らない」

　何だと……？　正直おれ以外には誰も経験していないことだと思っていた。

　俺の場合は、視線を向けられているとうっすら感じた時に聞こえる。

　おれはそういう見た目のアートとか好きだし、あまり気にはならないんだけど。

　他にも、ビルのスクリーンで流れているCMを、見ずにただ聴いたりしてるとそう聞き間違えることがあった。

　心の奥底で、自分のことを低く評価しているせいだろう。

　おれとコギトは同じではないのだが、何かはしてやれるはずだ。

「じゃあ協力します。携帯は持ってますか？」

　コギトは姿勢を戻し、パジャマのフードから携帯を取り出す。

　まずは、コギトに外へ出るための自信を付けてもらうところからだ。

「服装を画像検索して、気に入ったモノをおれに見せてください」

「……服装でどうにかなることじゃないと思うんだけど」

「服装は大事ですよ。おれを見てどう思いますか？」

「和服」

　おれはその場で服を脱ぐ。

　裸になると、コギトは顔を顰めた。

「これは？」

「裸」

「……裸ですけど、他には？」

　コギトはおれをジッと見つめる。

「何も思わない」

　おれは服を着直し、両手を広げて見せる。

「カッコいい？」

「……おれは和風で形式美があると思うんですけど。まあカッコいいとしましょう。いいですか？　人は顔とかよりもまず遠目から服装を見ます。カッコいい。次に顔を見る。……。目を逸らして終わり、或いは次に動きを見る。順番ですよ」

「なるほど。それなら、今の服装のままでもいいと思うんだけど」

　いい……のか？　服のセンスに自信がなくて分からない。

　ベスタに目を向けると、正座で笑顔のままこちらを眺めていた。

「どうですかね、ベスタ様」

《部屋着だと思います》

　んー、とコギトは唸る。

「じゃあベスタ様が選んだモノを着るよ」

《えっ、私が選んでいいのですか？》

　コギトが首を縦に振ると、ベスタは自分の携帯を取り出して操作し始める。

　頭の上にいる鳥が、携帯を見ながらコギトの方にチラチラ向く。

《コレなんかどうでしょうか！》

　その向けられたスマホ画面には、おれのと少し色の違う作務衣を着る狐種が映っていた。

「いいね」

《では服と靴を一着ずつ預からせて頂きます。その大きさに合わせてメイド長がお作りいたしますので、それを明日お渡しします！》