妹は、悪いモノに取り憑かれたようです。

仙道佳帆

プロローグ

/いつものようです。



 ――頬に、柔らかな圧迫感。

 目をつむったまま、反射的に手で払う。それでいちど圧迫感は消えたけれど、すぐにまた何かが頬を押す感触が戻ってきた。

 瞼を開く。横たわる俺を見おろして、悪戯っぽく笑う泉澄いずみの顔があった。

「……あのさ、頬を突っつくの、やめろよ……」

「だってお兄ちゃん、これが一番確実に起きるんだもん」

 そう言って、泉澄は悪戯っぽく、自分の唇に指を当ててみせる。

「ほら、早く起きて。スープが冷めちゃうよ」

 そう言って、泉澄は弾むような足取りで部屋を出ていった。



 我が家は両親共に仕事の時間が不規則で、朝は揃わないことが多い。俺たちよりも両親の方が先に家を出るので、朝は母が用意してくれた食事を、先に起きたほうが仕上げて並べる決まりになっていた。

「お兄ちゃん、たまには泉澄より先に起きて用意してよ」

 俺が身支度を整えて食卓に着くなり、泉澄は口を尖らせる。

「……前の晩は、今度こそ先に起きてやる、って思ってるんだけどなー……」

「だってお兄ちゃん、目覚まし使ってるのに全然効かないんだもん。泉澄、お兄ちゃんの目覚ましで起きてるんだよ?」

「いつも悪いねえ、ばあさんや」

「誰がばあさんやねん」

 拳を掲げ、泉澄は俺の肩を小突く振りをした。



 食事を済ませると、ふたりで食器を洗ってから、一緒に家を出る。

「お兄ちゃんがも~ちょっと早起きしてくれれば、朝ご飯も余裕があるのになぁ」

「悪かったって。明日こそ先に起きる」

「聞き飽きたよ~♪」

 俺の弁解を、泉澄は歌うような口振りであしらった。

 俺たちの暮らす仙道町せんどうちょう倉築山くらつきさんという山の裾野に広がっている。標高千メートルにも満たない低い山だけど、集落の間際まで山林が迫っているので、ここで暮らしていると山に抱かれているような感覚があった。

 ふたりが通う倉築学園までは徒歩で二十分ほどかかる。山裾を走る風が立てる葉擦の音と、次第に俺たちと同じ制服を着た男女ばかりになっていく道を、のんびりと歩いた。泉澄は焦らせるけれど、駆け足でなくてもまだ充分に間に合う。

「おぉ、今朝も吉野森よしのもり兄妹はお揃いだ」

「あ、おはよ惟花ゆいかちゃん」

 髪を束ねたシュシュに結わいた鈴をちりりり、と鳴らしながら惟花が駆け寄ってきた。

「仲がよいようでよろしい。毎朝眼福ですよ」

「……お前、それは本当にやめた方がいいそ」

「なにゆえです! 人間関係に潤いの乏しい昨今、仲睦まじいあにいもうとの姿を拝めるのは稀有なことなのですよ! 価値を解る愚生だからこその歓びを噛み締めてなにが悪いのです?!」

「噛み締めてもいいからせめて黙って噛み締めろ」

「……ううん、相変わらず羞じらってますな~、がくどのは」

「羞じらってるとかじゃない。そういう妄想を大っぴらに口走る知り合いがいるのが恥ずかしい」

 惟花は俺と同級で、泉澄にとっても幼馴染みにあたる。普通に接していれば特に害はないけれど、掘り下げると鬱陶しい一面が現れる。適度に抑えないと、本当にこっちが恥ずかしい思いをさせられる奴だった。

 さっそく扱いに苦慮して、俺は目顔で泉澄に助けを求める。泉澄はしたり顔で頷くと、

「こんなのはどう?」

 と、俺に腕を絡めてきた。

 惟花は目を大きく見開いて息を呑む。おもむろに右の拳を掲げると、ぐ、っと親指を立てて、口角を上げてみせた。「いいね!」

 俺は泉澄に引っ張られて足を進める。惟花はというと、腕組みをして俺たちを眺め、何やら納得の面持ちで繰り返し頷いていた。

「……なあ、いつまでこのまま歩くんだ?」

 惟花との距離をだいぶ稼いだところで、俺はまだ腕を絡めたままの泉澄に問いかける。

 泉澄は小首を傾げ、逆に訊き返してきた。

「お兄ちゃんは泉澄にベタベタされるの、キライ?」

「いや、好きとか嫌いとか、そういう問題じゃ……」

 返事に窮して、俺は後ろを見やる。惟花はさっきの位置で腕組みをし、俺たちを輝く瞳で凝視してひとりで悦に入っていた。

「それなら、いいでしょ?」

 言って、泉澄は俺に身を寄せてくる。腕に優しい暖かさと柔らかさを感じて、動揺した。

 でも、態度に出せば、泉澄と惟花、どちらにもからかわれる。肯定も否定もしない俺をいいことに、泉澄は我が物顔で俺の腕にしがみついた。

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