語り部の顔で味わう鰊缶

語り部の

顔で味わう

鰊缶


【筆者より】

 この話は重い話になります。

 ついこの間、亡くなった祖母の話です。彼女は長崎生まれで、1932年生まれ。否応なく戦争に巻き込まれてゆきました。

 長崎、といっても場所が違うので、当人は原爆を免れました。ただ、それで死んでしまった親類も居たそうです。

 祖母は土地柄、海産物自体は好きでしたが、刺身が苦手なのと、にしんが嫌いでした。刺身はおそらく質感そのものが駄目だったのでしょう。

 しかしながら、鰊嫌いは戦時中の悲惨な生活のせいでした。

 当時は配給で、その中に鰊の缶詰がありました。皆様お察しの通りだと思います、その時代の配給品はとにかく質が悪いものでした。

 ひとえに不味いのです。

 普通ならば食べない。

 しかしながら、食糧難の時代でしたから食わねば生きていかれぬために、食べざるをえず、鰊をみるとあの当時の苦しさを思い出してしまうため、嫌いだったそうです。戦時下を経験した人がさつまいもを食べられない、という話は有名だと思いますが、それと似たようなものです。


 正月の数の子も、確か食べられなかったような記憶があります(記憶が朧げですみません)。あれも鰊の子ですから。


 こういった、当時の食べ物の話をするときの、語り部の顔というのは如実に味を語っているので、僕は苦しみの質感というのがわかってしまうのです。おそらく、僕ではなくてもわかるかと思います。

 これも語り方なのです。


 祖母からは色々な話、戦争を含まずとも色々なことを聞きました(煙草の葉の栽培の話とか)。

 まだ修羅の多いこの世界ですが、住みなして、影響を与えていくのは、我々の世代だと思います。

 長文、失礼しました。

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