004-03. 常初花は夜を超えて

 

「……なるほど。それで落ち込んでるのか、柘榴は」


 時刻は進み、夜七時。

 マネージャーにおすすめされた焼肉屋の個室で、柘榴、ニゲラ、ローザの三人は七輪を囲んでいた。


「俺たちからすれば、衣織が素でコメントしたってだけでも喜ばしいことだと思うけど……柘榴はあのスパルタに慣れてないからな……」

「おりくん、本気になると言葉きっついからね~……あっ、これもう焼けたよ」


 苦笑いを浮かべて相槌を打つローザが、こんがり焼けたカルビを箸で挟んでニゲラの皿にひょいと乗せる。

 ニゲラは「ありがとう」と呟いて微笑むと、取り分けられたカルビを豪快に頬張った。


「……橄欖坂さんが言った通りだなって、思うんです」

「……笑いものになるってやつか?」

「それもだし……調子乗ってる、っていうのも……」


 言いながら、柘榴は顔を伏せる。

 自分の口で復唱すると、みじめさで頭の中が焼き切れそうだ。


「確かに、無意識で思い上がっていた部分はあるんだと思います……こんな大きな事務所に入れたのは、運の力がほとんどなのに……」

「柘榴……」


 こみ上げてくる言葉が次々と溢れる。

 衣織の言葉だけでも十二分にショッキングだったが、あまつさえ今の柘榴は、ニゲラのパフォーマンスやローザの熱量を目の当たりにしてしまったのだ。

 比ぶべくもない努力と経験の差を前に、自分の未熟さをまざまざと実感し……こうして振り返っているだけでも、羞恥から視界が滲み始める。


「……こんなんじゃ、代わりなんて……」


 柘榴の口から嘆きが零れる。

 それは、本当に無意識だった。


「……代わり?」


 しかし、その単語に、しばらく静かに耳を傾けていたローザが反応した。


「……ざくくん、しのちの代わりになろうとしてるの?」

「え……」

「だって今、自分で言ったよ。『代わりなんて』って」


 ローザの声がいつもより低い。

 静かで、落ち着いていて……そして、窘めるような圧が込められている。


「それは……橄欖坂さんに、俺が紫乃さんの代わりなんて認めない、って……」


 ローザの真剣な声に物怖じして、言い訳じみたことをしてしまう。


「衣織……そんなこと言ったのか……」


 すると、柘榴の言葉を聞いたニゲラがこめかみを押さえ、ローザの眉間にも僅かに皺が寄った。


「……あのね、アイドルに代わりなんてないから」

「……はい」

「ざくくんはしのちになれないし……しのちだって、きっとざくくんにはなれないよ。確かに欠員補充のための新メンバーかもしれないけど……ファンの子たちも、俺たちも、しのちのスペアを欲しがってるわけじゃない」

「………………」


 正論で窘められ、柘榴の肩がみるみる縮こまる。

 ……確かに、柴田からもローザたちからも、「代わりになれ」なんて言われたことはない。


「おりくんもおりくんだよ。そんな酷いこと言うなんて」

「言うに事欠いて捻り出した捨て台詞だろ。聞いてる限りだと、柘榴の存在が相当効いてるらしいからな」

「……まあね。おおかた、ざくくんを見て再燃しちゃったってところかな」


 どうしたもんかね~……と呟きながら、ローザは椅子の背もたれに寄り掛かって天井を見上げた。

 静まり返った室内を、パチパチと燃える炭の音と、煙を吸い上げる換気扇の音が支配する。


「……あの、」


 口火を切ったのは、沈黙に耐え兼ねた柘榴だった。


「俺は……どうしたら……」

「ざくくんはどうしたいの?」


 弱気な柘榴の言葉を、ローザの声がばっさりと遮る。


「どうしたいか、どうなりたいか……そういうのは、人に教えてもらうものじゃないよ」

「どう、なりたいか……」

「うん。数年後はこういう人間になっていたいとか、そのために何を磨きたいとか……そういう拠り所って、多少なりともあったりするでしょ?」


 ローザの言葉を受けて、柘榴はそっと瞼を閉じる。

 こういう人間に、こういう武器を……。


「……ろざさん、」

「んー?」


 瞼を開き、ローザに向き直る。

 再び目にしたローザの表情は、既にいつも通りの穏やかな色を宿していた。


「……お願いが、あるんですけど」


 先程までとは打って変わってしっかりとした柘榴の声音に、ローザは微笑みながらニゲラと顔を見合わせるのだった。




 そして再び時間は進み、時計が夜の九時を示す頃。

 昨日よりも少し星の少ない屋上で、衣織はぼんやりと景色を眺めていた。


 辞める前に、腹を割って話がしたい。

 部署こそ違えど数少ない同期であったローザから連絡が入ったのは、ほんの一時間前のこと。

 普段であれば目を通すだけで特に返信はしないのだが、向こうが一方的に場所と時間を指定してきたこと、いつもなら各所に散りばめられている鮮やかなスタンプがひとつもなかったこと……そして、駄目押しのように記載された「来るまで待ってる」の一文から、今回ばかりは無視をすることができず、こうして呼び出しに応じた次第だった。


 正直、今更話すことは何もないと思っている。

 衣織がアイドルをやめることは、既にローザやニゲラに告げている。

 それに……『あんなこと』があったのだ。

 人の心の機微を感じ取ることに長けたローザであれば、今の衣織を見てなおも引き留めるような真似できないはず。


 だからこそ、衣織は今日ここに来た。

 今の自分の気持ち――もう気持ちが変わることはないのだという意思を伝えれば、きっとローザは納得するだろうから。

 ユニットのムードメーカーであり、良き調停者でもあったローザが納得すれば、ニゲラも、マネージャーも、あの堅物社長も諦めるはずだ。

 そうすれば――全てが終わる。


 がちゃり、と、屋上に続くドアが開く音がする。

 続けてタイルを踏み締める音が響き……衣織の座るベンチからやや離れた位置で、足音は止まった。

 しかし、そこから動きがない。

 不審に思った衣織はベンチに座ったまま、首を音のほうへ向けて――、


「……ッ、」


 その細い喉から、ひゅっと空気の逃げる音が響く。

 目に入ったその姿は、ローザの小柄で愛くるしいそれではなく。


「……橄欖坂さん」


 昨晩、自分の中身をぐちゃぐちゃに乱した少年のものだった。


「……な、んで……」


 衣織の視線が不安定に揺れる。

 なんで、どうして。

 ……少し考えれば嵌められたのだとすぐに分かるのだが、今の衣織はそんなことすら思いつかない。

 それほどまでに、衣織にとって目の前の存在は――。


「橄欖坂さん、お願いがあります」


 衣織の動揺を意に介さず、柘榴が言葉を紡ぐ。

 その声と表情は、昨日の怯えたようなものとは真逆の……決意に満ちたものだった。


 そして――


「俺に、歌を教えてくれませんか」


 ――思いもよらない言葉によって、衣織の頭の中は真っ白になった。

 

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