003-01. 蕾閉ざす夜風
ユニットでのレッスンが開始して、早五日。
初日こそダンスレッスンで醜態を晒した柘榴だったが、今では一曲を踊ったあとでも膝をつくことなく立っていられるまでに成長した。
……まあ、立っていられるというだけで、会話ができるような余裕は全くもってないのだが。
そして、そんな着実な進歩と共に、またひとつ大きな転機が柘榴に訪れようとしていた。
「えっ⁉ ざくくんのお披露目、決まったの!?」
会議室の机に手をついて、ローザがキラキラと瞳を輝かせながら身を乗り出す。
「おう! ……まあ、お披露目っつっても『ネクスタ』だけどな」
「『ネクスタ』……」
「『ネクストスタジオ』、研修生メインの音楽番組だ」
柴田の言葉に、ニゲラが補足した。
「ここの建物の端……外部者向けエリアの一階に、音楽ホールがあるだろ。そこに観客を入れて、月イチで公開収録してるんだよ」
「うんうん。よく外部向けのエントランスにファンの子たちがずらーっと並んでるよね」
ニゲラに相槌を打つ形で、椅子に座り直したローザが続ける。
「ライブのバックダンサーとアイドル雑誌の連載以外だと、研修生がメディアに出る機会ってここくらいだから……研修生はみんな、『ネクスタ』でパフォーマンスするのをひとつの目標にしてるんだよ~」
「そうそう、登竜門ってとこだな! そんでもって――」
言いながら、柴田が机の上の資料を捲る。
開かれたページには、当日のセットリストと参加メンバーが記載されているのだが……。
「――お前の来歴考えて、ちゃんとメインでパフォーマンスさせるってことになった」
中ほどに【新人ソロ】と記載されている曲の参加者欄には、柘榴の苗字だけが記載されていた。
「……バックダンサーなし、本当にざくくん一人かあ」
ローザが静かに呟き、ニゲラが考え込むように顎に手を当てる。
「これ、移籍組レベルの扱いだよな。そんなに知名度すごいのか、柘榴」
「ああ。読モ時代、『柘榴が登場した号のあとに雑誌公式アカウントのSNSフォロワーが激増した』って騒ぎになったんだぜ」
「わあ……そんな子を後列で出したら、センターの出番食っちゃうね……」
「そういうことなら、妥当だな」
柴田たちが話している横で、柘榴は黙って青くなっていた。
研修生中心とは言え、それなりに注目されている番組で、いきなりのソロ。
しかも、観客は研修生のファン――デビュー組からもう一歩踏み込んだニッチな領域を見ているような、そういう層だ。
「……ざくくん、大丈夫?」
「……はい」
「大丈夫そうな顔色はしてないぞ」
「…………正直吐きそう」
「だよね……よしよし……」
ローザが憐れむような表情を浮かべ、柘榴の頭を撫でた。
「どうする? 社長判断ではあるけど、さすがに新人には荷が重いって意見ももっともだからな……見送りにしたいっていうなら、俺から交渉するけど」
柘榴の様子に想うところがあったのか、柴田が苦笑しながら提案する。
しかし、その言葉を聞いた柘榴は、青いままの顔をゆっくりと横に振った。
「…………やります」
「……そっか。んじゃあ、社長にも伝えておく。このあと、一緒に曲決めような」
「はい……!」
柘榴の返事に、柴田はほんの少し安堵したような表情を浮かべる。
「……柘榴、結構頑固だよな」
「っふふ。そりゃあ、あの社長と柴ちゃんのお眼鏡に適う子だもの」
一連のやり取りを見届けたニゲラとローザは、そっと耳打ちし合うのだった。
翌日から、レッスンスケジュールにソロレッスンの項目が加わった。
ちなみに、今現在行っているユニットでのパフォーマンスも、お披露目とは別日の放送分として同日に撮影するらしい。
そのため、覚えたばかりのユニット曲のレッスン予定はそのままに、もう一曲分をゼロから覚えていく形になったというわけだ。
加えて、来週はエンディング用に全体曲のレッスンもあるのだという。
この状況にはローザやニゲラも「さすがにハードすぎる」と心配の声を上げたのだが……柘榴自身は、そうは感じなかった。
……正しくは、そんな甘い考えを持てるような余裕など、どこにもなかった。
「ありがとうございました」
ソロでのボイスレッスンを終え、一人で後片付けをする。
そうしてレッスンスタジオから一歩踏み出せば、廊下の壁沿いに並んでいる数人の研修生が、一斉に柘榴に視線を向けた。
「お疲れ様です……」
「…………」
小さな声で挨拶をして頭を下げる。
相手は軽く会釈だけで返して、足早にスタジオの中に入っていった。
決して心地よいものとは言えない雰囲気。
しかし、今の柘榴にとっては、これでもまだマシなほうだった。
次回収録分の『ネクスタ』のセットリストが研修生に発表されたのが、三日前。
その日から、柘榴に向けられる視線の質があからさまに変化した。
社内の廊下を歩いている時も、ダンススタジオで踊っている時も、カフェテリアで食事をしている最中でさえも。
道行く研修生が、スタッフが、盗み見るかのように柘榴に視線を向けてくる。
そして、それらが嫉妬や値踏みの意味が込められた好奇の眼差しであることは、柘榴本人が一番感じ取っていた。
俺らはさ、すごく運がいいんだ。
あの言葉と共にローザが浮かべていた儚い微笑みの意味が、柘榴の心に重く圧し掛かる。
だからこそ、柘榴は立ち止まるわけにはいかなかった。
マイナスな考えを振り払うようにぶんぶんと首を振り、腕時計を見やる。
デジタル式の時計は、二十という数字を映し出していた。
「…………よし、」
音を上げている暇はない。
柘榴はぎゅっと拳を握り締めると、スタジオブースをあとにした。
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