人身御供5人か6人-3


 遡ること一週間前。クリス亭アカザこと、ユリ・ヒヨスの夫が、ジャック編集部に駆け込んできた。

 まるでこの世の終わりだと言わんばかりの姿に、マノは「ただならぬ事態が起きた」と感じ取った。


 その直感は正しかった。

 昨日帰宅予定だったヒヨスが、取材先のヨルナラ村から戻って来ず、連絡すら取れないというのだ。


 マノはすぐにヒヨスの宿泊していたホテルに電話を入れた。すると彼女は既に宿を発っていると返答してきたのだ。


 これはまずい。マノはヒヨスの夫と共に、トチノキ県の附子地方へと急ぎ向かった。

 そして一行は麓のホテルに到着。現地の住人たちと共に大掛かりな捜索が始まった。

 そんな時である。ヒヨスの行き先に心当たりがあると、宿の女中が声をあげた。


「もしかしたら宿を出た後、またヨルナラ村へ行ったのでは?」

 女中によると、ヒヨスは滞在期間中、毎日のようにバスに乗って、山中のヨルナラ村とホテルの間を往復していたのだという。


 ヨルナラ村の名前が出た途端、地元民達の表情が急に曇り出した。

「悪ぃことは言わねえ、奥さんのことは諦めた方が良い」

 捜索を指揮していた青年団のまとめ役が暗い顔でヒヨスの夫に言ってきた。


「そんな。どうしてだね!?」

 ヒヨスの夫は丸縁のメガネがずり落ちているのもお構いなし、まとめ役の青年に食って掛かる。


「お、落ち着いてくだせえ。訳があるんですよ、訳が……」


「ヨルナラ村の奴ら、この頃はどういう訳か年一回だけだった祭りを、二回、三回と数を増やしているんだ。今では村の牛も馬も、遂には俺たちが飼ってる家畜にも手を出してきて、見境なく生贄に捧げてやがる」

「迷惑なんで怒鳴り込みに行ったがよ。みんなして怖い顔で『邪魔するとナマナレ様の祟りに遭うぞ』とか、逆に脅かしてきて……」

「気味が悪いんで今は関わらねぇ事にしてんだ、オイラ達」


 村の人々が口々に言いだした。

「ナマナレ様?」と、マノ。

「ヨルナラ村の奴らが崇めてるカミサマですだ。山のてっぺんに、ナマナレ様を祀っている祠がありますだ」


 腰の曲がった老婆の答えにマノは合点がいった。ナマナレ様に供物を捧げる祭り、それこそがヒヨス……小説作家、クリス亭アカザの取材対象だと。


「お陰でヨルナラ村の奴ら、村の家畜も全部死なせちまってな。次は人間をお供え物にするんじゃねえかって」

「そんな」

 絶句するマノ。しかし「有りえない」という心が無意識の内に彼の口を動かした。

「待て。待ってくれ。今の年号は、暦は、いったい何年だと思っている。人間を供物にするなど前時代的行為……余計な恐怖を煽らんでくれたまえ」


「で、でもよお。皇都の先生がたよお。昔は都会のアンタらが一番大騒ぎしていたじゃあねぇか。ヨルナラ村の連中は人間捕まえて捧げ物にするって」

 マノはほぞを噛んだ。

 麓の住人たちの誤解を解き、共に山へ上がってくれる術はないか。そのように悩んでいると、野良着姿の男がおそるおそる話し出した。


「それにな。このあたりの山、オイラたちは『霞岳』って呼んどるがね」

「うん。それが何か?」

 込み上げてくる苛立ちを隠さずに言葉を返す。

「霞岳は道に迷いやすいんだ。昔っから、山さ入ったきり帰って来れなくなったのがゴマンといる。霞の中に鬼がおって、迷ったのを食らうんだ。オラの死んだジイ様の兄貴も、山の鬼に食われたってハナシだ」


「今度は鬼ときたか……」

 マノが困惑する横で焦燥に駆られているヒヨスの夫が涙混じりに言う。


「つ、妻はそのことを……知っていたのか?」

「充分教えましたよ!」

 悲痛な声を上げたのは、ヒヨスが滞在していたホテルの女将だった。


「危ないから金輪際、ヨルナラ村には行ってはいけないと。でも、でも奥様は『心配いらない』と。確かにご宿泊されている間は、何事も有りませんでしたし……ああ、でももし、ちゃんと止めていれば」


「そんな……そんな……」

 崩れ落ちて咽び泣くヒヨスの夫。マノは輪の外に佇んでいた駐在所の巡査に声をかけた。

「ヨルナラ村にはどうやって向かえば?」

 マノの真剣な顔を見て、説得は無駄だと早々に観念したらしい。巡査は困り眉で答えた。


「険しい山道ですから徒歩は無理、車が必要です。一日二往復のバスは有るが、次の発車までだいぶ待つ必要があります」

 マノはここに来るまでに乗ってきた車を見返した。

 悠長に待っている余裕はない。


 ……


 荒れ放題の山道を一時間かけて登った先にヨルナラ村はあった。

 葉がつき始めた雑木林の斜面に四方を囲まれた、まるで鍋底のような土地に、古ぼけた民家と乾いた土の休耕田ばかりの寂しい村だった。


 道路なのか畦道なのかも分からない狭い道路を走る一台の車。どれだけ辺りを見回しても人の気配はない。家の中からも音が聞こえてくることもない。まるで映画のために拵えた、無人の撮影セットを彷彿とさせた。

 舵輪を握るマノは唾を飲み込み、ただひたすら車を走らせた。


「見えてきたでしょう。北の斜面の、あのデカい屋敷。ここいらで一番の分限者で、村を仕切っているニジミ家です」

 と、道案内に連れて来られた巡査。助手席から見える寒村の景色に眉をひそめていた。

「苦手なんスよねえ、この村の人たち。巡回だから顔は出すけど、何ていうか『直ぐに帰れ』って無言で圧掛けてくるんスよ」


「そういう愚痴はやめてください!」

 ムキになって怒鳴るヒヨスの夫はマノと警官の間に挟まれる格好で座り、真っ青な顔でニジミ家の大きな門を睨み上げていた。

 やがて車は小さな坂を登ってニジミ家の正門前に到着。助手席から渋々降りた巡査が門を叩いた。


 すると、門が僅かに開いて五十を過ぎたであろう女中が、にゅうっと顔を出してきた。

「何の用でございましょう」

 白いものが混じった傷んだ髪を後ろでまとめ、落ち窪んだ目に頬の削げた死相のような顔。来訪者三人は思わず固まってしまう。


 女中は口を閉ざしたまま、生気のない目で巡査を睨みあげる。マノは気まずそうにしている巡査を押し除けて彼女の前に出た。

「私は皇都の出版社の者です。こちらの村に女性が一人、尋ねてきていると伺いました。もしやお心あたりがあればと思いまして」


「しりません」

 女中の口がボソリと動く。それ以外で表情が動いた気配はない。

「おかえりください」

 殆ど口を動かさずに喋る。しびれを切らしたマノは語気を強めた。

「いいえ。そういう訳には参りません。我々が探している方はとても重要な人物です。もし彼女の身に何かあってごらんなさい。あなた一人……いいえ、村の住人の方々が昔のような酷い汚名を被る事になりますよ。人柱を捧げる野蛮人の村とね!?」


 女中の死人めいた仮面に動揺の色がはしる。その隙をつくようにマノは彼女を押しのけて門を潜る。その後ろに腹を決めたヒヨスの夫と、帰りたそうに眉をひそめる巡査が続いた。


 ……正門を潜るなり、下男らしき男たちが四人、奥の玄関から出てきた。煤に汚れた野良着やシャツなど服装はバラバラで、それぞれ樫の棒やら鎌を手にしている。

 それよりも特筆すべきは、先ほど女中同様に揃いも揃って、やはり生気のない死相じみた無表情であることだろう。


(なんなのだ、この村は!?)

 マノの背筋が急速に凍て付く。そこへ、下男の間をかき分けるように男が一人出てきた。


 真新しい上物の羽織に着流し姿。禿げた頭に薄ら白髪を散らし、やつれた痩せ顔は土色である。そして例によってこの男も……死相じみた無表情だ。


「私、ニジミ家当主のシミ蔵と申します。何用でございますか?」

 マノは勢いもそのまま、ヒヨスを探している旨を尋ねる。意外にも男、シミ蔵はすんなり答えた。

「その方でしたら、当家にて御身をお預かりしております」


「か、彼女を返して下さい!」

 ヒヨスの夫が身を乗りだす。

「残念ながらそのような要求は呑めません。何しろあの方は……」

 シミ蔵は濁ったガラス玉のような双眸で三人をぐるりと見返した。


「あの方は選ばれたのです。ナマナレ様の生贄に」

 生贄。その言葉にマノ達の背筋が凍てついた。


「生贄ですって? ナマナレ様に捧げるのは牛馬だけと聞き及んでいますが!?」

「確かにその通りです。しかし、あの方は生贄に捧げなければならない。それがナマナレ様の怒りを買った者の禊なのです」

「禊!?」

「あの女性はナマナレ様の祠を壊しました。それが故意か、それとも成り行きによるものかは定かでは有りませんが、しかし咎は咎。それ相応の報い、つまりは自ら生贄となって頂くのがこの村の習わし」

 徐にシミ蔵が下男達に目配せする。それを合図に彼らはマノ達を囲んだ。ついて来い、と言っているのだ。


 そして三人は無言の圧によって屋敷の奥へと通された。廊下は果てしなく、どれだけ歩いても際限なく先へと続いているようだ。


 ……やがてたどり着いたのは、二間を繋ぎ合わせた広い座敷だった。


 用意された座布団にそれぞれが腰を下ろす中、横の襖が開き、子ども程度の背丈しかない老婆が、先ほどの女中に抱えられながら入ってきた。


 墨を塗りたくったような黒い着物に黒い袴、額には二本の蝋燭を挿した鉢巻を締めて、枯れ枝のような細頸に太い数珠まで提げている。

 そしてこの老女もまた、棺の中に納められた屍人じみた表情であった。


 その後に続いて入ってきたのは白装束に袖を通し、白頭巾で頭をすっぽり包み隠した小柄な女性。

 同時に漂ってきた別の臭いにマノは反射的に眉をひくりと動かした。

 それは食物が発酵したような、酢えた臭いに近い。

 脳裏に浮かんだのは、かつて北州出身の作家に食べさせられた、食材を米麹と共に長期間醗酵させる飯寿司だった。


 さて……。

 老婆が、そして白頭巾の女性が、横に並んで座る。

 しいんと、座敷が静まり返るのを見計らってシミ蔵が口火を切った。

「私の母で、村の祭祀を仕切っている巫女でもあるタレでございます。そして隣が……」

「ミナサン……ワタシ、デス……ヒヨス、デス」

 白頭巾から聞こえてくる、ザラザラ擦り切れた声。

 ヒヨスの夫がギョッとした顔になる。


「ま、まさか。ヒヨス!?」

「ヒヨス、デス……アタシ、ハ……」

「この女子はナマナレ様のお怒りを買われた。祠を……祠を壊した祟りを受けた!」

 と、タレが歯のない口を開け広げて叫ぶ。

「祟りじゃ! 祟りじゃあ!!」

「申シ訳ゴザイマセン。アタシハ、ナマナレ様ニ、コノ身ヲ捧ゲナケレバ、ナリマセン」

 もはや女性の声と形容さえできないザラザラした声でヒヨスは言う。


「祟りを鎮める方法はただ一つ。この者をナマナレ様への生贄に捧げること!」

 タレ婆が落ち窪んだ目でヒヨスを見上げて言う。


「そんな! そんな馬鹿な話があるか!」

 ヒヨスの夫が半狂乱になって喚く。妻を取り戻さんと身を乗り出すが、すぐさま下男たちに肩を掴まれて、座らされた。


「ヒヨスさん。さあ、その頭巾をめくられよ!」

 不意に飛び出した老婆の言葉に、ヒヨスの白頭巾を被った頭がビクリと動いた。

 そして、彼女の震える指が頭巾の端へとかかった。

 ペロリ。

 頭巾が下から次第にまくりあげられる。


 ぎゃあっ……!

 ヒヨスの夫が悲鳴をあげて卒倒した。巡査がその場に尻餅をつき、マノも想像を絶する光景に気絶しかける。


 マノの知るクリス亭アカザは、ユリ・ヒヨスは、ほっそりした顔に穏やかな微笑みを絶やさない、優しい面立ちをしていた。

 しかし、頭巾の下から現れたのは、鼻はおろか顔中の肉が膿んで溶けかけた赤黒い肉塊そのものであった。


 ヒヨス夫人の優しく細めた目は何処だ?

 ふっくらした白い頬は?

 ぐるぐると回る世界に、タレの不気味な声が響き渡る。


「これでご納得いただけたはず! ナマナレ様の祟りにより、このようなお姿となってしまわれた。怒りを鎮める方法はただ一つ。彼女自身が生贄となり、その咎を償うこと!」

「そうだ。生贄を……」

「ナマナレ様への生贄を」

 座敷の四方から、襖の向こうから、庭から、ニジミ家の人々が、ぶつぶつと低い声で唱えだした。それだけではない。塀の向こう側からも、村の住人たちが集まってきて声を重ねだす。


 生贄を。生贄を。


 嗚呼。自分もヒヨスの夫と同じように、早々に気絶していれば良かった。

 マノは無数の蛇が全身を這い回るような嫌悪に苦しみ退散するまでの間、一向に止まない呪詛を聞かされ続けたのであった。

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