怪盗貴族参上!-終
怪盗貴族はまた席につき、昔話をマキナに聞かせてくれた。
「フルトブラントは元々、ベルタンダ村の農夫の生まれでした。幼少の頃より絵の才能に掛けては右に出る者はいないと評判だったとか。そんな彼には、長年に渡って想いを寄せる女性がいました。彼女の名前はナイアス……私たちの偽名は、元々は彼女のものです」
ナイアスは地元郷士の一人娘で、村一番の美女だった。
「ナイアスには親同士の決めた許嫁がおり、やがて成長した彼女は家の取り決めに則り、許嫁の家……つまり、セリアンス家に嫁ぎます。その直前、フルトブラントは勇気を振り絞り、ナイアスにあるお願いをしたのです」
『君に絵を贈りたい。君だけの為に、世界に一つだけの絵を』
「そしてフルトブラントは、ベルタンダ村の郊外にある小さな泉にナイアスを連れて行き……そこで一枚の絵を完成させた」
それこそが畔の貴婦人であった。
「こうしてナイアスは畔の貴婦人と共にセリアンス家へ、フルトブラントはまるで彼女から遠ざかるように放浪の旅へと出た」
それから長い月日が経ち、フルトブラントは移住先のゲルマで天才芸術家としての名声を勝ち取り、時の人となった。そんな彼のもとにナイアスの訃報が届いた……畔の貴婦人を描いたあの日から、ちょうど十年が経過した頃であった。
どうやら、フルトブラントが絵描きとして大成していくのとは反対に、ナイアスの嫁いだセリアンス家は事業に失敗、零落の一途を辿っていたのである。
現当主は失踪、妻のナイアスも度重なる心労によって体を壊し、まもなく息を引き取ったという。
「フルトブラントが急ぎ故郷に戻ると、彼女の実家はもぬけの殻になっていた。夫の家の煽りを受けて、彼女の実家も財産を失っていたのです。フルトブラントが訪ねた時には既に、ご両親は自殺していた。ですが……ナイアスの遺した忘れ形見は奇跡的に残っていました」
……当時。フルトブラントは崩れかけの納屋から、赤子の泣き声が聞こえてくる事に気づいた。
急ぎ扉を開けてみると、一人の少女が粗末な寝台の上で、泣き喚く赤子をあやしていたではないか。
彼は言葉を失った。来訪者に驚く少女の顔は、かつて恋焦がれていたナイアスにそっくりだったのである。
それだけではない。少女たちの後ろに飾られていたのは、最愛の人に贈った筈の畔の貴婦人!
膝から崩れ落ちたフルトブラントは、その場で静かに、嗚咽を漏らしたのであった。
……
「……記憶をさかのぼれば、それが私たちと、お
怪盗貴族は穏やかな面持ちで言葉を結んだ。
黙って耳を傾けていたマキナが口を開く。
「畔の貴婦人は……君のお母さんへの贈り物だったのか。しかし君の話では、畔の貴婦人は再びフルトブラントのもとへ戻ってきたことになる」
「その通り。お義父様は終生に渡って『畔の貴婦人は手放した』と嘘をついて隠していたのです。お義父様は有名になりすぎた。彼の描いた絵となれば大勢の人間が強欲な目を向ける。だからお義父様は母への贈り物を、自身の思い出を、汚されたくなくて、嘘を……」
ですが、と怪盗貴族は言葉を続けた。
「一人だけ。秘密を共有していた人がいた。アキヅ人のサエグス・マウラ教授……あなたのお祖母様」
「フムン……ふむん? 何だって!?」
何の脈絡もなく突然出てきた祖母の名前に、マキナは素っ頓狂な声をあげた。怪盗貴族は小さく苦笑いをすると、話を再開させた。
「お義父様は芸術家ゆえに気難しい所がありまして。熱心な後援者であっても距離を取り、交友関係は殆ど有りませんでした。なのに、マウラおば様には何か思う所があったのでしょう。いつの間にか、何のきっかけかは不明ですが、友人の間柄になっていた」
怪盗貴族はテーブルの上に置かれたマウラの写真に目を落とす。
「不思議な方でした。自由気ままな猫とか、捉えどころのない雲とか、でも一緒にいると不思議と穏やかな気持ちになれる。幾ら言葉を並べても表現しきれないくらい、ユニークなお方でした」
「は、はは……」マキナの口から出てきたのはひきつった笑みだった。
「あの
「身内の僕が言うのもなんだが、打ち明けて下さったのが祖母で良かったのかもしれない。あの人は最期まで絵の秘密を守り通した」
「ええ。だからこうしてまた出会うことができた。あの人が……絵を守り続けてくれた。約束してくれたとおりに」
ホロリと怪盗貴族の目から涙が一筋落ちる。細長い指でそっと拭った後、また話しだした。
「……今でも夢に出て来ます。リーメス騎士団が家にやって来た日のことを。
当時、騎士団は戦争に反対する著名人を問答無用で拘束して回っていました。表向きは反政府思想の取り締まりという事になっていますが、本当の目的は、彼らが有する資産だった。
逮捕者は収容所へ送り、財産は全て没収。そうやって資金をかき集めたのです。
そして、私たちの家族も……」
……
……20年前。ゲルマにて。
「先生お早く!」
キャスケット帽にコートを着込んだ男二人が血相を変えて部屋に飛び込んできた。
彼らは市中で横行している焚書から、書物や美術品を保護するために活動する抵抗組織の運動員たちだった。フルトブラントは兼ねてより彼らと連絡を取り合い、作品共々亡命を計画していたのである。
「急ぎ地下通路へとお逃げください」
一人が荷造り中のフルトブラントの肩を掴んで歩かせようとする。
「どういうことだね。手入れは明日のはず」
「計画が漏れました。密告されたんです」
「報告では既に110番街の交差点を越えたとか。時間がありません」
もう一人が担いできたロールバックを開く。包まれていたのは、配管をつなぎ合わせたような外観の軍用短機関銃だった。
「子どもたちを起こさなくては!」
フルトブラントも緊迫する事態に顔色を悪くする。
「ご安心を。サエグス教授が連れて来てくれます」
「マウラまで来ているのか!?」
異国の民俗学者サエグス・マウラは、フルトブラントの数少ない友人だった。亡命を決めたのも、地下運動に協力していた彼女の強い後押しがあったからである。
フルトブラントが背中を押されながら部屋を出ると、急に外が騒がしくなりだした。
また別の運動員が階段を駆け上がってきた。
「門の前に車両複数。秘密警察の奴らだ、武装している!」
「マックス、フランツは窓につけ。オットーは俺と階段を死守」
「ハンナ、先生を連れて行ってくれ。後で落ち合おう」
運動員たちは銃や爆弾を手に持ち場へとつく。フルトブラントは子どもたちの名を叫びながら、女性の案内役に引っ張られていった。
一方、屋敷の離れにあるアトリエに、フルトブラントの養子たちを探す女性がいた。
厚手の外套を着込み、マフラーで顔の半分を隠したサエグス・マウラである。
「坊やたち。どこにいるの!?」
本邸ではなく離れのアトリエを探していたのには理由があった。
姉弟たちは夜中寝付けないと、義父のアトリエに忍び込んで作品を見る習慣があった。
二人は寝室にいなかった。となると、探すのは……。
マウラは展示室のドアを開ける。
いた。まだ七歳にも満たない幼い弟、そして彼の手を握って戸棚の前に立つ姉のエリス。
寝巻き姿のエリスはキョトンとした顔をマウラに向けた。弟の方は空いた手でゴシゴシ目をぬぐっている。
「マウラおば様。どうしたんですの、こんな夜遅くに?」
「良かった。無事だったのね」
マフラーをずらして顔を晒すマウラ。状況が状況なだけに、滅多に変化のない表情にも安堵の色が浮かぶ。
しかし、邂逅の安堵は長くは続かなかった。本邸の方から銃声や怒号が聞こえ始めたのである。
「ここから逃げなければ。私について来てちょうだい」
「お、お父様は!?」
エリスが青ざめた顔で尋ねる。
「後から追いつくそうよ。だから私たちで先に行くの」
「嫌よ! みんなで一緒に……」
エリスは怯えて震える弟を抱きしめながら言い返す。しかし本邸の銃声が止み、アトリエに近づく複数の足音が聞こえてきたことで、エリスは嗚咽を漏らしだした。少女は幼いながらも理解したのだ。銃声が止んだ、抵抗が終わった。つまり父親は……。
「マウラおば様。に、逃げるのなら、絵を。お母様の絵を持っていかないと」
涙を流しながらエリスは戸棚を指差した。フルトブラント本人から教えられた『畔の貴婦人』の隠し場所。戸棚裏の壁裏に隠された小部屋の中に絵は仕舞われていた。
意図を察したマウラが戸棚に手を掛けようとした、その時である。
「くまなく探せ。絵画、美術品、その他金品は全て回収しろ!」
秘密警察が来た。
エリスは弟をより強く抱きしめる。恐怖のあまり、もはや言葉すら話せなくなっているのだ。マウラは二人の姉弟を優しく抱き、それからできるだけ普段の穏やかな口調に近づけて話した。
「大丈夫だからね」
そう言い残すと、覚悟を決めた顔つきで展示室の外へと出て行く。残された姉弟は互いに身を寄せ合いながら、マウラの無事を神に祈った。
……
「マウラおば様は展示室に秘密警察を入れないよう、アトリエの玄関先で抵抗して下さった。言葉の通じない使用人のフリをして、指揮官の足にしがみついたんです。離れるように強く引っ張られたり、銃の台尻を押し付けられても、岩のように拒んで離れなかった……」
怪盗貴族はふぅっと、小さくため息をつく。
「どうして私達がそれを知っているか、疑問に思われるでしょう。簡単です、彼女が抵抗を続けている間に私たちは捕まり、裏口から外へ連れ出されていた。その後のことは……ここに書いてある通り」
と言い結んで、511計画の記録を摘み上げた。
「質問をしても?」
マキナはそっと尋ねる。怪盗貴族が手を差し出して合図すると彼女は最大の疑問をぶつけた。
「ずっと気になっていた。君が自らを『私たち』と呼んでいるのか」
怪盗貴族が憂いに満ちた微笑みを作る。
「私たち姉弟は共に実験を受けました。そこでお互いの体は溶けて、混じりあってしまったのですわ。同じコップに、異なる二種類の液体を注いで、シェイクするようにね。そして目が覚めた時、ボクの顔と体は、姉のエリスになっていた。いいえ、もしかしたら貴女と話している私がエリスで、弟だと思い込んで、そのように振る舞っているのかしら。どうなんだろう、記憶も感覚も、何もかもが曖昧なの」
話している間も、怪盗貴族の姿はシキになり、次はセイタロウ、ドクター・バイス、そして目の前にいるマキナへと短時間で変わっていく。マキナは背筋が急速に凍てつく感覚を味わいつつも、怪盗貴族を真っ直ぐ見据えた。
「こんな体になってしまった私たちですが、怪我の功名とでも言いましょうか。手に入れた力を使って、収容所を脱出する事ができたのです。その後は色んな人間に変身しながら、絵の行方を探してきました。美術品だけを狙う泥棒になったのも、騎士団に潜入したのも、全ては絵の手掛かりを得たいがため。でも、それもこれでお終い」
ようやくエリスの姿に戻った怪盗貴族は、ソファに背中を深く埋めながら、天井を仰ぎ見た。
「ああ……何だか、体が軽くなった気がします。ずっと胸の内に、ずっしりと……重たいものが燻っていたのに。それが急にフワリと消えた」
「緊張の糸が切れた?」
「かもしれません。それか、ようやく私たちの秘密を、人に打ち明けることができたからとか」
「そうか……では、この後はどうする? まだ泥棒稼業は続けるのかい?」
マキナの問いに怪盗貴族はゆっくり首を振った。
「いいえ。もう絵を盗み続ける必要はなくなりましたから。そういえば、何も考えていませんでした。ずっと、母と再会する事だけしか考えてこなかったから。しかし、これだけは必ず、言わなければと思っていたんです」
怪盗貴族を名乗ってきた姉弟は、再び慈愛に満ちた眼差しを絵に向けた。
「ただいま。お母様」
(了)
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