怪盗貴族参上!

怪盗貴族参上!-1


  戦後復興からの好景気に湧く皇都こうと都内で、ヤタノ財団理事長、サエグス・リサの誘拐事件が発生した。

 事件そのものは被害者のリサ夫人及び、ヤタノ財団による自力解決という形で早期に終幕した、との噂であった。


 そう。噂である。つまり事件は一度も公にされる事なく、いつの間にか存在そのものが闇の中へと葬り去られていたのだ。


「すると、サエグス夫人誘拐事件の下手人は、あのリーメス騎士団だってえのか」

 潮目しおめ新聞のカワラ記者はそのように言うと、蕎麦つゆに濡れた口を麻色シャツの袖で拭った。


「懐かしい連中の名前が出て来たなあ。リーメス騎士団ってのはアレだろう、大昔からゲルマの政治中枢を牛耳っていたとかいう秘密結社。ゲルマが南北に分断してからは、噂のウの字も聞こえて来なかったのに。まだ生きてたか」

「生きてたんだよ、これが。ゲルマ統一なんてお題目掲げてさ、スポンサーどもの使いっ走り……要はチンケな商売で日銭を稼ぐ三流テロ屋に成り下がってな。サエグス・リサ……ヤタノ財団理事長を狙ったのも、騎士団のスポンサー企業が、テメエらの商売を有利にさせる為にちょっかい掛けたってとこみたいヨ」

 などと解説するのは、カワラと肩を並べて立つ四十路ばかりの男。キャスケット帽を目深に被った彼もまた潮目新聞の記者だった。


 二人は晩秋の夜空の下、住宅街の路地裏で、夜泣きそばにありついていた。

 荷車に載せた屋台の前で、湯気を上らせる丼を持った記者二人は会話を続けた。


「んで、誘拐は結局失敗したんだって?」

「夫人が財団やら、鷹の町に住んでる昔馴染みやらに助けを借りて追い返したとか何とか。夫人が治安警察にそう証言したらしい。

 んで、警察が誘拐に使われた工場跡地に踏み込んだ時には、騎士団の奴らは逃げた後だった。オレが知ってるのはここまで。何しろ財団が話が表に出ないよう、あちこちに手を回して情報を握り潰してしまったんでな」


「そりゃあそうだ。被害者とはいえ、テメエん所の親玉の身に起きたスキャンダル。何が何でも隠してしまいてぇさ」

 そこまで言うと二人は会話を止めて、無言で蕎麦を啜った。屋台の店主は二人に蕎麦を供してからずっと背中を向け、黙々と仕込みの作業をしている。


 ズルズルズル。しんと静まり返った路地裏に、蕎麦を啜る音がよく響いた。

 やがて先に蕎麦を食べ終えた同僚記者が器から顔を上げた。その表情は食事中にも関わらず、不機嫌なシワが刻まれていた。


「お節介なのは承知で言うけどヨ、カワラ。首を突っ込む先はよく選んだ方がいいヨ?」

「……と、言うと?」

 もぐもぐ蕎麦麺を頬張りながら、横目で見返す。

「この間からずっと防衛隊のサエグス中将の周りを嗅ぎ回ってるんだって? 夫人誘拐のネタを知りたがってるのも、結局のところは旦那が目当てなんだろう?」

「さて、どうだろうな」


 とぼけたカワラは一心不乱に蕎麦をすする。同僚記者はお構いなしに言葉を続けた。

「ちょっかい出すのは止した方が良い。サエグスってのは曰くつきの名家で、国のあちこちにコネがあるって噂だ。下手に刺激したらマジで危ない」

 カワラは答えない。相変わらず蕎麦を啜り続ける。


「それとも何だ。お前さんがデスクに怒鳴られても追い続けている、あのくろがね鬼。まさかアレと関連してるのか?」

 質問を投げられたカワラは、ゴゴゴと音を立てて、器のツユまで一滴残らず飲み干す。

 そして空になった器を屋台に置くと、ニヤリと笑ってみせた。


「それがちっとも分からねぇから追いかけてんだ、アタクシは」


 カワラは代金を払うと、まん丸い太鼓腹を満足そうにさすりながら去っていく。その背中を見送った同僚記者は「忠告はしたからな」と、渋面で呟いた。


「お客さん。コイツは奢りだよ」

 ずっと黙っていた屋台の店主が口を開いた。

 同僚記者が振り返ると、縁の欠けた皿が目の前に置かれていた。その中央には折り畳まれた一枚の紙。

 同僚記者は紙を開いて内容に目を通した。


「明朝6時。そこに書かれている場所で待っていれば、口の軽い警察関係者が現れる。お宅がいま欲しがっているネタ、話してくれますぜ」と、相変わらず背を向けたまま店主は言う。


 同僚記者は複雑な面持ちで紙を見下ろしながら、店主の背中に言葉をぶつけた。

「一体アンタは何者なんだ。警察って感じはしない、まさかサエグスの……」

 言葉が途切れた。同僚記者は口を半開きにさせたまま、そっと隣をみる。


 いつの間にか工員風の老人が隣に佇んでいたのだ。近づいてくる足音も気配すらもなく、まるで夜の暗闇から生えてきたように、現れたのである。


「あの記者はタクシーに乗って移動しました。ウマノ沢の方角です」と、老人は静かに話す。

「残念だ。せっかくの忠告が無駄になってしまって」

 蕎麦屋の店主が振り返る。七三に分けた黒髪に瓜のような長い顔。その表情は普段とは打って変わり、凍てつくような冷たいものであった。


 同僚記者が息を呑んで固まっているのを尻目に、サエグス家の執事フルミは老人に指示を下した。


「引き続き監視を徹底しろ。万が一の事態が起きたらやむを得ない、黙って貰うよう『強く説得』する。我々のやり方でな」


 ……


「そんなあ。おセイちゃん、結局帰って来なかったのお!?」

 翌朝。サエグス夫人こと、リサは朝食の席で落胆の声をあげていた。

「なんでも来年度の予算にまつわる仕事が立て込んでいるとか、今週はずっと泊まり込みになるとか何とか」

 執事のフルミが長い瓜顔に苦笑いを作って言った。


 白いワイシャツの上に印半纏という、旅館の番頭じみた格好は、シックな雰囲気に彩られた洋風な食堂に、些か不釣り合いといえる。しかし、この屋敷の人々は執事の風変わりな恰好にも慣れきっており、わざわざ口を出す事も無かった。


「せっかく仕事の合間を縫って、ようやく帰ってきてやったのに。こんな美人を放置して仕事だなんて罰当たりだぞ、おセイちゃん!」

 オリーブ色の肌は瑞々しく、肩まで伸ばした褐色の髪にも艶がある。ゆったりした緑のガウンを着たリサには加齢を感じさせない若々しい雰囲気が漂っていた。


「ねえ、ねえ。パパが帰って来てくれないンならさ、いっそのこと、こっちから乗り込んでみない?」

 そう言って、ほっそりした小顔を円卓の向かい側に向けた。対面して座るのは、リサとよく似た、彫りの深い細面の若者。短く切った褐色の髪と精巧に整った美貌、そして男ものの赤シャツと黒ズボンが合わさる事で、線の細い若い男にも見えるし、麗しい女性にも見えた。


「いつもなら名案だと答えるけどね、ママ。今回ばかりは自重をお願いしたいな」

 などと、サエグス家の三女マキナは、中性的な声で言葉を返した。

「ママは有名人なんだから。あわや戦後最大の誘拐事件になりかけた、大騒動の被害者」

「その割にアタシの周りは静かそのものよ。むしろ、何にも起きなくて退屈なくらい」


「姉さん達や、財団の皆んなが苦労している証拠さ。ニュースが広がらないようにあちこちへ口止めしたり、捕まえた騎士団の奴らを大使館経由でこっそり本国へ送り返したり。後でちゃんと御礼を言って回った方が良い」


 マキナの姉達、エニアとユニアの双子姉妹は理事長付き秘書として、公私に渡って母親を補佐している。二人は件の誘拐事件の後始末をすべく、ひと足先に財団本部へ戻っていた。


「昨日の晩、電話をかけてみたよ。あの二人が珍しくボヤいていた。ママの『大活躍』を嗅ぎつけたカストリ雑誌が、連日財団に突撃しに来るって」


 カストリとは戦後闇市で流通した粗悪酒……の事ではなく、粗悪な紙に粗雑な駄文を書き散らした低俗安価な娯楽雑誌の通称である。


「放っておけば良いのに。カストリがどれだけ騒いだところで、3号刷った辺りで廃刊どころか会社ごと無くなってるもんでしょ」

 他人事のようにリサは答えた。母親からしてみれば、もはや興味のない過去の出来事となっているらしい。


 ……結論から言うと、ちょっかいを掛けてきたリーメス騎士団はサエグス家と、財団の逆襲に遭って壊滅した。リサの身柄を抑えたまでは良かったが、彼女の尋常ならざる素手喧嘩ステゴロの前に制圧されてしまったのだ。

 更に脅迫手段に用いた人形重機はマキナとゴウライオーによって撃破。そして本国の騎士団本部も、ヤタノ財団によって資金供給の手段を全て潰されてしまっていた。

 こうして、エウロパ大陸で暗躍を続けてきた秘密結社リーメス騎士団は、その長い歴史に幕を下ろしたのであった。


 こうして平穏を取り戻したリサは、クラムチャウダーをひと匙、すっと吸った。

「あら。このアサリ、肉厚だわさ」

「今年はよく肥ったのがたくさん獲れたらしい。あちこちからご好意でたくさん貰ったのは良いケド、腐らせずにどう消費したらいいか、コックが頭を抱えていたよ」

「しばらくはアサリ生活?」

「だとしたら困ったね、ママ。美味しいからって食べ過ぎでもしたら、その内に僕らもこのアサリのようにまん丸と太ってしまう」

「そうねえ。この間の誘拐よりずっと悩ましい困り事だわ。どうしましょう」

 などと、親娘が冗談を交えて談笑していると……


「奥様! お嬢様! たたた、大変にございますぅ!」

 一度外していたフルミが血相を変えてドタバタ戻ってきた。


「ええ、何なに。もしかしていち大事? 今度はイルカでも攻めてきた?」

 軽く腰を浮かせるリサ。狼狽える執事とは反対に、夫人の目は活き活き輝いていた。

 新たな刺激を期待する母親に呆れつつ、マキナは落ち着いて続きを促す。

「落ち着きたまえ、フルミ。一体どうしたというんだい?」


「も、門の前に大勢の記者が押し寄せてきて。それも、先日の事件とは別の用向きで」

 執事の報告にサエグス親娘はポカンと気の抜けた顔を見合わせた。

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