第16話 斥候のお仕事

 この建物には透明なガラスがはめられた天窓が一つあるだけで、外と直接つながっているのはさっきあたしが通り抜けた長方形に切り取られた箇所だけだった。

 天窓から月明かりが降り注いでくれているおかげで灯りがなくても何とか歩けそうだ。


 建物に踏み込んだあたしはすぐに手で鼻と口を押さえた。その原因は建物内部がお酒の臭いで充満していたからだ。一滴も飲んでいなくても、ただこの空間で息をしているだけで酔えそうなほどだ。

 空き瓶がそこらかしこに転がっている中、数人の盗賊が気持ちよさそうにいびきをかいて眠っている。


 あたしとリーガルはそんな薄暗い建物内を一歩また一歩と奥に進んで行く。

 空き瓶が大量に散乱する中を足音一つ鳴らさず器用に歩くリーガル。

 その後ろでは空き瓶や盗賊を踏まないかと常にヒヤヒヤしながら歩くあたし。


 それから一分ほど進んだところでリーガルの足がピタッと止まった。

 目の前でいきなり急停止したことであたしは顔面を思いっきり彼の背中にぶつけた。


 あたしはヒリヒリする鼻をさすりながら小声で話しかける。


「急に止まらないでよ、リーガル。これ……絶対、鼻が赤くなってるよ」

「あ~、ごめんっす。ちょっと考えごとをしてたっす――」

「……えっ、いまこの状況で?」


 まさかの返答にあたしはポカーンと口を開けつつ体を傾け、前にいるリーガルの顔を覗き込んだ。しかし、リーガルは反応しないどころか一点を見つめたままピクリとも動かない。


 あともう少しほんの数歩前に進むだけで、反対側の壁にたどり着ける。その周りだけなぜか空き瓶の一つも転がっていなくて、それどころか盗賊すらもそこを避けるように眠っていた。

 その場所には場違いなくらい豪華な絨毯が敷かれていた。そこで休憩したいという欲望が先に出たけど、すぐにふとある疑問が浮かんだ。

 それはあの絨毯が敷かれている場所に本来なら親玉がいたんじゃないかということだ。

 あたしの予想が的中しているとすればもうここにやつはいない。だとしても本当に部下だけ残して自分だけ逃げるなんてことがあるのか。


「でも、まさか本当に……?」

「……いや、それはないっす。親玉はそこで腹を出して寝てるやつっす」


 リーガルは独り言を聞いていたようであたしに正解を教えつつ、右斜めを指差しながら絨毯まで歩いて行った。

 色々と言いたいことはあったが、とりあえずあたしも絨毯まで移動することにした。


「親玉のことも気になるけど、まずはその前に急に黙り込んで何を考えていた?」

「あ~、それを教える前に一つ目の目標を済ませるっすね。すぐに終わるんでちょっと待ってて欲しいっす」


 リーガルはそう言うと熟睡している親玉のところに向かって行った。彼は逆手に持ったナイフをグッと握り締めると、もう片方の手で親玉の口を押さえつけた。

 彼はフッと軽く息を吐くと、ナイフを勢いよく喉元に突き立てた。


「……あ、あう、ぐああ……う……」


 助けを呼ぼうにも口を押さえられ叫ぶことはできず、喉元から流れる血液は傷口から逆流し気道を圧迫していく。泥酔し眠っていたことで体を動かそうにも左右に揺れることしかできなかった。

 そして数秒ほどで親玉は動かなくなった。


 リーガルは口を押さえていた手で親玉のまぶたを閉じると、突き刺したナイフを引き抜かずに絨毯まで戻って来た。不思議なことにあれほど激しく突き刺したというのに、リーガルは返り血一つ浴びていなかった。


 さすがに死ぬ瞬間を間近で見るのはいまのあたしには少々刺激が強すぎたらしく、今度は心臓がギュッとなるどころか、頭の中が真っ白になってしまった。


「お、おかえり……そ、それで、えっとなんだっけ……?」

「大丈夫っすか。目は泳いでるし、どもってるし……あれ、もしかしてリーティアって、こういうのは初めてっすか?」


 あたしは項垂れ「……う、うん」と弱々しく返事をすると、リーガルは頭をポリポリとかきながら「きついなら、外で待機しといてもいいっすよ?」と場から離れることを提案してきた。


「だ、だいじょうぶ。これぐらい何ともないよ……」

「その割には顔色も悪いっすけど、まぁリーティアがそう言うなら最後まで付き合ってもらうっすよ」

「まかせなさい……這ってでも最後までついて行くよ」

「その意気っす。じゃ、次の目標に向かうんで、ちょっと絨毯からどいてもらっていいっすか?」

「……あっ、うん。分かった」


 あたしはリーガルに言われるがまま絨毯から足を退けた。その後、リーガルも同じように絨毯から離れると、絨毯の端を掴みクルクルと器用に絨毯を丸めていった。

 絨毯の丸め終えたリーガルは「次の目標っす」とあたしを見ながら床を指差した。

 リーガルが指差した場所だけ他と色が違っていた。建物は壁も床も灰色に近い色をしているのだが、ここだけは血のように赤かった。

 リーガルは屈んでその色違いの床にある二つのくぼみに手をかけ、ゆっくりと持ち上げると丸まった絨毯にそのまま立てかけた。

 その床は地下につながるドアだったようで、その先には徐々に暗くなる階段が見えた。


「ふぅ~、木の板とはいえさすがにしんどいっすね。んじゃ行くっすよ、ここからまた暗くなるっすから足元とフラガラック注意っす。あ~、それと言い忘れていたっすけど、この先はさらに色々と心構えしといて下さいっすね」


 リーガルはそう言葉を残すと足早に地下へと続く階段を下りていった。


「えっ、それってどういう……あっ、ちょっと待ってよ!」


 あたしはフラガラックが階段や壁に当たらないように気をつけながら彼のあとを追った。

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