第3話 奴隷の少女
訓練が終わり、午後になると私は奴隷たちが押し込められたテントに向かう。
(……相変わらずの酷い匂いだ)
生臭い交尾の匂いと甘ったるい香の残り香、その二つが混ざり合い吐き気を催すほどの不快な匂いの中、藁の敷かれたテントの中を歩いてく。
広いとは言えないテント内を歩けばヒューム、エルフ、ドワーフと様々な人族の男女が私を見ていた。
薄い布切れにしか思えない最低限の簡素な服に身を包時折私を見て怯えた表情を私に向けてくる。
彼ら彼女らに視線を向ければ顔を強張らせ、ガタガタと体を震わせ、中には放尿をする者までいるという始末であり私はその様子に辟易とする。
(……まぁ、それだけのことを奴隷たちにしてきたからな)
奴隷は人ではなく所有物の扱いを受ける者たちであり明確な弱者だ。
人族社会では売買も所有も禁じられているが、魔族社会において奴隷は実力の証であり所有がごく当然に行われている。
奴隷の主な用途は労働力であり家事などは基本的に奴隷の仕事であり、肉盾や酷い時には憂さ晴らしに殺されたり性欲の捌け口として凌辱される。
目の前で同族が殺される――そんな地獄を見続ければ同じ奴隷階級ではない魔族に対して恐怖を抱くのは無理のない話だ。
(……こういうのを見ると、魔族であることが嫌になる。無論、魔族から抜け出すことは出来ないが)
この世界の人間は大きく人族と魔族に大別される。
文明を発展させ生命を育むことを尊ぶ人族。
文明を破壊し生命を殺すことを愉しむ魔族。
互いに人であるがそのあり方は二律背反であり、人族と魔族は何千年という時間を争ってきた。
バジリスクは魔族の『貴種』であり多くの人族を殺してきた。人族の領域に入るだけでも人族の法では罪となり極刑に処される。
それほどまでに、人族と魔族の溝は深い。
「あ、アビーちゃん!」
奴隷の人族たちの片隅にいた少女が私に気づき、不似合いな明るい声をあげる。
三つ編みにした焦げ茶色の髪を揺らしながら駆け寄ってくる少女に私は笑みを向けた。
「ようフランメ。元気そうだな」
「うん!アビーちゃんも元気?」
「まあな」
ニコニコと笑顔を浮かべるフランメの頭を撫で、少女は嬉しそうに体を揺らす。
フランメはこのテントに住む人族の奴隷だ。何年か前に親父が襲撃した村で生き残り、馬の雑用係として連れてこられた。
そして、私の種族を超えた友人でもある。
(無論、合理的な目的のために作った友人ではあるが)
私はフランメを連れて外に出て、馬房へと向かう。
(特に言語や文化を知るのに人族との接触は必須である以上、人族の奴隷というのは有益だ)
魔族は魔族語と呼ばれる言語で話し、人族の多くは交易共通語と呼ばれる言語で話す。
文字は勿論、発音や単語、文法すら異なるため人族とコミュニケーションを取るためには必須といえる。
実際、私が人族と会話出来ているのは奴隷たちに教わったからに他ならない。人族のことを教えてくれた奴隷は他の魔族に殺されシチューの具材になったが。
集落の端近くにある馬房に到着するとフランメと共に馬房の中に入っていく。
馬房の中は馬の獣臭と藁の匂いが混ざった臭いが充満しており、既に何人かの奴隷たちが働いている。
フランメは慣れた手つきで馬の毛並みを整えていき、私もまた馬糞の回収をしたりと馬の世話を手伝う。
「アビーちゃんは馬が好きなの?」
放牧に出た馬を馬房に帰していたフランメの問いに首を傾げる。
「……さて、な。剣士が剣の整備をするようなものだ、義務感半分といったところだろうな」
馬に餌を与え、馬の頭を撫でながら少し考え、答えを口にする。
魔族は基本的には略奪民族。集落を襲い、人や食料を奪い、自分たちが食す。多少の狩りや採集はすれど、略奪が大部分を占める。
この集落も例に漏れず平原を行き来し商人や集落を襲い略奪し生計を立てている。
その際の移動手段が馬。平原での略奪では機動力が重要で、そのためこの集落で産まれた魔族は幼い頃から馬の調教や整備、騎馬などの馬術を仕込まれるのだ。
「しかし、何故そのようなことを聞く」
「うーん、あまり魔族の人たちは馬の世話をしにこないから」
「確かに」
親父含め、魔族というのは多かれ少なかれ快楽主義的な側面が強い。
種族差やコミュニティでの立場もあって従わせれているのであれば話は別だが、基本的にやりたくないこと、興味ないことに関してはどんなに必要でもやりたがらない。
「私は変わり者だ。人族の事は嫌っていないしその文化を理解しようとしている。だが、他の魔族が私のような価値観ばかりでは無いことを念頭に置いておけ」
「うん。でも、私はアビーちゃんの事好きだよ?」
「そうか、ありがとう」
満面の笑みを浮かべるフランメから顔を背け、僅かに笑みを浮かべる。
馬たちの調子を確かめ終えると馬房から出ていく。
「あ、アビーちゃん」
人族の地理に関する本を読もうとテントに戻っている途中でネクスが声をかけてくる。
自分と比べ感情豊かなネクスは年相応の笑顔を浮かべ、
「今から奴隷を使った訓練するけどアビーちゃんも参加しない?」
「それはあれだろ、逃げる奴隷に死ぬまで投擲用のナイフを投げて投擲技術を鍛える訓練だろ。断る」
使い物にならない奴隷は不必要だから殺す。
多くの命を奪い、それを肯定する環境は不健康極まりない。
「えー、良いじゃんやろうよ」
「不必要に人を殺したくないからな」
頬を膨らませ不満を口にするネクスに辟易としながら肩を竦める。
「それに、私は戦いの中で命を賭ける実感、そして生き残ることで得られる生の実感を好んでいるだけ。人殺しは必要でなければやりたくない」
「んー……面倒くさい」
「だろうな。それじゃあ私はテントに戻ってるから用事があれば声をかけてくれ」
ネクスを背にし、私のテントへ足を向ける。
足を進める中、ふと魔族の玩具として殺された奴隷の亡骸に冷たい視線を落とす。
(魔族である以上殺人は避けれない。殺す覚悟も、殺される覚悟もしている。だからこそ、死に面して抗わない者たちは必要なければ殺さない。殺す価値すらない)
抵抗は人が人であることの証拠だ。
だからこそ、抗わない者たちは、奴隷であることを享受してしまった奴隷たちは人であることを捨てたものでしかない。
「全く、奴隷という存在は許し難いものだ」
奴隷の亡骸に背を向け、再び私は歩き出した。
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