第188話 押し込めていた叫び




 ノーラが、エウリアスに向かって必死に手を伸ばす。

 血走った目で涙を流し、笑顔を浮かべて。


 そのノーラの胸に、エウリアスの長剣ロングソードがスッと入り込む。

 ノーラは目を見開き、その表情をきょとんとさせ、すぐに腕が落ちた。


「ぼ、坊ちゃん!?」

「これ以上……母上を苦しめないでいい。」


 エウリアスは長剣を払うと、鞘に収めた。


「エウ、其方……。」

「すまない。少しの間だけ、一人にしてくれないか。」


 一人にしてほしいと言うエウリアスを、グランザたちが悲し気な目で見る。


「十分でいい…………頼む。」

「分かりました。おい。」


 グランザが、部下に顎で部屋を出るように示す。

 そうして自分も部屋を出ると、振り返ってエウリアスを見た。

 だが、声はかけずにそのままエントランスに向かった。







 エウリアスは、ノーラの亡骸の前で立ち尽くした。


 母と弟を、この手で殺した。

 如何なる理由があろうと、二人の行ったことは許されることではないだろう。

 だが、如何なる理由があろうと、エウリアスが母と弟の命を奪ったことも、事実だった。


 ノーラの亡骸を見下ろし、エウリアスは意識して口の端を上げた。


「は、はは……。」


 自嘲気味に、何とか笑ってみようとした。

 だけど、上手く笑うことができなかった。


 今度は神妙な表情で、泣いてみようとした。

 だけど、やっぱり涙は出なかった。


「どうしてかな……。」


 悲しくて泣くことも、やっと悩みの種が無くなったと、喜ぶこともできない。

 空虚だった。

 たとえ血が繋がらなくても、ノーラもアロイスも家族だったのだ。

 その家族の命を奪ったというのに、この虚しさはなんだ?


 嫌われていようと、憎まれていようと、それはエウリアスが二人を嫌う理由になるとは思わなかった。

 嫡男なのだから、一族の者は守らないといけないと。

 それが、領主たる者の義務だと、信じていた。


 身動ぎもせず、亡骸を見下ろす。


「……かた、…………ないか……っ。」


 不意に、喉が「くっ……」と鳴った。


「……仕方ないじゃないかあっっっ!!!」


 エウリアスの口から出たのは、何年も何年も、ずっと心の奥底に押し込めていた叫びだった。


「俺にどうしろって言うんだっ! 生まれた時から俺が長男なんだよ! 嫡男なんだよ! 法律で決まってんだよっ!」


 エウリアスは、振り向き様に椅子を蹴り飛ばした。

 エウリアスに蹴り飛ばされた椅子が、ガタンッと転倒する。


「長男が邪魔だぁ!? だったら来んなよ! 嫁いでくんじゃねーよ! 分かってたことだろうがっ!」


 ノーラも、政治の犠牲者だ。

 ラグリフォート伯爵家と、ウェイド侯爵家。

 二家の政治による都合で、嫁がされた。

 そんなことは分かっている。

 だが、エウリアスが嫡男であるのも、また政治によるものだった。


「どうにもならないんだよっ! 法律で決まってんだからっ! 譲ることも辞退することもできねえんだよ!」


 嫡男なんて、なりたかったわけじゃない。

 なりたくてなったんじゃない。

 ずっと、そう言いたかった。


 譲れるものなら、とっくにエウリアスは嫡男であることを譲っていた。

 だけど、できなかった。

 法律で決められていたから。


 だけど、それ以上に言ってやりたいことがあった。


ノーラあんたが甘やかすから、アロイスあいつがどうしようもない奴になったんだろうがっ! アロイスに継がせたい? だったら、もう少し何とかしろよっ! ラグリフォート家を潰す気か!?」


 剣術も勉強も、何一つ身についていなかった。

 嫌なことがあると、面倒になると、ノーラに泣きついた。

 結果、家庭教師をつけても勉強から逃げ回り、騎士が剣の稽古をしてもすぐに投げ出す始末。


 エウリアスはテーブルの上の燭台を掴むと、壁に投げつけた。

 バキンッ、と燭台が壊れる。


「ハァ…………ハァ…………ハァ…………ッ!」


 エウリアスは天井を仰ぐと、両手で顔を覆った。

 荒い呼吸を、少しずつ鎮める。

 心を、鎮める。


「はぁーーーーー……っ。」


 大きく、息を吐き出した。

 手を下ろし、ノーラの亡骸に視線を向ける。


 だけど、本当は……………………こんなことが言いたかったわけじゃない。

 エウリアスは、ノーラの前に膝をついた。

 その手に、そっと自分の手を重ねる。


「もし……。」


 こんな仮定に、意味なんかない。

 そんなことは分かっている。

 だけど、もしも――――。


「一度でも愛情を向けてくれれば…………俺は、本当に譲っても構わなかったよ。」


 ゲーアノルトからエウリアスに家督を継がせることは、法律で決まっていた。

 これはエウリアスにもどうしようもない。

 だが、エウリアスが継いだ後は?


 もし、エウリアスに子供がいなければ?

 結婚しなければ?

 そのまま、出奔でもして行方不明になったら?


 勿論、今のような何事も放り出す弟に譲る気などない。

 だけど、エウリアスとともに学び、ともに剣術を磨き合い、切磋琢磨し、努力し合える。

 ともに笑い、ともに喜びを分かち合える、そんな弟だったなら。

 アロイスにならラグリフォート領を任せられると、そう思えた時には。

 もしかしたら、離れることも選べたかもしれない。


 大切なラグリフォート領だけど。

 大切な、家族のために……。


 エウリアスの手に、ポタリと涙が落ちる。

 震える唇で、何とか搾り出す。


「…………馬鹿野郎。」


 悲しみも、喜びもないけど。

 ただ、悔しかった。







■■■■■■







「あ、坊ちゃん。」


 エウリアスがエントランスから外に出ると、グランザがポーツスと打ち合わせをしていた。


「もうよろしいので?」

「ああ、すまなかった。準備はどうだ?」

「粗方は。ほぼ、予定通りでいけそうです。」


 エウリアスは頷くと、ポーツスを見る。


「やっと解放された、と休ませてやりたいところだが……。」

「はい。私も先程、グランザより聞いたところです。まさか、このままレングラーの駐屯地まで攻められるとは……。」


 ポーツスが、やや驚いた顔で言うと、エウリアスは苦笑した。


「本当は父上の安全を確保するつもりで、まずはこの地域一帯の支配権を取り戻すつもりだったんだよ。」


 そう。

 エウリアスは今夜中に、ラグリフォート家の屋敷と、近くの駐屯地の二つを落とす計画を立てていた。

 この計画はゲーアノルトの安全を確保するために、二つの意味があった。


 一つは、周辺の敵勢力の排除。

 もう一つは、戦力の増強だ。


 エウリアスは、元々三十人の兵士しか連れていなかった。

 だが、屋敷を奪い返したことで、閉じ込められていた百人以上の騎士たちを手に入れた。


 彼らは半月以上もロクな食事が与えられていないため、本調子ではないだろう。

 だが、そんなことを考慮してやれるような余裕は、エウリアスたちにはない。

 そのため、簡単な物を急いで作らせて食事を摂らせ、即出撃という無茶な計画だった。


 駐屯地を落とせば、そこに閉じ込められている兵士は千人を超える。

 レングラーの町の近くにある駐屯地は、領主の屋敷に近く、またラグリフォート領の中心にあるため、領地でも要のような駐屯地なのだ。

 ここを奪い返せば、辺り一帯を支配する足掛かりにもなる、非常に重要なポイントだった。


 エウリアスが話をしていると、騎士たちがぞろぞろとやって来た。

 みんな装備を身につけておらず、顔色も良くない。


「エウリアス様、申し訳ありませんでした。」

「「「申し訳ありませんでした。」」」


 先頭の騎士が跪くと、後に続いていた騎士たちも跪いた。


「何があったのか聞きたい。どうしてこんなことになったのか。……教えてくれるな?」

「はい。」


 そうして、ラグリフォート領の支配権が奪われた簡単な経緯を知ることができた。

 話を聞き、エウリアスは肩を落とす。


「いきなり父上が押さえられてしまっては、お前たちではどうしようもないな。」


 ポーツスの言っていた通り、ゲーアノルトはムルタカ子爵領に向かった。

 そこで、ムルタカ子爵領軍にゲーアノルトの身柄が押さえられてしまった。

 それは、ゲーアノルトに同行してムルタカ領に行った騎士が言っているので、確定だ。


 その騎士たちをラグリフォート領に連れて来て、ゲーアノルトが捕えられた事実を、ラグリフォート家の騎士の口から説明させた。

 反抗すれば、また行方を晦ませる者が一人でもいれば、ゲーアノルトを処刑すると言われた。

 これでは、どうすることもできないのは仕方がないだろう。


「エウリアス様。反抗したことが伝われれば、ゲーアノルト様が……。」

「分かっている。」


 苦し気に言う騎士に、エウリアスは頷いた。


「お前たちに聞くけど。」


 そう、前置きする。


「あのまま大人しく従っていて、父上が無事に戻ると思うか?」

「……………………。」


 エウリアスがそう尋ねると、騎士たちは何も答えられず、俯いた。


「反抗しようがしまいが、父上は処刑されるだろう。……だったら、腹を決めろ。」


 エウリアスは、睨むように騎士たちを見回す。


「後悔も泣き言も、後で好きなだけ言えばいい。だけど今は、父上を奪い返すため、死ぬまで剣を振るい続けろ。ラグリフォート家のために、屍を野に晒す覚悟のある者だけ俺について来い。」


 エウリアスがそう言うと、一人の騎士が立ち上がった。


「勿論です。この屈辱、このままにしては死んでも死にきれません。」

「私もです。」

「ユーリ様に従います。」


 次々に立ち上がり、覚悟を決めた目でエウリアスを見つめる。

 エウリアスは一人ひとりの目を見て、しっかりと頷く。


「絶対に間に合わせる。父上を助け出すんだ。」

「「「はっ!」」」


 決して、万全の体調ではない。

 はっきり言えば、まともに戦えるかも怪しい。

 それでも、騎士たちは全員が敬礼を以て、エウリアスに応える。


「しばらくロクな物を食べてないだろう? まずは腹ごしらえをしてくれ。」

「はい。」

「ありがとうございます。」


 そこで、エウリアスは思い出したように付け加える。


「久しぶりのまともな食事だからって、食いすぎるなよ? ほどほどにしとけ。腹が苦しくて動けないとかいう間抜けは、囮に使うからな。」

「「「はははっ……!」」」


 エウリアスの冗談に、笑い声が上がる。


 ほんの一時間前まで、彼らは希望を失っていた。

 だが、エウリアスという希望を見出すことで、その目は輝きを取り戻すのだった。




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