第178話 倍率は四倍?
騎士学院に事情を話し、しばらく休むことを伝えた。
トレーメルとルクセンティアにも、ラグリフォート領に戻ることを伝え、別れの挨拶を済ませた。
エウリアスの馬車が屋敷に到着すると、エントランス前でステインが出迎える。
馬車を下りるエウリアスに、ステインが恭しく一礼した。
「お帰りなさいませ、エウリアス坊ちゃま。」
「ただいま。もう集まってる?」
「はい。
その報告を聞き、エウリアスは頷いた。
エウリアスは、一緒にラグリフォート領に戻る者を募った。
疫病が蔓延する領地。
また、エウリアスは廃嫡された身だ。
無理に命じるようなことはしたくなかった。
そのため「それでもエウリアスについて行く」という者だけで、ラグリフォート領に戻ることにした。
この屋敷と別邸の管理もあるので、同行者は少なければ二十名程度。
できれば三十~四十名くらいを考えていた。
ステインが玄関のドアを開くと、途端に騒がしい声が聞こえてくる。
「おいっ、押すなって!」
「そっち、もっと詰めろよ!」
見ると、ダイニングから人が溢れんばかりだった。
騎士も、兵士も、そしてなぜか使用人まで。
「………………え?」
圧し合いへし合いするその様子に、エウリアスは思わず気の抜けた声を漏らす。
「何、してんの……?」
「何と言われましても…………エウリアス坊ちゃまに同行を希望する者たちです。」
「は?」
エウリアスは、同行する
しかし、なぜか使用人まで押しかけているようだ。
「何で使用人まで……?」
「何でと言われましても…………エウリアス坊ちゃまに、同行を希望しておりますので。」
当然ですよね、と言わんばかりにステインがキリッとした顔で答える。
エウリアスは呆けたように、ダイニングを眺めた。
人数が多すぎて、もはや何人いるのかも分からない。
「……何人集まったんだ、これ?」
「二百三十七名です。」
「にひゃ……!?」
ちょっと待って。
完全にこの屋敷に勤める使用人の人数を超えてるぞ!?
「別邸の使用人までいるのかよっ!」
「勿論です。坊ちゃまの、そしてラグリフォート家の一大事でございますよ? 全員に意思を確認するべきと考えました。」
エウリアスは、あまりに想定外な事態にその場で崩れ落ちた。
エウリアスも、極端に集まりが悪いようなら、何人かは頼み込む必要があるかもしれないと考えていた。
そして最終手段としては、騎士や兵士にこだわらず、使用人の中から同行してもらうこともあり得る、と。
崩れ落ちたエウリアスに、ステインが不思議そうに声をかける。
「どうされましたか、坊ちゃま?」
「どうされたじゃないよ……。説明しなくても分かるだろ。」
ステインが、大仰に頷く。
「分かりますとも。私どもの忠誠に感激し、歓喜に打ち震えてらっしゃ――――。」
「そうじゃねえよ! そんなわけないだろ! 何でそうなるんだよ!」
エウリアスはガバッと立ち上がった。
「危ないんだぞ!? 自分が流行り病にかかることだってあり得るんだぞ!?」
今領地に戻ることがどれだけ危険なことか、みんなちゃんと理解しているのか!?
ピクニックじゃないんだぞ!
しかし、ステインは真剣な表情でエウリアスを見る。
「それはエウリアス坊ちゃまも同じございます。我ら、たとえ地の果て、海の底であろうと、坊ちゃまに従う所存。」
ステインは胸を張り、天井を見上げるようにして断言した。
どこ見て言ってんだ?
というか、ステインには何が見えているんだ?
見かねたタイストが、エウリアスに取り成す。
「まあまあ、坊ちゃん。希望者の全員を連れて行くわけではないですよね? だったら、希望するくらいはいいじゃないですか。」
「そ、そうだな……。」
確かに、今集まっているのは
屋敷や別邸の管理のために、ほとんどは残す必要があるのだ。
エウリアスは顔をしかめ、溜息をついた。
そこで、ふと気がつく。
「…………ていうかさ、ここにこんなに集まって、別邸の管理はどうしてるんだ? 警備は?」
「戸締りはしっかり行いましたが?」
「今すぐ戻らせろ馬鹿野郎っ!」
エウリアスは勢い良く玄関ドアを指さした。
全員が仕事をほっぽり出して来ていた。
何のために、無人の別邸にも警備の騎士を置いていると思っているのか。
しかし、エウリアスの怒鳴り声に気づいた使用人たちが、エウリアスの方に押し寄せてきた。
「あっ、エウリアス様! 私も連れて行ってください!」
「エウリアス坊ちゃん!」
「領地のみんなも、坊ちゃんが駆けつけてくれたと分かれば、病気なんてすぐに治りますよ!」
使用人たちに、あっという間に揉みくちゃにされた。
「お、お前たち……!? ちょ、落ち着けっ……!」
「みんなでラグリフォート領を助けましょう!」
「何でも言ってください、エウリアス様!」
「待てって……落ち着くん……ぐえぇぇ!?」
使用人たちはやや興奮しているのか、落ち着くまでに少々時間が必要だった。
エウリアスは、ボサボサになった髪を手で撫でつけながら、溜息をつく。
「はぁ…………みんなの気持ちは、よーく分かった。」
エントランスに総勢二百三十七名の使用人、騎士、兵士たちを正座させる。
ちなみに正座とは、ある神様が人々に授けてくださった独特な座り方だ。
短時間でもすぐに足が痛くなり、痺れて動けなくなる。
慣れない者には、それだけで苦行となる座り方である。
有名な神様ではあるが、エウリアスはその神様の名前を憶えていない。
だって、男神だから。
反省の意味も込めて正座をさせた使用人たちの前で、エウリアスは考える。
「とりあえず、各担当の班長だけ残して、他は持ち場に戻ってくれ。特に別邸の使用人、騎士と兵士は急いで戻れ。」
「「「はい……。」」」
項垂れた使用人たちが、しゅんとしながら返事をする。
「これから、俺と同行してラグリフォート領に戻る者を選定する。ステイン、タイスト、グランザ、及び各班長は俺の部屋に来てくれ。他の者は解散だ。」
エウリアスが解散を命じると、みんながぞろぞろと動き出す。
半分くらいは足が痺れて、すぐには立てないようだが。
そうしてエウリアスの私室に場所を移し、同行する者を考えることにした。
会議用のテーブルに、二十人ほどが集まる。
エウリアスは、ぐるりと集まったメンバーを見回した。
「まず、ステインは残す。」
「な、なぜでございますか!?」
エウリアスが至極当然の確認すると、ステインがショックを受けた。
「何で驚くんだよ。ステインは別邸の管理を父上に命じられているだろう?」
「ガーン……。」
当たり前のことのはずなのに、ステインにとってはひどくショックだったようだ。
動きが固まってしまった。
エウリアスは、タイストとグランザを見る。
「お前たちは俺に同行しろ。」
「言うまでもないですね。」
「勿論でさぁ。」
「お任せください、エウリアス坊ちゃま。」
タイストとグランザに続き、しれっとステインが混ざって返事をしてきた。
「何混ざってんだよ! お前は留守番だって言っただろ!」
しかし、エウリアスにきっぱりと言われると、膝から崩れ落ちて項垂れる。
ステインの横にしゃがみ込み、ポンと肩に手を置く。
「また戻ってくる。それまで、しっかり
「…………かしこまりました。」
明らかに不承不承ながら、ステインが頷いた。
そうして、屋敷と別邸の維持に必要な、最低限の人員を除外していく。
また、そうした人員の選定には、年齢を考慮した。
「まず、優先して騎士や兵士から同行者を選ぶ。使用人たちからも同行してもらうが、なるべく若い者は残す。また、高齢の使用人も指導役として残すつもりだ。」
ということで、必然的に使用人からは働き盛りの者が同行者に選ばれることになった。
本当はこうした者こそ、屋敷の維持には必要なのだが。
しかし、同行する者には、ある程度の体力があることを求めた。
領地に戻ったら、疫病と戦わないといけないからだ。
若い使用人が、疫病で命を落とすのは避けたい。
高齢の使用人では、病にかかりやすく、また闘病に耐えられない可能性が高い。
こうしたことを考慮し、働き盛りの三十~五十歳くらいまでの使用人を同行者に選ぶ。
騎士や兵士は体力の問題はないが、やはり熟練の者は指導役として残し、若い者も残す。
そうして、別邸に残す人員、エウリアスの屋敷に残す人員を除外していった。
「同行する候補者は、騎士が二十名、兵士が三十名、執事は三名、メイドが二十名か…………多いな。」
エウリアスの想定では、多くても四十名は集まらないと考えていたのだ。
ところが、六十名以上を捻り出せてしまった。
「さすがに多すぎるな。メイドは半分置いていくか。」
「気持ちは分かりますが…………女の手も必要です。できれば同行を許可していただきたいです。」
エウリアスは人数を減らそうとするが、タイストは反対なようだ。
グランザも、その意見に頷く。
「人手は少しでも多く欲しいですな。同行させるべきです。」
「だが、すでに送った輸送部隊もいるぞ。」
「それでもまったく足りません。絶対に同行させるべきです。」
二人は、このままの人数で行くべきだと、強く主張した。
第一陣と第二陣の各輸送部隊は、兵士十名と使用人を八人で向かわせた。
つまり、すでに三十六名も出しているのだ。
エウリアスは、横のステインに視線を向ける。
「…………この案では、残るのは本当に最低限の人員しかいない。これでは、屋敷の維持が大変だろう?」
だが、ステインは首を振った。
「最低限の人員を揃えてもらえるだけで、どれだけ恵まれているか。非常の際には、最低限の人員さえ揃わないのが普通です。むしろ、残しすぎだと言いたいくらいです。」
ステインが、真っ直ぐにエウリアスを見る。
「こちらは手が足りなければ、足りないなりの対処が可能です。使用人は、もっと同行させるべきです。」
三人の意見に、エウリアスは悩む。
確かに、人手はいくらあっても足りないだろう。
しかし、どうしても気になるのは、向かう先に疫病が蔓延しているということ。
エウリアスは、しばし考えて決定を下す。
「分かった。同行するのは最初に挙げた通りにしよう。」
そうしてエウリアスは、ステインを見る。
「とりあえずは、この人員で屋敷を維持してもらって、あと二十人をいつでも捻出できるように考えておいてくれ。」
「何かあった時のための、後発の応援ですか?」
「そうだ。」
「かしこまりました。」
こうして方針が決定し、同行者の具体的なリストの作成に入った。
同行者の名簿が完成すると、昼を回ってしまった。
大急ぎで使用人や騎士、兵士に連絡を行い、出発のための準備にかからせる。
また、同時に第三陣の積み込み作業も急がせた。
夕方になる少し前、メンデルトとホセ、イレーネが仕入れた救援物資を届けに来た。
「エウリアス様が、ラグリフォート領へ行かれるのですか!?」
届いた物資を輸送部隊の荷馬車に積み込むように指示し、メンデルトたちに簡単に事情を伝える。
「ちょっと事情ができてね。俺が自分で行くことにした。」
「し、しかし……。」
「これまでの協力に感謝する。メンデルト、ホセ、これだけの物資が集まったのは、二人の協力によるものだ。本当にありがとう。」
エウリアスはイレーネに視線を向けた。
「イレーネもありがとう。学院を休ませちゃって悪かったね。」
「い、いえ……それはいいのですが……。」
イレーネは、エウリアスがいきなりラグリフォート領に戻る方針を打ち出したことに、戸惑っているようだ。
何と言えばいいのか分からない、といった様子だった。
「イレーネの筋は悪くないよ。しっかりと努力を続け、頑張れるキミはきっと立派な騎士になれる。」
「……エウリアス様。」
エウリアスの言葉に、イレーネは悲し気に眉を寄せた。
メンデルトの進める婚約から逃れるように、騎士学院に入った。
だが、イレーネは世間知らずだった。
クラスでも寮でも浮いてしまい、授業にもついていけず、騎士にはなれそうにないと思い詰めていた。
それを救ってくれたのがエウリアスだった。
商会を立て直すきっかけを与え、イレーネの婚約も白紙となった。
イレーネに足りないものを教え、解決のための道を示した。
エウリアスがいなければ、イレーネはとっくに騎士学院を辞めていただろう。
イレーネの胸に、これまでのエウリアスとの思い出が込み上げる。
咄嗟に頭を下げた。
「ありがとうございました、エウリアス様。私なんかに、とてもよく、して……いただい……て……っ。」
堪えきれず、涙がこぼれた。
そんなイレーネに、エウリアスは手を差し出す。
「イレーネ、元気でね。」
「は、い……っ。」
エウリアスの差し出した手を、イレーネは両手でしっかりと掴んだ。
涙を流し、別れを惜しんでくれるイレーネを、エウリアスは温かい目で見守るのだった。
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