第143話 まるで職人




 エウリアスが王都の屋敷に到着した頃。

 ラグリフォート伯爵領、ラグリフォート家の屋敷。


 応接室に通された行商人が、木箱を取り出す。

 向かいに座った女中メイドがその木箱を受け取り、蓋を開け、中身を検める。

 それは、化粧品だった。


 勿論、この化粧品はメイドの物ではない。

 主人である、ノーラの注文していた化粧品だ。

 このメイドは、ノーラ付きの侍女レディースメイドだった。


「確かに。ご苦労様でした。」

「いえいえ、いつもご贔屓に。奥様にも、よろしくお伝えください。」


 この化粧品は、非常に高価だ。

 一瓶で、庶民の年収ほどの値段がする。

 ノーラはそうした化粧品を愛用し、他にも様々な化粧品を取り寄せていた。

 この行商人は、そんなノーラの御用達というわけだ。


「そうそう、口紅も今度新しいのが出るのですが、如何しましょうか?」

「勿論、すべて持ってきてください。気に入った物があれば購入しましょう。」

「ありがとうございます。」


 深々と、行商人が頭を下げた。


 レディースメイドとは、主人にもっとも近いメイドだ。

 衣装から装飾品、持ち物、化粧、髪型、お茶など、ありとあらゆる相談を受け、適切にアドバイスをする。


 こんな田舎の領地では、流行を知る手段は限られるが、そんなことは言い訳にならない。

 あらゆる方法を駆使し、主人であるノーラに恥をかかせないよう、常に洗練された姿を演出するのだ。


 メイドは行商人をエントランスまで見送り、木箱を手に屋敷の東の端に歩いて行った。

 ラグリフォート家の使用人も、あまり近寄らない一画。

 この東の端にある数部屋は、ノーラやその側近たちの部屋だ。


 護衛騎士の立つ部屋に行くと、目配せをする。

 護衛騎士は頷くと、ドアを開けた。


「ノーラ様、注文していた物が届きました。」

「そう、見せて。」


 メイドはノーラの横に立つと、木箱をテーブルに置いた。

 蓋を開け、中を見せる。

 ノーラが中に入っていた瓶を手に取ると、メイドは空の箱を手に取った。

 そうして、箱を引っ繰り返す。

 二重底になっていた木箱の底が取れ、その下から一枚の紙が出てくる。

 メイドはその紙を読むことはせず、そのままノーラに差し出した。


「…………。」


 ノーラが紙に書かれていることに目を通す間、メイドは一歩引いて横を向いた。

 主人宛の手紙を盗み見るような下衆な真似を、このメイドはしない。


「そう……ようやく。」


 ノーラはそっと息をつくと、その紙を折りたたむ。

 別のメイドが、燭台と銀製の皿をノーラの前に置いた。

 ノーラは手紙に火を点けると、銀皿に落とす。


 ようやくと言っているが、交渉から結果が出るまでは、それほど時間はかかっていない。

 ノーラの言うようやくとは、を指していた。


 メイドは、銀皿の上で揺らめく炎を見つめる。

 ゆらゆらと揺れる炎は、まるで不安定な何かの揺らぎを暗示する、そんな不吉さを表すようだった。







■■■■■■







 エウリアスが王都に戻ったとの知らせを受けると、翌日に早速トレーメルが来ることになった。

 エウリアスはエントランスまで行くと、到着した馬車を出迎える。


 護衛騎士が客車のドアを開けると、ムキムキの少年が顔を出し、破顔した。


「久しぶりだな、ユーリ。大変だったそうじゃないか。」

「メルッ!?」


 トレーメルが、記憶にある姿から一回り大きくなっていた。

 はち切れんばかりにパンプアップされた姿に、エウリアスは目を丸くする。


 そんなエウリアスの様子に、トレーメルが首を傾げる。


「どうしたのだ?」

「どうしたのじゃないよ!? メルこそ、どうしちゃったんだよ!」


 まだ冬の真っ最中だというのに、トレーメルは外套などは着ずに、インナーにシャツという軽装だ。

 寒くないのか?


「休みの間が暇すぎてな。暇潰しに筋トレや剣の訓練ばかりしていたのだ。どうだ? 少しは逞しくなっただろう?」

「少しは、って……。」


 どうやらトレーメルは、持て余した時間のほとんどをトレーニングにあてていたらしい。

 夏休みは自堕落に過ごし、ぽよんぽよんになっていたが、今度は超マッスルになっていた。

 極端過ぎだろ!


 エウリアスはトレーメルと屋敷に入り、歩きながら話を続ける。


「メルって、体格が変わりやすい体質なの?」

「どうだろう? あまり意識したことはないが。」


 体質もあるのだろうけど、これは性格の問題か?

 極端から極端に、振れやすいのかもしれない。

 やると決めたら、とことんやらないと気が済まない性質たちか?

 逆に、やらないと決めたことは、徹底してやらないのだろうけど……。

 夏休みの激太り、冬休みのパンプアップされた姿から、そう予想を立てる。


「そんなことよりも、彫刻あれが完成したのだろう? 早く見せてくれ。」


 エウリアスの部屋に入ると、トレーメルが落ち着かない様子で言った。

 エウリアスは頷き、執務机に向かう。


 トレーメルの立場上、人払いと言っても護衛騎士を完全に外すことはできない。

 そのため、部屋の入り口で護衛騎士には待機してもらい、奥の執務机で話をするつもりでいた。


 例の彫刻は、すでに木箱から取り出し、エウリアスの机の上に準備していた。

 今は布をかけ、見えないようにしてある。

 トレーメルを椅子に座らせ、エウリアスはその横に立つ。


「これがそうか?」

「うん。愛と美の女神、ナーシャ・リーハムの彫刻だよ。」

「うむ……。」


 トレーメルがごくりと喉を鳴らし、目の前の布を凝視する。

 それはまるで、布を見透かし、布の下の彫刻を見ようとしているかのようだ。


「それじゃあ、いくよ?」

「た、頼む。」


 エウリアスに返事をするが、トレーメルは布から目を離せない様子だ。

 エウリアスは、バッと布を持ち上げた。


「ぶっふぅーーーーーーーーーっ!?」


 トレーメルが、咄嗟に口元を押さえて噴き出す。

 目を見開き、その神々しい女神像を凝視する。


「エ、エエエエ、エエエウリアス!?」


 トレーメルが顔を真っ赤にし、慌てたようにエウリアスを呼ぶ。

 よほど焦っているのか、呼び方がいつものユーリではなく、エウリアスになっている。

 しかし、その目は彫刻に釘づけになっていた。


 愛と美の女神の名に相応しい、女性らしさの究極のような肢体。

 滑らかな曲線が、美しい艶によって強調される。

 隠すべき部分は隠されているが、それが一層いろいろと掻き立てた。


(うん。世に二つとない、素晴らしい彫刻だ。)


 エウリアスは改めて、この完璧な彫刻がここに在ることを、神に感謝したい気持ちになった。

 しかし、トレーメルはそれどころではない。


「ととと、とてもではないが、こんなの飾れないぞ!?」


 そんなことを言い出す。


「どうして?」

「どうしてって、こんなにもエロッ……い、いやらしっ……は、恥ずかしい彫刻! 飾れるわけないだろう!」


 そう言いつつ、トレーメルは一向に彫刻から目を離せないでいる。

 結構、気に入ってんじゃないの?


 エウリアスはそんなトレーメルの様子を見つつ、尋ねる。


「どうして恥ずかしいのさ。」

「みみ、見れば分かるだろう! こ、こんなっ……!」


 慌てふためくトレーメルの様子に、エウリアスは「やれやれ……」と肩を竦め、首を振る。


「女神様の美しい御姿の何が恥ずかしいのさ。美と愛の女神、美しいのは当たり前じゃないか。」

「そ、それは確かにそうだが、こ……これはさすがに……!」


 そこでエウリアスは、深く溜息をつく。

 大袈裟に、がっかりしたように。


「はぁ~~……、メルには失望したよ。芸術を、そんないやらしい目で見るなんて。この美しさを前に、そんな風に考える方がどうかしているよ。」


 エウリアスは正論パンチのジャブを繰り出す。

 トレーメルが、「グッ……」と言葉を詰まらせた。


「い、いや、しかしな……。」

「美しい物を美しいと言って何が悪いのさ。芸術をいやらしい目で見るのは、その人自身にいやらしさがあるからさ。美しい物を、ただそのままに受け止める。それこそが芸術だろう? 違うかい、メル?」

「……………………。」


 エウリアスの、抉り込むようなボディーブロー。

 正論であるが故に、反論の余地はない。


 エウリアスは、わざとらしく溜息をついた。


「芸術を愛する者として、メルならきっとこの素晴らしさを理解してくれると思ったのだけど…………残念だよ。」

「あ、いや……その……な。」

「満足してもらえないなら、これは俺が引き取るよ。希望に添えなくて悪かったね、メル。」


 エウリアスがそっと彫刻に布をかけようとすると、トレーメルがパシッとその手を掴んだ。


「…………何?」

「僕が発注したのだ。僕がきちんと買い取るべきだろう。」

「そうかもしれないけど、この素晴らしさを理解できない人には売れないよ。」

「いや、これが素晴らしいことは理解しているのだ! ただ、ちょっと……飾るには、少々躊躇ためらわれると言うか……。」

「無理に買っていただかなくても結構。この彫刻の価値を本当に理解してくれる人以外には、買ってもらいたくないね。」


 エウリアスの、存外に厳しい態度。

 今のエウリアスは、木製工芸品に生涯を捧げる、頑固な職人のようだった。

 自らでは到達し得ないような高みにある彫刻は、それを所有するのに相応しい人に持っていてもらいたい。


「分かった! 悪かった! 僕もこれが素晴らしい彫刻であることは認めているのだ!」

「本当に?」

「勿論だ。僕は生涯、どれだけのお金を積まれても、これを手放したりはしない。」


 トレーメルの真剣な表情に、エウリアスはにっこりと笑顔になる。


「良かった。メルならきっと、分かってくれると思ってたよ。じゃあ、これが受け取りの書類ね。サインをもらえる?」


 エウリアスは、トレーメルの前に一枚の紙を置くと、サインする場所を指さした。

 トレーメルはホッと息をつくと、書類にサインをする。


「毎度ありがとうございます。今後ともご贔屓に。」


 そんな、商人のようなセリフを言いながら、サインのされた書類を引き出しに仕舞う。

 トレーメルは、再び彫刻を見る。

 顔を近づけ、細部まで確認するように。


「しかし…………これほど見事な彫刻になるとは思わなかったぞ。造形も見事だが、特にこの艶……。ラグリフォートの職人は、凄まじいな。」

「でしょ? 俺も最初見た時はびっくりしたよ。」

「そうであろうな。実に見事だ。」


 トレーメルは、手で触れることさえ躊躇うように、ただただ彫刻を眺める。


「持って帰る時は、また木箱に梱包しようか。俺もあの箱に入れて領地から運んだんだ。」


 そう言って、部屋の隅に置いてある木箱を指さす。


「随分、大きな箱だな。」

「布や綿を詰めて、少しの傷もつかないようにしてたからね。メルも、傷をつけたくはないだろう?」

「これだけの彫刻では、ほんの僅かな傷でも目立ってしまうだろうしな。頼む。」


 トレーメルの返答に、エウリアスは頷いた。

 それからエウリアスは、トレーメルと一緒にこの彫刻の魅力を夕方まで語り合うのだった。


 やっぱり、木製工芸品って最高だよね!




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