第57話 シャンコ
エウリアスが騎士学院から屋敷に戻ると、何やらバタバタと慌ただしい様子だった。
「みんなに振る舞うのを、今日にしたみたいだね。」
エウリアスがダイニングをひょいっと覗くと、普段中央に置かれたテーブルが端に寄せられている。
他にもテーブルを出し、テーブルクロスがかられ、やはり端に寄せていた。
どうやら、今夜は立食形式で行うようだ。
よく見ると、食堂の奥に多くの使用人が集まっている。
何をしているのか気になったが、エウリアスが顔を出したことに気づいた使用人たちが、その場で姿勢を正し一礼をした。
「ああ、すまない。こちらのことは気にせず、続けてくれ。」
そう言うと、使用人たちは再びてきぱきと動き出した。
ダイニングから顔を引っ込め、タイストを見る。
「俺は部屋にいるから、準備が終わったら呼んで。」
「わかりました。ステインに伝えておきます。」
タイストが護衛を交代し、他の騎士がつく。
エウリアスは、そのまま部屋に向かった。
部屋で
どうにも、眠気で集中できない。
このままでは眠ってしまいそうなので、風呂に入ることにした。
何とか夕食までは起きて、食事の後にすぐ眠ろうと思う。
今、ちょっとだけ仮眠しようなんて考えたら、確実に次に目を覚ますのは朝だろう。
そうしてエウリアスは浴室に行き、風呂を済ませる。
さっぱりして脱衣所を出たところで、ステインが呼びに来た。
「エウリアス坊ちゃま。お待たせいたしました。」
「あ、準備できた?」
ステインに先導され、ダイニングへ。
一歩入ると、そこにはほぼすべての使用人が集まり、騎士たちもほとんどがいるようだった。
おそらく、今いないのはキッチン周りの使用人と、不運にも夜間警備に当たった騎士くらいだろう。
ステインの後について、ダイニングの奥へ。
そうして一番奥に来たところで、エウリアスは目を瞬かせた。
そこには、でーんと積み上げられたグラス。
ピラミッド状に積み上げられた大量のグラスがあった。
「…………………………何これ?」
何百個あるのかも分からないグラスに、エウリアスは呆気に取られる。
ちなみに、この屋敷の使用人と騎士は、別邸からの臨時の応援を含めても、七十人もいない。
ステインが積み上げられたグラスの前に立ち、使用人たちの方へ向き直った。
こほん、と軽く咳払いをする。
「エウリアス坊ちゃま。本日の音頭は、僭越ながら私ステインが務めさせていただきますが、よろしいでしょうか?」
音頭?
エウリアスは何が起きているのか分からず、とりあえずこくこくと頷く。
エウリアスの了承を得て、ステインが
「……あれは、突然の苦難でした。真夜中の、恐るべき魔物の襲来。卑劣な賊が、卑怯にも夜襲を仕掛けてきたのです。」
しみじみと昔を思い出すように語るステインだが、それは今朝の出来事である。
「ですが、一人だけ。たった一人だけ、その卑怯な夜襲にいち早く気づいた方がおられます。」
そうして、ステインは片手でエウリアスを示す。
「そう、我らがエウリアス坊ちゃまです!」
「「「よっ、ユーリ坊ちゃん!」」」
「「「エウリアス様ぁぁ!」」」
ステインがエウリアスの名を告げると、拍手が巻き起こり、合いの手が入る。
あの…………これ、何が始まったの?
大変だったみんなを労うために、いつもより豪華な食事とお酒を振る舞うだけのつもりだったのだけど……。
「その魔物は、本当に恐るべき存在でした。なんと、どれほど剣で斬っても再生し、倒せないのです!」
ステインの語り口調はまだまだ続き、少し熱を帯びてくる。
「しかーし! そんな恐るべき魔物さえ、エウリアス坊ちゃまだけは斬ることができました!」
「「「おおおうっ!?」」」
耳を傾けていた
つーか、一緒に戦ったじゃねーか。
「エウリアス坊ちゃまの一撃一撃に魔物はのたうち、無惨に斬り裂かれていったのです!」
ワッと歓声が上がり、溢れんばかりの拍手が巻き起こる。
あの…………部屋戻っていいかな?
その後も、主にエウリアスの活躍にスポットを当てた、ステインの語りが続く。
事細かに騎士たちから聞き取った、今朝の一連の戦いを、ステインは熱く語るのだった。
そうして十五分ほど、ステインの熱の籠った語りが終わると、ようやくお酒が運ばれてくる。
酒瓶を持った騎士が、積み上げられたグラスの周囲に台を置き、その上に乗った。
六人ほどの騎士が酒瓶を持って、台の上で待機する。
台の横には、他にも酒瓶を持った騎士が待機していた。
「それではっ! エウリアス坊ちゃまの活躍とぉ! ラグリフォート伯爵家の繁栄を願ってぇ!」
ステインが大きく息を吸い込み、シャウトする。
「シャンペンッ、入りまーーーーーすっっっ!!!」
「「「イエーーィッ!」」」
ステインのシャウトに、使用人たちが拳を振り上げて応えた。
「シャンペン! シャンペン!」
「「「シャンペン! シャンペン!」」」
「シャンペン! シャンペン!」
「「「シャンペン! シャンペン!」」」
ステインの「シャンペン」コールに、ノリノリでみんなが合いの手を入れる。
グラスを囲んでいた騎士たちが、一番の上のグラスにお酒を流し込む。
いっぱいになったグラスはすぐに溢れ、下の段へと流れ込んでいく。
「シャンペン! シャンペン!」
「「「シャンペン! シャンペン!」」」
グラスを溢れたお酒は、三段目四段目と、どんどん下段へと流れていく。
…………これは一体、何が起きている?
エウリアスは、茫然とした思いで積み上げられたグラスと、使用人たちを見る。
みんな、楽しそうに身体を揺らし、「シャンペン」とコールしていた。
もしかして、王都ではこういうのが流行っているのか?
注いでいた酒瓶が空になると、横に待機していた騎士に渡し、新たな酒瓶を受け取る。
そうして、再び一番上のグラスに注いだ。
「シャンペン! シャンペン!」
「「「シャンペン! シャンペン!」」」
シャンペンコールは終わらない。
すべての酒瓶が注がれると、空の瓶を騎士が掲げた。
「エウリアスッ! エウリアスッ!」
「「「エウリアスッ! エウリアスッ!」」」
そして、いつしかシャンペンコールは、エウリアスコールへと変わる。
そんな使用人や騎士たちを、エウリアスはただ茫然と、黙って見ていた。
(…………どうしてだろう。)
見知ったはずの使用人たちを、まるで別人のように感じるのは。
そんなことを思ってしまい、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになるエウリアスなのだった。
大はしゃぎの使用人たちを残し、エウリアスは軽い食事だけで下がらせてもらう。
たっぷりと睡眠を摂り、翌朝は普段通りに起床した。
きりっとしたステインが、いつものように朝食の給仕につく。
昨夜のはしゃぎっぷりが嘘のようである。
「ごひゃくっ、ななじゅうにまんっ……!?」
そうして、振る舞い酒と食事にかかった費用を聞き、エウリアスは我が耳を疑った。
たった一晩で、エウリアスの二カ月分の小遣いが吹っ飛んだ。
ほとんど使わないから、それはいいのだけど。
「…………ちょっと、やりすぎじゃない?」
シャンペンタワーとか、初めて聞いたわ。
ちなみに、昨夜振る舞われた酒は、
外国産の、とても高価な物だとか。
そして、シャンペンタワーはある種のステータスだという。
高価なお酒を惜しみなく振る舞える財力の象徴として、一部の界隈ではよく行われているらしい。
本当かよ……。
「良い物を、とのことでしたので……。申し訳ございませんでした。」
「あ、いや、ちゃんと指示しなかった俺が悪いんだ。ステインが謝ることじゃない。」
頭を下げるステインに、エウリアスが慌てる。
今月分の小遣いを除き、先月分までの小遣いで残っていた金額から、予算を考えたのだろう。
うん、しっかりと指示しなかった俺が悪いな。
エウリアスは意識して笑顔を作り、ステインに尋ねる。
「みんなは、喜んでくれたか。」
「はい。勿論でございます。」
ステインが一点の曇りもない、完璧な笑顔で頷いた。
振る舞い酒はシャンペンだけではなく、他の酒も用意されたらしい。
樽で用意されたその酒も、一晩で空になったという。
「みんな、ラグリフォート家、ひいてはエウリアス坊ちゃまへの忠誠を新たにしたことでしょう。」
「……いや、忠誠は俺じゃなく、父上にな。」
まあ、ちょっと驚いたが、みんなが喜んでくれたのなら良かった。
エウリアスは気持ちを切り替えて、学院に向かった。
そうして、昨夜のシャンペンタワーのことをトレーメルやルクセンティアに話し、驚かれた。
「そんなの、僕も初めて聞いたぞ……。」
どうやら、エウリアスが知らないだけではなかったようだ。
トレーメルもルクセンティアも、シャンペンタワーなど聞いたこともないという。
エウリアスがじとっとした目でタイストを見ると、タイストの目が泳ぐ。
「どういうことだ?」
「え、えーとですねぇ……。何事も、経験と言いますか…………こういうのもある、と知っておくべきと言いますか……。」
いつもハキハキと言うタイストが、言いにくそうにしている。
エウリアスは、大きく溜息をついた。
(みんな、ハメを外しすぎだよ。)
その後、エウリアスから『シャンペンタワー禁止令』が出たことは言うまでもない。
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