#45 すれ違い



 ラインハルトより先に家に入ってリーシャは安全を確かめた。

 玄関からつながるリビングダイニングとキッチン、奥に一部屋、ニ階にも多くて数部屋だろう。誰かが潜んでいる気配はない。

 家の中はきれいに掃除されて、家具も磨かれていた。


(恨みや絶望に囚われた人に維持できるものじゃないわ。この人は前を向こうと努力してる……)


 過剰なほどにきれいな部屋が物語っていた。なるべく手を動かして、考えまいとしてきたのだ。なんて強くて、立派な女性だろう。


「座ってちょうだい、今お茶を淹れるわ」


 涙をぬぐって動こうとしたタマルを制して、リーシャが手を上げた。


「私がやります。キッチンを使ってもいいですか?」

「姫に頼もう。座ってくれ」


 まだ嗚咽の止まらないタマルを、ラインハルトはいたわりのこもった手でリビングのソファに座らせた。


「ありがとう。お茶は左の戸棚よ」


 リーシャはキッチンに入り、左の戸棚の茶葉を見つけた。一緒にカップが複数並んでいる。


「このカップを使って構いませんか?」

「ええ、どうぞ。ああ、そうだ。ビスケットもあるの。よかったら」

「大好きです、いただきます」


 皿に並べられて布のかけられたビスケットをひとつ取って、リーシャは盗み食いした。砂糖以外の有害物質の味はしない。

 念の為、カップとケトルは念入りに洗ってリーシャはお湯をわかした。


(毒物の懸念はなさそうだけど……)


 ここまでのリーシャの印象ではタマルは白だ。だが何か引っかかる。最後に会ったのは10年前のはずなのに、二人が妙に親密だからだろうか。

 ソファに座ったタマルは隣に座ったラインハルトの顔を両手で包んだ。


「顔をよく見せて。10年前は可愛い男の子だったのに、すっかり立派な男の人になってしまったわね」

「残念。あの頃のままでいられたら、ちょうど姫に釣り合ったのに」


 姫、と口の中でつぶやき、タマルはリーシャを振り返った。


「……どうして男の子の格好をさせてるの?」

「彼の趣味です」

「姫! それ大抵の人は信じちゃうから!」


 大慌てでラインハルトは否定した。


「ドレスを贈るって言ったのに、いらないって聞かないんだよ。母上から説得して」

「あら、可愛い服が嫌い?」


 リビングからからかうように尋ねられ、お茶を淹れながらリーシャは答えた。


「フリフリを着せようとするんですよ」

「いいじゃない、フリフリ。おばあちゃんも着たいわ」

「……母上、彼女は俺の娘じゃない」


 額を押さえてラインハルトはうなだれた。タマルに悪意がない分、こたえたようだ。


「わざわざ連れてくるからてっきり……」

「私が強引についてきたんです」

「それ。俺は姫に弱いから叱れなくて」


 お茶を運んだリーシャを手招きしてラインハルトは自分の隣に座らせた。


「ビスケットの食べかすがついてる」


 イタズラを見破った名探偵のように笑って、ラインハルトはリーシャの口元を親指でぬぐった。


「おいしかったです」


 毒見して問題なかったの意味だったが、タマルと一緒にラインハルトは笑った。伝わってなさそうだ。

 タマルはリーシャが淹れたお茶に手を伸ばして、何の疑いもなく口をつけた。

 

「おいしいわ。お母様の教育がいいのね」

「母上、姫の母君は――」


 リーシャが生まれた時に死んだ。リーシャを気遣おうとしたラインハルトを制して、リーシャは「ありがとうございます」と微笑んだ。


「天国の母も喜ぶと思います」

「ごめんなさい、私……あなたのように優しくて良い子ならきっとお母様も自慢だろうと思って」

「それは間違いない」


 ラインハルトは全面的にリーシャへの評価に同意した。機会があればとりあえずリーシャのことは褒めようという謎のポリシーを感じる。

 震える手で温かいお茶のカップを包み、タマルは大きく深呼吸した。


「……ウソみたいね。本当は、もう全部諦めかけていたの。あなたは亡くなってるんじゃないかって。それも――もっとずっと昔に。シドはそれを私に隠して、想像のあなたの話をしてたんじゃないかって……誰もあなたを知らないと言うから」


 違和感の正体にリーシャはやっと気づいた。

 ラインハルトはまだ気づいてないようだ。「俺を知らない?」とひどく困惑した様子だった。


「……口をはさんですみません。この人の名前をご存知ですか?」


 ラインハルトを指したリーシャの質問に、タマルもまた戸惑った。


「レオ? レオ・ハイン。息子の親友よ。引っ越す前の家には、よく遊びに来たわ」

「本名は?」

「本名?」


 何のことかわからないと、タマルは目を瞬いている。

 ラインハルトが気づいて「そうか」と声を上げた。


「シドは俺のこと母上にはずっと『レオ』と言ってたんだな……」


 リーシャは頷いた。


「手紙がすれ違った理由です」


 困惑した様子でタマルはリーシャとラインハルトを見比べた。


「手紙? 何度も出したわ。でも全部返ってきてしまって……」

「俺も母上には何度も手紙を書いたんだ。同じく戻ってきた」


 渋面を作ってラインハルトは黙り込んだ。


「……自己紹介すべきですよ。それですべて解決します」


 うながすリーシャを、ラインハルトは叱られる告白をしなければならない子供のような目で見た。


「母上の前ではただのレオでいたい」

「それを決めるのはお母様です」


 ため息をついて、ラインハルトは観念した。不安そうな顔をするタマルの手を握って、「落ち着いて聞いて」と言い聞かせる。


「俺、ガキの頃に家出をしたんだ。それで見つからないように偽名を使って、北の前哨基地で兵士になった」


 タマルを驚かせないように、ラインハルトは段階を踏んだ。悪あがきと言えなくもない。


「そういえば……シドがいつか言ってたわ。『思ったよりずっと良い家のぼんぼんだった』って」

「そんな大した家じゃないよ」


 ラインハルトは笑って大嘘をついた。


「大した家ですよ」


 呆れて訂正するリーシャを示してラインハルトは言い放った。


「ちなみにこちら、公爵家のお姫様」

「私のことはいいんですよ!」


 なんで自分の自己紹介をする時に、連れの正体を暴露するんだ。詰め寄るリーシャにラインハルトは子供のように言い返した。


「俺だけバレるなんて不公平だろ。姫も道連れだ」


 道連れにしてやるという言葉をラインハルトは正しく実行していた。子供のような理屈だ。


「本当にお姫様なの……?」


 タマルは唖然としている。ラインハルトは全面的に頷いた。


「この可憐さ! 気品! 知的な瞳! まさにお姫様だろ?」


 ひっぱたいてやるべきだろうか、この皇子。


「あなた、なんて子を連れ回してるの!?」


 立ち上がってタマルはラインハルトを揺さぶった。


「こんなあばら家に連れてきて! いくらあなたが女の子にモテるからって、貴族のお姫様を村娘みたいに連れ回すなんてどうかしてるわ! 親御さんが知ったらどうなると思うの!?」

「大丈夫ですよ、父は知りませんから」

「もっと悪いわ!!」


 タマルが怒り狂うのをわかっていてリーシャは焚き付けた。少しこらしめてほしい。


「姫が勝手に俺の部下を誘導尋問してつけてきたんだよ! どうしろってのさ」

「つけてません。私のほうが早く着いてました」

「余計にどうしようもないだろ」


 タマルは矛先をリーシャに向けた。


「あなたも危なすぎるわ!」

「仕方ありません。私より尊い身分の方の護衛のためですから」


 リーシャは矛先をラインハルトに戻した。いい加減、観念しろの視線を彼に送る。

 タマルはリーシャの視線を辿って、ラインハルトを見た。

 ばつが悪そうにラインハルトは目をそらした。


「あー、その……母がつけてくれた本当の名前は、ラインハルト」


 ぽかんとするタマルに、リーシャはささやいた。


「ラインハルト将軍です」


 タマルは理解できない様子でリーシャを見返した。


「それは……帝国の英雄の名前でしょう?」

「彼です」

「俺は知らないけどね。新聞の創作だよ」


 自己紹介が終わったので、ラインハルトは清々した様子だった。逆にタマルの顔色はどんどん悪くなっていく。


「だって将軍は……皇帝の息子で、皇子のはず」

「彼です。殿下です」

「父親がそう呼ばれてるってだけ。俺は俺だよ」


 タマルはラインハルトとリーシャを交互に見た。痛ましい思いでリーシャが頷くと、彼女は声にならない悲鳴を上げて、崩れ落ちた。


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