#43 理不尽な判別方法



 ラインハルトと出かける約束の日、リーシャは彼を待つことなく朝から海沿いの小さな村の近くにいた。この村にシドの母親の家がある。


 聞き分けのいいふりをしてウソの約束をしたのは、ラインハルトが彼女のところに行く日を特定するためだった。

 彼は「待ってる」というリーシャのウソをころっと信じたので、疑うことなくリーシャに日程を明かした。

 その上でリーシャは一度彼女の家に行っている義兄を誘導尋問して詳しい場所を突き止めたのだ。なんら難しくはない作業だった。


(いた……)


 村へ続く一本道がよく見える高台で、リーシャは目的の人々を見つけた。

 軍の箱馬車が1台と、馬に乗った護衛の兵士が二十人弱。護衛は火器を携帯しており、物々しい雰囲気だ。


(隠れるときは誰にも気づかれることなくやるけど、目立つときはあえて示威的に。性格が出てるわ……)


 ラインハルトは二面性のある人だった。こうした作戦においても彼の性質が見え隠れしている。


(こっちは準備万端、やれるものならやってみろって? 悪い癖が出ているようにも思えるわ……)


 彼は自分のやりたいことを邪魔されるのを何より嫌う。いつ死ぬかわからないと覚悟しているからこそ、機会を逃せば二度とないと思っているのだ。

 激昂しやすい性格は常に命を狙われているプレッシャーが大きく影響しているだろうし、頭に血が上ると短絡的になりやすい。

 そして長年頼りにしていた副官が死んだことで、彼の周りには諌められる人がいないのだ。非常に危険な状況だった。


(村に入るには一本道で、かつ橋を渡らなきゃならない。水深は深く、橋を落とせば陸の孤島。……事前に村人にすり替わって一人ひとり殺していけば、あの程度の護衛、皆殺しにできるわ)


 今の刺客がそこまでやれるかはわからない。

 だが七十年前に短剣使いと呼ばれた者たちならやり遂げた。リーシャがそう育てたからだ。それゆえに彼らは恐れられ、最終的に皆殺しにされた。


「……おいで」


 馬を引いてリーシャはその背に飛び乗った。今日は何があるかわからないので、動きやすさを最優先に、兄のお古の乗馬服姿だった。目立つ銀髪は帽子の中に押し込んでいる。遠目には小柄な少年に見えるはずだ。


 馬に乗ってリーシャは村へ通じる橋へと向かった。橋は木製の筏に足が生えたような簡素な作りだった。油をまいて火をつければ、焼き落とすのは難しくないだろう。

 馬が見慣れぬ橋を渡るのを嫌がったので、リーシャは鞍から下りると馬銜はみを引いた。公爵家で普段は馬車を曳いている馬なので、人を乗せることにも遠乗りにも慣れていないのだ。


 嫌がる馬を連れてやっと橋を渡り終えると、橋の陰から人が飛び出した。リーシャはとっさに上着の中に隠した短剣に手を伸ばしたが、武器を抜くより早く両手を掴まれて抱き上げられた。


「……やっぱり姫じゃないか。何やってるの」


 聞き覚えのある美声に襲撃者の顔を見ると、髪を赤く染めたラインハルトが眉根を寄せていた。

 片手でリーシャの両腕を掴み、片手でリーシャを抱き上げ、彼はひどく不機嫌そうだった。


(馬車は囮か。護衛の中にまぎれてたのね……)


 近衛隊の軍服を着て、髪の色を変えたラインハルトを見分けるのは刺客には困難だろう。近衛隊には体格の似た人間が多く、よほど親しい人間でもなければ変装を見破るのは難しい。


「姫。聞いてる?」


 凄みのある目でのぞきこまれ、リーシャは横を向いた。

 護衛に発見されるのは想定の内だったが、先にラインハルトに見つけられるとは思わなかった。ちょっと悔しい。


「知りません」


 悔しいのでリーシャは白を切った。


「人違いです。僕は姫じゃありません」

「いや、俺が姫を見間違えるわけないだろ」


 リーシャの反応が予想外だったのか、ラインハルトのほうが動じ始めた。リーシャの両手を掴んでいた手を離すと帽子を持ち上げて、間違いようのない銀髪を確かめる。


「ほら、まだ違うって言い張る?」


 言い張るだけなら出来るが、全部論破されそうだったのでリーシャは黙秘に作戦変更した。

 強硬な態度にラインハルトはうろたえ、リーシャを下ろすと帽子を返した。リーシャは元通り、髪を帽子の中にしまい込んだ。


「なんで男装なんかしてるの?」


 膝をついてラインハルトは口調を和らげた。彼が態度を改めたので、リーシャも口を開いた。


「動きやすいからです。……ライネさんは少年を舐め回すように見る趣味があるんですか?」


 目立つ髪は隠していたし、帽子を目深にかぶっていたので顔は見えなかったはずだ。なのに気づかれたのが納得いかない。


「人聞きの悪い。なんか可愛い子がいるなと思って……」

「少年を可愛いと思うことがあるんですか」


 ちょっと警戒したリーシャにラインハルトは断固否定した。


「ないから姫に違いないって気づいたんだよ」


 どういう判別方法だ。そんなので見破られるなんて理不尽だ。

 ふくれるリーシャにラインハルトは冷静だった。


「怒ってうやむやにしようとしても引っかからないよ。なんでここにいるの、姫」

「散歩です」


 すましてリーシャは答えた。


「……男装して? わざわざここに?」

「そうです。帝国市民には好きなところに散歩へ行く自由があるんです」

「そうか。……疑わしいから拘留する」


 ため息をついてラインハルトはリーシャを担ぎ上げた。

 拘留は名目で、本音は保護だろう。片腕でリーシャを抱えあげて、もう片方の腕でラインハルトはリーシャの馬を連れて行った。


 橋をわたってすぐの川べりで、近衛隊の兵たちは馬に水を飲ませて休憩していた。


「閣下、あまり一人にならないで下さ――リーシャ!? なんでここにいるの!?」


 ラインハルトに抱え上げられたリーシャを見て、義兄のセディクは頓狂とんきょうな声を上げた。

 火を起こして軽食を取っていた近衛隊の人々の視線も集中する。


「閣下にさらわれました」


 マジかこいつ――という非難の視線がラインハルトに集中した。女関係では本当に信用がない。


「姫、濡れ衣着せないで。姫にでっち上げられたら俺は社会的に死ぬ」


 リーシャを下ろすと、ラインハルトは火に近い折りたたみ椅子に座らせた。将軍の用の席をゆずってくれたようだ。

 リーシャの馬は若い兵に預けられ、気を利かせてラインハルトは水を飲ませるよう言ってくれた。


「閣下、本当に連れ込んだんですか」


 近衛隊の隊長であるタシュカルがラインハルトに詰め寄った。

 リーシャに漏れていたら他の人間――特に暗殺者にも漏れているかもしれない。彼の懸念はもっともだった。


「んなわけないだろ! 感動的に指切りして帰りを待ってもらう約束したんだよ!!」


 ラインハルトは全面的に否定したが、タシュカルは疑わしそうだった。


「約束をしたことに安心して、予定を全部伝えたんですか?」

「……日程だけな。戻ったら一緒に出かける予定だった。場所は言ってない。……海沿いとしか」


 ラインハルトの声はどんどん小さくなった。

 リーシャのために自分のカップにお茶を淹れてくれたセディクは、二人の会話に血の気を引かせた。


「リーシャ……君、猫が船酔いするから次に祖父のところに帰るときは陸路にしたいって僕にこの辺の地理についてあれこれ聞いたの、僕をはめた?」


 お茶をすすってリーシャは小首をかしげた。肯定したらセディクが罪に問われるので、ここはしらばっくれるべきだろう。


「お前かー! 情報漏洩犯!!」


 ラインハルトはセディクを揺さぶった。


「すみません! でもシドさんのことは一言も言ってないんですよ!」

「姫の賢さを甘く見過ぎだ!」

「閣下もです!」


 タシュカルに厳しく言われて二人はうなだれた。

 リーシャの前に膝をついて、タシュカルは疑いの眼差しでリーシャを見た。


「ここのことを、他の誰かに話しましたか?」

「いいえ、誰にも」

「誰かに探るよう頼まれましたか」

「いいえ」


 微笑んでリーシャはすべて否定したが、タシュカルは疑いを強めたようだった。

 立ち上がると彼はラインハルトに具申した。


「……閣下、引き返すべきでは。一人に漏れていたら、他にも漏れていると考えるべきです」

「ここまで来たのに? 今日を逃せば、いつ来れるかわからない」

「ですが――」

「危険は承知だ。姫は今すぐクーアに連れて帰らせるから――」


 セディクなら途中で撒くのは簡単だなとリーシャが考えていると、ラインハルトも察したのか「いやお前、姫にいいようにされた前科があるな」と考え直した。


「ライネさん、わがまま言わずにみなさんと帰ってください」

「姫……まさかそれが目的?」

「代わりにお母様のところには私が行きますから」


 最善の策だったが、ラインハルトは顔を覆った。


「……わかった、連れてく」


 絞り出すようにラインハルトは結論を出した。


「閣下」


 タシュカルの抗議を、彼は苦い顔で遠ざけた。


「人数を割いてここから帰すのも悪手だろ。人質にされたら俺には詰みだ。姫が大人しく言うこと聞くとも思えないし……仕方ない。死ぬときは道連れだ」


 ゾッとするほど美しくラインハルトは笑った。絶句するタシュカルの前を通り過ぎて、リーシャの前に膝をつく。


「わかってる、姫? できるだけ守るけど、どうにもならないときはあるからね。俺と死ぬ覚悟がある?」


 リーシャを説得はできないと諦めて、ラインハルトは事実で脅しにかかっていた。

 微笑んでリーシャはラインハルトにささやいた。リーシャに死は脅しにならない。もう56回も経験した。


「私が死んでも、あなたのことは守ってあげます」

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