第3話 雲の世界

 何かすごく大事なことを思い出していた筈だったのだが…。

 気が付くと、一面雲の世界だった。

(ああ、そうか。死んで昇天? していたのか…。)

 滅びゆく世界を見下ろしていたのは覚えていた。

 でも、何か大事なことを忘れている気がする…。

 だが、それを思い出そうとすると、妙な頭痛がして、意識に霞のようなものがかかる。

 そして、考えるのをやめと、頭痛が消えて意識も正常化した。

 なので、とりあえず考えるのをやめた。


 さて、それならと現状を認識するべく周囲を見回してみる。

 見渡す限り、雲だけの世界が地平線の奥までひたすら続いていた。

 その中で自分は、その雲の上に立っており、何かの行列に並んでいるみたいだった。

 ただ、その列の前後に並んでいるのは人ではなかった。

 それは、人の頭ほどの大きさの白い火の玉のようで、地上から50センチほど浮いていた。

 いわゆる日本的な感覚で例えると、人魂というものだろう。

 そこから連想するのは簡単であった。

(死後の魂の順番待ちか…。)

 その列が、前後ともに果てしなく地平線の向こうまで ふと、気付いたことがある。


 ふと、気付いたことがある。

 どうやら、自分だけは人魂状態ではないようなのだ。

 顔は確認できていないが、見る限り手足はまさしく自分のものであったし、着ていたよれよれスゥェット上下の服装も馴染みがあった。

 つまり、人魂状態でなく生前の姿のままであたのだ。

 もう一度前後を見てみる。

 少なくとも見える範囲では人魂形態のみである。

 自分だけは生前の姿のままで、他は人魂形態ということは、もしかしたら自分だけが特別かもしれないという状況に、ある種の感情が湧き上がってくる。

 その感情、優越感というものだろうか、何となく浮ついた気分になっていた。

 そんな心持ちのまま、前の人魂(仮に人魂A氏と呼ぼう)に話しかけていた。


「えっと、こんにちはー」

「…。」

 返事がない、ただの人魂のようだ。

(うーん、返事どころか反応すらしないなぁ。)

 後ろの人魂B氏にも話しかけるが同様であった。

 もう一度前を振り返り、魂A氏を見定める。

「もしもし~?」

 やはり反応なかった。

「ちょっとー、そんな無視しなくてもいいじゃないですかー。」

 フランクな感じで、パーソナルスペースを詰め、指先ツンツンを試みる。

 普段だったら見ず知らずの人にこのような、ある意味失礼な行動に出ることはなかったであろう。

 優越感が、浮ついた気分が、その行動を促したのは否定しない。

 つん…ぷすっ。

(や、ヤワラカイナリ…。)

 泡立つハンドソープに指を突いたかのようにあっさり突き刺さっていた。

 無情にも右手の人差し指が、目の前の人魂A氏にずっぷしと突き刺さってしまっていた。

 刺さっている指先は、次第に何か暖かな空気のようなものに包まれ、それが圧迫感のようなものを感じさせはじめる。

 その圧迫感が、徐々に強くなるとともに、目の前の人魂A氏が膨らみつつあった。

「ちょっ! なんかヤバいですよ! ねぇ!?」

 更に予想外の事態、しかも明らかに好ましくない方向への事態の推移に、焦り必死に話しかける。

『ぷしゅー。』

「えっ、なんですか?」

 問いかけに答えたように感じた反応は、問いかけへの返事ではなかった。

 それは、突き刺さった指の隙間から漏れてくる音に過ぎなかった。

(ええ!?)

『しゅぅぅぅーーー。』

 驚き戸惑っている間にも何かは漏れ続けている。

(これ、外に出しちゃいけないやつじゃ…汗。)

 慌てて指を根本まで押し込むと、何かが漏れ出るのが止まった。

(ホッ。)

 一息をついたのも束の間、それでも人魂A氏の膨張自体は止まらない。

「え、え? ヤバいよ、ヤバいよ、止まって、止まって!」

 そう連呼するが、事態の収拾には何の役にも立たなかった。

『ポーン』

 圧に負けたのか、人魂A氏は指を押し込む力とは逆後方に派手な音と共に吹き飛んでいった。

「え、待って…」

 そう呟く言葉虚しく、待つことなく飛んで行ってしまった。

『ふしゅるるるぅぅぅーーーー。』

 人魂A氏、何かを吹き出しつつ四方八方へ、栓を抜かれた風船のようにヒュンヒュンと飛び回っていた。

『ひゅるぅぅぅーーー。』

 何故か自分の目の前まで戻ってきて…。

 …。

 ぽとり。

 力なく、雲床の上に横たわった。

 中身を出し切ってすっかり薄く小さくなってしまった人魂A氏。

 枯れた桜の葉のように薄く萎れて小さくなっていた。

 その人魂A氏は、ゆっくりとその姿が半透明になり、さらに薄く透明になってゆく。

 消滅し、あとには何も残らなかった。


 しばらく、いたたまれない気持ちで、その場に佇んでいたが、やはり周囲の状況に特に変化はなかった。

 さて、これだけの騒ぎが起こったのにも関わらず、人魂達の列をみても特に変化はない。

 一面の雲の世界に並ぶ人魂の列は、とくに乱れることもなく、何もなかったように存在していた。

 強いてあげるなら、先程哀れにも息絶えた? 人魂A氏が存在していたスペースが開いているということぐらいか。

「南無」

 手を合わせた(合掌)。

 そして、一歩前へ。

 …。

 すると、どうだろう。

 後ろに並んでいた人魂Bがスっと間を詰めてきた。

(おお、動いた。)

 どうやら後続の人魂たちも列を1つずつ進めているようだ。

ここにきて、初めて起きた大きな変化である。

(あれ? もしかしてお咎めなし?)

 周囲の人魂さんたちも、我関せずと言わんばかりにそこに佇んでいるだけである。

 人魂A氏は既に消滅して、遺留品等も一切ない。

 完全犯罪成立の予感である。

 だが、その予感をあざ笑うかのように、次なる変化はすぐに訪れた。


『ピンポーン』

 そんな電子音とともに、自分から10メートルほど離れた手前の雲床からドアが生えてきたのだった。

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