楽園戦記 〜Eden war story 〜

マネキ・猫二郎

【Prolog】失楽園

 12月24日。今日は冬休み初日、はたまたクリスマスイブである。


 しかも雪が降っているからホワイトクリスマスである。なんとロマンチックなこと! 街へ行けば、さぞ賑わっていることだろう。


 しかし、そんな一大イベントに世間が盛り上がりを見せる中、俺はというと、コタツに潜り、庭に降り積る雪を、窓越しにただボーッと見つめていた。


 やがて暇になった俺は、傍らに積んであった小説の山から、一番上を選んで読み耽る。

 やがて小腹が減れば、体を起こして、机上のミカンを二、三個食べる。

 やがて口が寂しくなれば、珈琲を飲む。

 そして再び小説を読み耽る。


 単に寒さに弱いこともあってか、休日はこうやってノンビリと生きることが俺の幸せなのだ。


 「ただいま~!」


 玄関の方から元気な声が聞こえてくる。家族が買い物から帰宅したのだ。

 俺は欠伸をしながら「おかえり~」と返事をする。


 母、父、妹の三人がリビングに入ってくる。

 それから、コタツに潜ってヌクヌクする俺を見るなり、七歳の妹の咲希が「兄ちゃんまたダラダラしてる」と人差し指を向けてくる。


 「コラ、人に指を指さないの。それに幸助も幸助で、コタツにいたい気持ちも分かるけどさ、少しは外に出て運動なり散歩なりせんと、太っちまうよ」

 母が、冷蔵庫に肉や冷凍チーズフォンデュを詰めながら言う。


 すかさず父がニヤケ顔で「俺とお母さんみたいに」 と言う。

 

  父の爆弾発言に、敢えて母は口を出さなかったが、心のうちでは怒りを膨らませていることだろう。


 「ねえねえ、咲希は太ってる?」

 「そうだなー、咲希はこれからだな」

 「んなこというなアホ」


 そんな冗談でリビングに笑い声が響きわたる。ディスられた母も、茶化した父も、純粋な妹も。そして俺も、ひそかにクスッと笑うのだ。


 今日も今日とて平和である。


※ ※ ※


 「兄ちゃん、雪遊びしよ!」


 こんな寒い中、雪遊びなんぞ何を考えているのやら我が妹は。


 「兄ちゃん、太るよ」

 「兄ちゃんは太りにくい体質だから大丈夫」

 「これから太るよ」

 どうやら先程の会話で経県値を積んできたらしい。


 「ちょっとだけ! お願い!」


 彼女は両手を合わせて懇願する。

 「ほんとのほんとにちょっとだけ!」


 「遊んであげなさい」

 母は昼食分の皿を洗いながら言う。


 父はというと、コタツに潜って、イヤホン両耳に動画を見ているようだ。頼んだぞ、お父さん!


 「お父さん、咲希と遊んだげて」


 イヤホン越しにも聞こえるように、少し声を張って言う。すると、父はイヤホンを外して一瞬ポカンとした後 「おお、いいぞ!  何して遊ぼうか、オセロか? トランプか?」と、完全に室内をご希望のようで。


 しかし妹は屈さない。 「外で雪遊び!」


 「すまん、咲希、却下で」

 父はそそくさと再びイヤホンを装着し、動画へ逃げた。こうなれば仕方がない。


 「一時間だけな」


 そう言うと、咲希はハッと喜んで、目を輝かせながら飛び跳ねる。「やった!」


※ ※ ※


 去年、妹は俺にクリスマスプレゼントを買ってくれた。


 六歳児が選ぶには渋いプレゼントで、それはベージュのちゃんちゃんこだった。

 なにせ、冬が苦手な俺に温まってもらえるよう、母と一緒に選んだそうだ。


 その妹は、今や俺を極寒の地、「外」へと連れ出そうとしているのだから微笑ましい。


 俺はそのちゃちゃんこを脱ぎ、大切に畳んだ後、咲希と共に、二階の自室へジャンパーと手袋を取りにゆく。


 今年もプレゼントをくれるかもしれない。

 そうしたら、俺からは何をプレゼントしようか。

 考えると、心も体も少し温まった気がした。


※ ※ ※


 庭に出ようと窓を開ける。

 

 着込んではいるものの、顔と耳は無防備で、冷たい風が容赦なく、この二点を攻め吹き付けてくる。


 いくら少し温まったところで、冬の寒さは舐めちゃいかん。


 一瞬、庭にでることも躊躇われたが、部屋に雪が入り込むため、俺と妹はすぐさま庭へ出て窓を閉めた。


 「ひゃー! 寒い!」

 寒いと言う割に、彼女は楽しそうに笑っている。

 「そら、そうだ」

 俺は自身の体を抱きしめ擦る。


 この寒さの中、一時間…。三十分に短縮しようかね。


 考えたが、妹のはしゃぎ回る様子を見るに、そんな気はどこかへ消え失せた。


 「兄ちゃん! 雪だるまつくろ!」

 「了解」


※ ※ ※


 互いの、手のひらサイズの雪だるまを並べる。


 この世界に完璧な球体は存在しない。という話をどこかで聞いたことがあるが、妹の雪だるまのマンマルなこと。世界、はたまた宇宙で最も完璧な球体なのでは? ギネスだ! ノーベルだ!


 対する俺のなんとまぁ不格好なこと! でこぼこすぎて、もはや球形とは言い難い。


 眉を歪めて、自身の作品にガッカリしていた時だった。咲希は咲希作の美麗雪だるまさんの頭をもぎ取り、俺の顔面にぶん投げた。


 驚いて声も出なかったが、雪玉に目を眩ませられている間、咲希が大笑いしている声はよく聞こえた。

 

  静かに顔の雪を払い、俺作の雪だるまモドキの頭を手にし、すかさず反撃をする。


 咲希は少し静かになった後、二ヒヒと笑いながら美麗雪だるまさんの下半身を持ち振りかぶる。

 同時に俺もまた雪だるまモドキの下半身を持ち振りかぶるのだ。そして同時に互いの顔へ投げつけてやった。


「「おりゃ!」」


※ ※ ※


 突如始まった雪合戦は盛りに盛り上がった。

 最初は乗り気でなかった俺さえ何だか楽しくなってしまった。

 

 何をどうすれば勝ちなのか、何をどうされれば負けなのか。そんなことはどうでもよかった。

 ただ雪玉を作って互いに投げ合い、また作って投げ合う。その繰り返しがなんとも面白おかしくて、笑いが込み上げてくるのだ。


 笑いすぎたのかお腹の当たりが痛い。

 随分温かい。温かい、温かい……熱い。

 熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。


 背中から大腸にかけての異物感。さっきまで顔をクシャクシャにしながら笑っていた咲希の顔から笑顔は消え失せ、腰を抜かし、見開いた目でただコチラを見つめている。


 絶望を悟るも束の間、俺の背中に突き刺さった異物は、大量の紅い液体と共に、それに染められた状態で体内から体外へ抜き出される。


 血反吐を吐いて倒れる身体。


 ふと全身を走る激痛に、言葉にならない声で呻き、雪の上を紅く染めながら悶え回る。

 

 狂おしい痛みの中、妹に向かって不気味に歩み寄る足を見た。


 やめろ、やめろ、やめろ


 腕を伸ばしてその脚を握り締める。もうすぐ絶えるありったけの力で。

 しかし微力のありったけは数秒の時間稼ぎにもならなかった。黒ジャージの脚は軽々と俺の掌を振り払い、再び彼女の方へ脚を進める。


 やがて悶えることもできなくなった俺は、虚ろな目で曇天を見ながら、降りしきる雪の白に飲み込まれ──


※ ※ ※


 ──白い空間。


 ただそれだけで何もない。自分の身体すら見当たらない。しかし視覚はある。何が起きたのか、俺はただ唖然と途方のない白を見渡していた。


 〝人の子よ〟


 突如、透き通った女声がどこからか聞こえてくる。


 振り返ると、先程までなかった筈の玉座のような煌びやかな椅子がそこに現れた。

 そして椅子にはこの世の者と思えない程の美女が座っていた。と思うと、その背後では巨大な白金の振り子時計が揺れている。短針の刻む一秒一秒がどこまでも続く白い空間に淋しそうに響き渡る。


 「わたしはレス」


 白い長髪。白い眼。白い衣。雪に幻想を魅せられているかのようだ。

 目を奪われ、言葉を失い、頭は真っ白。


 「ようこそ、ここは此の世と彼の世の通過点」

 訳が分からない。


 「アナタは死んだ」

 「死んだ…」

 そうか、あの時。


 「家族…っ…家族は、無事ですか、無事ですよね」

 つまづくようにして喉に引っかかった言葉。縋るような思いで問うた疑問。絶対に聞きたい、絶対に聞きたくない、矛盾だらけで都合のいい感情。


 答えを待つように、俺はこの空間で唯一紅い、彼女の唇を見つめ続けた。いくらでも待つ。その口から家族の無事を聞けるのであれば。


 変わらず短針は回り続ける。暫くの沈黙。

 ──そして俺はやっと気づく。

 彼女の無言こそがアンサーであることに。


 本当に夢のようだ。

 視覚が痛むほど白い空間だというのに、雨天の白昼の如く薄暗く映る。悪夢のようだ。


 その時、蜘蛛の糸が一本。彼女は云う。

 「禁断の果実を喰らえ。さすらば万物の願い叶えん」と。


 「人の子よ、アナタを転生させる」

 「転、生?」

 「地球とはまた別の世界。そこで禁断の果実を見つけ出し喰らう。そうすれば日常は戻ってくる」


 「…どうして俺だけなんですか」

 「……アナタがこれより行く場所は戦乱の世。殺すか殺されるかの残酷で残虐な世。そんな地獄に家族を向かわせたいか」


 それは、嫌だ。でも、そんな世界で俺は生きていけるだろうか。

 黒い不安が心を渦巻いてゆく。


 蜘蛛の糸の強度は覚悟に比例する。


 疑問は止まない。

「どうして俺なんですか」


 妹なら幼さが理由になるが、母や父でなく何故俺なのか。それが知りたかった。知ろうとした。それがいけなかった──


 「アナタを愛しているから」


 終始無表情だった美しい顔は、下卑た恍惚の顔となる。立ち上がり、一歩、また一歩。足取りは覚束おぼつかず、一歩、また一歩。


 短針の音と重なって、タン、タン、タン。

 途端トタン…。

 リズムが崩壊し、狂気の足取りに拍車が掛かる。


 タンタンタンタン──


 それに合わせるように短針も時を刻む。


 後退りをする身体もない。視覚を遮る瞼もない。紛うことなき悪夢だ。


 彼女は目の前まで来て止まり、蕩けた白い眼でコチラをじっと見つめている。短針の音も止んだ。


 数秒ほどして、彼女の顔がゆっくりと俺の視覚に近づき始める。再び短針が動き出す。しかし、先程よりも激しく廻っている。


 俺の目と、彼女の目。数センチの間。

 彼女の紅い唇が、魂に触れる。その瞬間

 振り子時計は零を指し、始まりを告げた。


 【Prologue】失楽園 ✿──終わり──✿

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