『雪解けのときはまだ遠く』4
それ以降、私と蒼葉はろくに言葉も挟まず、黙々と雪玉を転がし続けた。
耳から入ってくるのは、自分の呼吸音と、雪を踏み締める音だけ。
静寂は思考を曇らせがちだが、今日に限ってそれはない。このときばかりは、バランスの良い球体にするほうに思考を割けていた。或いは、全身を動かしているのが良かったのかもしれない。
それだけ集中していても、成人が大きいと思えるほどの雪玉ができあがるにはかなりの時間を要し、いよいよ蒼葉の作った雪玉と合体させる頃には、日が傾き始めていた。
「いよいよ合体のときがきた!」
楽しげにそう言った蒼葉の雪玉は、私よりもふた回りほど大きなものだった。成人男性である私の胸元ほどまである、巨大な雪玉である。これについては、流石、雪が得意なだけあるな、としか言いようがない。
「大きさ的に、僕の雪玉を上にしたほうが良いな。結構な重さがあるから、協力して一気に乗せよう」
「そうだね。それじゃあ、いくよ千慧ー!」
「よし、せーの!」
声を掛け合い、ぐいっと雪玉を押し上げる。
私の作った雪玉だって、私の腰元に届くほどの大きさがあるのだ。重さだって相当なものである。大の大人でも、全力で挑まなければ押し上げきれない。しかし、力加減を間違えば、せっかく作った雪玉が崩壊してしまう。豪快さと慎重さを同時に求められる。なんとも繊細な作業だ。
果たして、私の雪玉はゆっくりと蒼葉の雪玉を乗り上げ、見事大きな雪だるまと成った。
「……できた。できたな……!」
久しぶりに達成感に満ち足りた気持ちになった。
「いや、まだだよ」
が、蒼葉はそれをばっさりと否定する。
「顔とか手をつけなきゃ、雪だるまは完成とは言えないでしょ」
「た、確かに……」
言われてみれば、という感じだった。これでは、ただの巨大な雪像である。いや、これはこれで立派ではあるのだが、雪だるまにする以上、蒼葉の言う装飾は必要不可欠だろう。
「飾りつけに使えそうな石とか枝とかはわたしがその辺から見繕ってくるから、千慧は一回休憩しなよ」
「いや、それは……」
「ああ、ええとね、千慧はここらで一回身体を温めたほうが良いよってこと」
それはもっともな指摘だった。
防水の手袋はとっくの昔に浸水し、指先どころか手全体が冷え切っていた。身体を動かしていたからか、あまり寒さは感じないが、身体の芯まで冷え切る前に、なにか一度温かい飲み物を飲んでも良いかもしれない。
「それじゃあお言葉に甘えて、休憩がてら向こうの自販機まで行ってくる」
「行ってら~」
蒼葉に一声掛け、私は一旦空き地を出た。
田舎にコンビニはほとんどないが、自販機ならそこそこの頻度で見かける。この辺りも例に漏れず、少し道を戻った交差点に、二台設置されていたのを、来る途中に確認済だったのだ。
自販機の前に立ち、ぼうっと羅列した商品を眺める。
身体を温めることが目的なのだから、冷たいものは除外。コーヒーの気分か? それともお茶か? 或いは、スープ系? 甘いものか、そうでないものか。温かいもの、温かいもの、温かいもの……。駄目だ、選べない。決められない。目が回りそうになる。
私は深くため息をついて、それから、最下段にあった温かいココアとお茶を購入した。どちらもペットボトル容器のもので、飲みきれなくとも大丈夫なものにした。
「蒼葉、どっちが良い? ……って、なにがあったんだよ」
そうして空き地に戻ると、半べそ状態でしゃがみ込んでいる蒼葉の姿があった。
「使えそうな枝も石も全部が雪の下で、絶望してたの……」
「ああ……」
この積雪量だ、それなりに掘らないと地面まで到達しないだろう。途中まで掘った形跡はあるが、良さげな石や枝を探すには途方もないことに気づいて止めたことが窺える。
「千慧はちゃんと温かい飲み物買ってこれたんだね。えと、わたしのぶんもある感じ?」
「うん。どっちが良い?」
「それじゃあ……お茶! ご馳走さまですっ!」
ぱっと伸ばされた手に、お茶を渡す。
早速それを飲んで、蒼葉は小さな笑い声を漏らした。
「なんか懐かしいね。子どもの頃、千慧が水筒に入れて持ってきてくれた温かいお茶を飲んだときのことを思い出しちゃったよ」
「それ、お前に温かいものを飲ませたから溶けて消えちゃうんじゃないかって、僕が大号泣したやつだろ」
まだ覚えてたのか、と私は嘆息した。
当時は本気で心配したし、その日の晩は恐怖でろくに眠れなかったことを思い出す。そんな気が気でない夜を越えた翌日、いつもと変わらない様子で私を待っていた蒼葉を見て、私は安堵し、大号泣したのだ。
消えてなくて良かった、居なくならなくて良かった。
そんなことを言いながら泣き叫んだんだっけか。
「飲食については人間と同じもので問題ないんだけど、あのときはそれを言わなかったわたしも悪かったからねえ。あれ以来、わたしの素性を知ってる人には、事前に言うようにしたんだよ」
「それは殊勝な心掛けだ」
第二第三の被害者が出ていないのなら、重畳である。
「それで、石とか枝とかが見つからないって話だったか」
私は手元に残ったココアの蓋を開けて飲みつつ、話を戻すことにする。
「一緒にその辺を掘り返しても良いけど、綺麗な雪原に土が混じるの、あんまり好きじゃないんだよなあ……」
どれだけ雪景色が見慣れたものとなっても、真っ白な雪景色は真っ白なままで居てもらいないものだ。
「わかるー。春先の雪解けで地面が見えてくるのとは違うんだよね。風情がないっていうかさ」
ごくごくと良い飲みっぷりで、容器の半分ほどまで空けた蒼葉は、ふとそのペットボトルを見つめ、そうだ、となにやら閃いたように大声を上げた。
「このペットボトルの蓋を目にしよう! 千慧のも使えば、ひとまず目は作れるよっ!」
「名案。採用」
言って、私は早速手元の蓋を雪玉に嵌め込んだ。
蒼葉もそれに倣い、バランスを見つつ嵌め込む。茶色と緑色の目を持つ、オッドアイ雪だるまの顔ができた。
「あとは手だね。手くらいなら――えいやっ」
思案顔から一転、蒼葉がなんだか気の抜けそうになる掛け声をかけた、次の瞬間。
とても冷たい風が、頬を撫でた。
その冷風は、蒼葉の元に集まっていく。いや、正確に言えば、蒼葉の手元に、だ。
軽く広げられた蒼葉の手元に風が集まり、そして、驚くべきことに、そこから氷が生成されていくではないか。
それは次第に大きさを増していき、長く、長く、伸びていく。
「じゃじゃーん、氷柱の完成~!」
そうして、世の小学生の大半がそうするように、蒼葉は氷柱を剣のように構えて見せた。そうして、どうだと言わんばかりに鼻を鳴らし、私を見る。
「すごい、すごいよ」
子どもの頃に蒼葉の正体について聞かされたときも、これと似たようなことは見せてもらっていた。しかし、当時とは桁違いの生成速度と大きさだったのだ。語彙を失った感嘆の声だって漏れ出てしまう。
「なんてったって一人前ですからな~。こういうことだってできるんですぜ、旦那」
ふざけた口調になりつつ、蒼葉は得意げに氷柱に手をかざす。
すると、一本の無骨な氷柱の先に、手のかたちを模した氷ができていくではないか。
「改めて、完成~! はい千慧、これ持ってて。もうひとつ作っちゃうから」
言うが早いが、押しつけるようにして私に氷柱を持たせると、蒼葉はあっという間にもうひとつ作り上げた。
「いやあ……本当にすごいな」
相変わらず私の口からは月並みな言葉しか出てこないが、素直に感動していた。
超常的な力を目の前で見ることができて、感動しない人間はいないだろう。まして、こんなに美しいものなのだから、尚更だ。
「それではいざ、手の装着でござい!」
私の感動を置き去りに、蒼葉は雪だるまの左側に回り、作ったばかりの氷柱を突き刺した。
「ほら、千慧も!」
そう言われ、私も蒼葉に倣い、雪だるまに氷柱を突き刺す。しっかり固めた雪玉なだけあって力が要ったが、無事、氷柱は折れることなく刺さってくれた。
「今度こそ完成、だな」
「うん!」
やったー、と両手を上げて喜ぶ蒼葉。
それを見ていると、なんだか身体の内側からくすぐられているような気分になった。しかしそれが、嫌ではない。むしろ、自然と口角が上がるほど私の感情は上ずっていた。
「蒼葉、せっかくだから記念撮影をしないか」
言いながら、私はポケットからスマホを取り出した。
「良いね!」
蒼葉は踊るような足取りで雪だるまの隣に立った。
私はスマホのカメラを起動し、綺麗に画角に収まるよう位置取りをする。
灰色の空に、真っ白な雪原に、オッドアイの雪だるま。
そして、勿忘草色のワンピースを着た昔馴染み。
果たしてこれが、所謂『映え』になるのかは、私にはわからない。けれど、今この瞬間の高揚感を、この一枚に全て閉じ込められたらとは思う。
「千慧ー、カメラ、その位置でおっけー?」
「え? ああ、うん。じゃあ撮るぞ」
蒼葉からの問いかけの真意がわからないまま頷き、シャッターを切ろうとした、その瞬間。
「えいやっ」
例によってなんだか気の抜ける掛け声がしたかと思うと、足元から氷が生えてきたではないか。
氷はするすると伸び上がってきたかと思うと、私が持っていたスマホをするりと奪い、その位置で停止した。
「千慧、画角の調整したら、タイマーかけてこっち来なよ。一緒に撮ろ?」
「そういうのは、もっと事前に説明をだな……」
驚きのあまりばくばくと鼓動する心臓を押さえつけながら、私は小声で抗議した。聞こえないように吐いた言葉は、想定通り蒼葉の耳には届いていなかったようで、彼女はにこにこと微笑みつつ首を傾げ、私が来るのを待っていた。
私は小さく肩を竦め、それから、蒼葉の作った氷のカメラスタンド上で画角の微調整を行い、タイマーを起動した。
「十、九、八、七……」
カウントダウンをしながら、早足で雪だるまの隣に向かう。
「六、五、四……」
蒼葉、雪だるま、私の順で横並びになるよう位置取り、くるりと振り向き、スマホのほうを向く。
しかし、ふと、この写真に私は不要ではないか、なんて不安が芽吹く。
上手く笑えすらしない私なんて、写ったところで意味はない。どころか、不愉快でしかないかもしれない。あとになってこの写真を見返したとき、私は私が要らないと思ってしまのではないか。そんな、よくないことを考えてしまうのではないかと、不安になる。
「さ、三……」
口ではカウントダウンを続けつつ、咄嗟に、蒼葉のほうを見た。
瞬時に私の視線に気づいた蒼葉は、
「にっ」
と、歯を見せて笑い、スマホのほうを向くよう促してきた。
「いち」
そのとき、私がどれだけ笑顔を作れていたのかは、わからない。可能な限り、この楽しい気持ちが伝わるよう、努めたつもりだ。
カシャ、と無機質なシャッター音がスマホから鳴る。
写真の出来栄えについては、言及するまでもないだろう。
それを見て、私たちは声を上げて笑った。
「千慧、ピースしきれてないじゃん! これじゃ猫ちゃんの手だよっ!」
「蒼葉こそ、半目じゃねえか! 撮り直しだ、撮り直しっ!」
終
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