『透明人間はスパゲッティで孤独を癒やす』5

 翌日。

 私は重たくなる気持ちを引きずって出社した。

 永山さんから言われた通りに会社に電話をかけると、小さな会議室に案内され、上司である佐渡嶋さんと、同じ透目町出身である夜野さんと私の三人で話し合いが行われた。

 結論から言えば、完全在宅勤務にはならなかった。

 どうしたって、それで倒れて入院した経緯がある以上、会社としてもその要望は飲めないと言われた。だが、しばらくは週に一度の出社日を設け、様子を見ていく方向で決着が着いたのは、大健闘と言えよう。出社日が憂鬱であることに変わりはないが、上司や同僚に私の特性について把握してくれている人が居るというのは、とても有り難い。とはいえ、その理解に甘えてばかりもいられない。私にできる対策を考え続け、試行錯誤していくしかないのだろう。結局、私の人生はこの特性からは逃れられないのだと、今回の件で痛感した次第だ。

 そうして今後の私の勤務形態についての話し合いをしたあとは、仕事の引き継ぎや、出社日の業務環境の確認等を行い、私は定時に退勤した。

 帰り道の途中、お菓子屋さんに立ち寄り商品を吟味しながら、今日のことを思い出す。

 佐渡嶋さんも夜野さんも、永山さんとは昔からの知り合いだと言っていた。特別な恩義があるわけではなく、たまたま一緒に仕事をしたことがあったり、町の行事で知り合いになったりしていたそうだ。だから永山さんは二人に対して圧をかけたりせず、単純に、お互いの事情を理解した上でじっくり話し合いをして欲しい、と頼んだだけらしい。いやはや、本当に有り難い限りである。

 そんなわけで、私は会社でのことの顛末の報告と、改めて二木さんと永山さんにお礼を言う為、菓子折りを持って、本日再び喫茶店を訪れた。

 今日の休憩時間中になんとなく調べてみて驚いたのだが、あの喫茶店は結構な人気店らしい。平日は予約なしで良いが、土日は予約必須だった。去年の夏頃に透目町を紹介した動画が投稿された際、そこに喫茶店も含まれていたことがきっかけになったようである。しかし一時のブームで終わらず、動画公開から約一年ほど経った今でも人気店で在り続けているのは、定期的にSNSやホームページで情報発信を行っているからだろう。企業アカウント顔負けのクオリティでメニューが紹介されており、口コミサイトでの評判も良いとなれば、近隣市町村の人間はもちろんのこと、他県からやって来る人が居ることも納得の一言である。

「いらっしゃいませ。お一人様で……あ!」

 果たして入店に気づいてもらえるのかと、どぎまぎしながら喫茶店に入ると、二木さんが紳士的な笑顔で案内をしようとして、やってきた客が私だと気づくと、ぱっと花が開くような笑顔を見せた。

「昨日の今日ですみません。今日はお二人にお礼を言いたくて来ました」

 これ、と今しがた買ってきたお菓子の詰め合わせが入った紙袋を二木さんに渡す。

 そうして、ここへ来るまでの間、頭の中で何度も繰り返し練習した言葉を口にする。

「おかげさまで、出勤は週一で、それ以外は在宅勤務となりました。本当にありがとうございました。あ、永山さんにもよろしくお伝えください」

 仕事の邪魔をしてはいけないと、簡潔に報告をし、頭を下げた。

「わあ、ご丁寧にありがとうございます」

 俺らは特になんにもしてないですけどね、なんて謙遜をし、二木さんは続ける。

「暮縞さん、良かったらウチに寄っていきませんか? あ、今日は料金いただきますけど」

「それなら……はい、是非に」

 僅かな逡巡の末に、私はお誘いに乗ることにする。

「今日はお金、ちゃんと持ってきてますから大丈夫です」

 正直に言うと、昨日食べたスパゲッティの味が忘れられずにいた。席が空いているようであれば、とは考えていたのだ。平日の夕飯時という今の時間帯、店内の席は六割方埋まってはいるが、みんな思い思いに過ごしているようで、二木さんも永山さんも、目が回るほど忙しくはないようだ。

「お好きな席にどうぞ」

 二木さんはにっこりと笑みを深めてそう言うと、一歩下がって身体の向きを変え、私に店内がよく見えるようにしてくれた。

 どうやら窓際が人気のようで、その辺りの席は全て埋まっている。そういえば口コミサイトで、四季折々の植物が見られるお庭が立派だって書いてあった気がする。お庭はまた明るい時間帯に来られたときのお楽しみにするとして、今日はどの席にしようかと、今一度店内を見回し、私はカウンター席に座った。

 上着を椅子に掛け、鞄を足元に置いて落ち着いたところで、二木さんがやって来て、お冷とメニューブックを渡してくれた。

「ご注文がお決まりの頃に、またお声がけしますね」

「は、はい。ありがとうございます」

 いつもなら、こういったお店に私一人では来ない。私が一人で行けるのは、セルフレジ方式のファーストフード店か、タブレット注文式のチェーン店くらいだ。

 だけど二木さんなら、他の人と同じように私を扱ってくれる。

 それが予想以上に心をくすぐり、私はにやけ顔を隠すようにメニューブックを開いた。

 メニュー数は多いが、それで目が滑ることはなく、非常に見やすく作られている。口コミサイトのレビューを見た感じだと、投稿者によっておすすめメニューが全く異なり、それはもう様々な写真が掲載されていた。喫茶店の王道メニューから、焼き魚定食なんてものまである。年寄りも多い田舎町という立地上、和食にも力を入れているのだろう。

 その中から食べたいものを決め、注文をしようと、顔を上げる。

 すると、丁度目の前でコーヒーを淹れていた永山さんと目が合った。

 目が、合ったのだ。

「君か。来てたのか」

「き、昨日はお世話になりました。おかげさまで、今後もなんとかやっていけそうです。本当にありがとうございました」

 冷静を装いつつ、内心は心臓がばくばくと跳ねている。それもそのはず。

「永山さん、私のこと、いつから見えてました?」

 彼が昨日、私を認識できたのは、二木さんと接触して以降だった。今日、会社ではいつも通り私に気づかない人ばかりだったから、その効果は残っていなかったはず。

「鈴の音がしたから、君が来たのかなって思って顔を上げたら、そこに君が居た。入店には気づかなかったかな」

「なるほど……」

 昨日、二木さんから頂いた鈴は、鞄につけていた。足元に置くときに一際大きく鳴ったのだろう。……やはりあの鈴、想定以上にご利益があるのではないだろうか。

「それで? ご注文はお決まりですか?」

 永山さんが淹れたてのコーヒーを二木さんに渡し、二木さんがそれを注文したお客さんのところへ提供に向かったところで、永山さんからそう尋ねられた。

 たったそれだけでも、私にとっては万感の思いがして、目頭が急速に熱を持ったのがわかった。零れそうになったそれをぐっと堪えて、私は言う。

「ナポリタンセットひとつ、お願いします」




 終

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