第3話 運転する資格がなかった男
事故の前年に鹿沼市の広報誌のコーナー『まちのフレッシュさん』に柴田の記事が掲載されていた。
記事の中で柴田は「クレーンを巧みに操作する先輩の姿にあこがれ、この仕事に就きました」と話し、「30歳になるまでには、50トンのクレーン車を乗りこなせるようになりたい」と抱負を語っている。
同コーナーでの柴田は仕事であるクレーンの操作技術の向上に日々邁進するさわやかな好青年として紹介されているが、6人もの児童の命を奪った事故を起こした後で見たらけったくそ悪いことこの上ない。
こいつがクレーン車に乗っていなかったら、事故は起こらなかったのだ。
そもそも、柴田はクレーン車のような大型車どころか、自動車そのものを運転してはいけなかった。
と言っても、普通車はもちろん大型特殊の免許まで持っているから無免許ではない。
免許は交付されていても、車を運転させるにはあまりにも危険な特性があったのである。
この事故を目撃していた人間は、クレーン車が小学生の列に突っ込んだ時、運転手はハンドルに突っ伏していたと証言しており、柴田も当初の取り調べでは、居眠りをしていたと供述していた。
さらに柴田は「ドン」とぶつかったのは覚えているが、人をはねたかどうかは覚えていないとも話し、ぼうぜんとした状態であったという。
だが、柴田の務める小太刀重機は現場から700メートルしか離れておらず、それだけの距離で居眠りをするのは不自然であり、何らかの持病があって発作を起こしたのではないかと見られていた。
ほどなくして、3年前の2008年4月9日にも、柴田は乗用車の運転中に小学生をはねて複雑骨折の重傷を負わせる事故を起こしていたことが判明する。
同年11月には、宇都宮地裁により自動車運転過失傷害罪で禁固1年4か月執行猶予4年の判決が下され、執行猶予中だった。
この事故でも、当時の柴田は居眠りをしていたと供述しており、事故後に病人のようにふらふらしていたとの目撃証言があったことから、発作によって意識を失ったのではないかと見られていたが、インフルエンザの影響などとも言い張って否定し、この事故は居眠り運転が原因とされてしまったようだ。
これはいよいよ単なる居眠りではなかった可能性が高まって調査を続けたところ、案の定柴田には持病があったことが分かる。
それはてんかんだ。
てんかんは、脳の神経細胞が無秩序に活動することによって発作が起こる慢性の病気であり、柴田は子供のころから、てんかん発作を起こして度々通院していたのである。
それも、意識を失うくらいだから症状が重い。
薬を飲めば、その発作をある程度抑えることができるのだが、事故当日に柴田はその薬を飲んでおらず、しかも前日は夜遅くまで携帯電話でゲームをしていたと供述。
柴田の自身の持病に向き合おうとしない無自覚さが、この大惨事の一因であったことが明らかになった。
さらに、免許の取得や更新時の記録などを調べたところ、より許しがたい事実が発覚する。
柴田は、義務付けられている持病の申告や診断書の申告をせず、持病を隠して免許を取得・更新していたのだ。
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