第20話 シロとクロとお買い物
由良様は、ハチさんと一緒に月帝神宮に向かわれた。
その間に買い物を済ませようと、私はシロとクロを連れて外に出た。
シロとクロは玉藻家から外に出ると、袴を着た愛らしい少女と少年の姿になった。
二人とも、耳と尻尾は消えてしまい、愛らしい良家の子供にしか見えない。
「薫子様、お買い物ですね」
「薫子様、お買い物です」
クロが私の手を握り、シロが道案内のように少し先を歩いている。
よく晴れた風の心地よい日だ。
確かに由良様が言っていたように、街角には提灯が掲げられていて、赤い布が張り巡らされている。
お祭りの準備をしているのだろう。
私は真新しい着物に袖を通している。
八十神の家で着ていた衣服と比べると、驚くほどに上質で高価なものだ。
白地に色とりどりの花が散っている。
慣れない着物のためか、どうにも気後れしてしまう。
人前に出るのは、少し恥ずかしい。
シロとクロが一緒にいてくれるのが、心強かった。
「お買い物はあまり行ったことがないのですよ。ハチは意地悪ですから、クロたちをお買い物に連れて行ってくれないのです」
「クロが売られている魚を、買う前に食べてしまったからいけないのよ」
「美味しそうだったし。人は、何かを買うときに紙を渡すでしょう? 紙や、コインを。クロにはあまり、理解できないのですよ」
「シロにもあまり理解できないのです。でも、薫子様が一緒ですから、安心です」
明るい日差しの中、行き交う人の中を手を繋いで歩く。
クロの手はふわっとしていて柔らかい。
式神という存在だそうだけれど、きちんと体温を感じる。
楽しげに母親と手を繋いで歩く子供の姿。
腕を組んで歩く老夫婦。
幸せそうに並んで歩く恋人たちに、生き生きとした笑顔を浮かべる女学生の姿もある。
そういう人たちが、今までの私には遠い世界の方々に思えていた。
私と、そういった日常を送る人たちの間には薄い膜がある。
その膜は、超えることができない。
得られない、幸福。得られない、日常。
私が諦めていたものがそこにあった。
けれど今の私は、彼らに溶け込んでいるような気がしている。
由良様や、シロやクロ、ハチさんがいてくれるから。
「薫子様、どうしました?」
「にこにこしています。何か楽しいことがありましたか?」
「あぁ、ごめんなさい。こうして、一緒に出かけるのが楽しくて。クロと、手を繋いで歩けることが、幸せだと思っていました」
思わず口元がほころんでしまった。
シロとクロは顔を見合わせると、にっこり笑った。
今は尻尾はないけれど、幻の尻尾がパタパタ揺れているような気がした。
「シロも、薫子様とのお出かけ、楽しいです」
「クロも、とっても楽しいです!」
「由良様は、お出かけはしてくれませんから」
「由良様は、お顔の怪我をされてから、外に出ませんでしたから」
由良様は、お顔の傷をとても気にされていたようだ。
私には傷があっても美しい方に見えたけれど──それ以上に、心の傷のほうが深かったのかもしれない。
お兄様に傷をつけられた。お兄様と、戦わなくてはいけなかった。
それは、どれほど辛く苦しいことだっただろうか。
「ずっと面をつけていたのですよ」
「誰にも見られないように、ずっと面を」
「でも、薫子様のおかげでつける必要がなくなりました」
私は神癒の巫女になることができた。
けれど、あまり実感はない。
「薫子様と手を繋いでいると、とても心地いいのです」
「とても、よい香りがします」
「……由良様を癒すことができるように、私はシロやクロのことも癒すことができるのですか?」
「そ、そんな、おそれおおい……!」
「そそ、そんな、おそれおおい……!」
私が尋ねると、シロとクロはぶんぶんと首を振る。
「シキは、由良様から力をもらっています」
「シキの力は由良様の力。ですので、由良様の力が増せば、シキの力も増すのです」
「でも、由良様がいないときでしたら、直接力の譲渡は可能です」
「可能なのです。おそれおおいことですけれど」
シロとクロは、繁華街まで私を案内してくれる。
雨よけのアーケードの下に作られている商店街である。
たくさんの人々が、それぞれ通路に面して開かれた店で買い物をしている。
「ここは、稲荷ギンザといいます」
「ギンザとは何のことか分かりませんが、稲荷ギンザといいます」
「美味しいおにぎりのお店があるのですよ」
「美味しいおだんごのお店もあるのです」
「美味しいかふぇもあります」
「ハチが時々、クリームソーダを飲ませてくれるのです」
口々に、シロとクロがお店について教えてくれる。
八十神家にいた時は、ご近所の商店に買い物に行っていた。
私が知る商店よりもずっと大きく賑やかな場所だ。
今日の夕食のためのお野菜を買い、お魚を買う。
お金は、ハチさんからもらっている。
使いきれないぐらいにたくさん、今日の分としてくれたので、必要な分だけお財布に入れて、あとの分はお部屋の文机の引き出しにしまってきた。
返そうとしたら「とんでもない。本当は玉藻家の全財産をお渡ししたいぐらいなのですよ」と言われてしまった。
それは、流石に困ってしまう。
「薫子様、今日の夕飯は何ですか?」
「今日のご飯はなんでしょうか?」
「美味しそうなアジがありましたので、アジの塩焼きとほうれん草のお浸しと、かぼちゃの煮付け。お豆腐の味噌汁にしようかと思います。大したものは作れないのですけれど……」
「わぁい」
「お魚は大好きですよ」
シロが軽く体を揺らし、クロは小さく飛び跳ねた。
「シロがお魚を焼くと、こげこげになるのです」
「クロがお魚を焼くと、生焼けになるのです」
「ほうれん草はびちゃびちゃに」
「ほうれん草はクタクタに」
「かぼちゃはゴリゴリに」
「かぼちゃはぐちゃぐちゃに」
二人は息を合わせて「ねー」と、言い合った。
私はクタクタや、ゴリゴリになったお野菜を想像する。
それを「美味しいよ」と優しくいいながら食べている、由良様とハチさんの姿も。
とても、微笑ましくて、つい笑ってしまう。
「薫子様が笑っていると、嬉しいです」
「由良様もご一緒できればよかったのに」
「きっと、かわいいね、薫子……といいますよ」
「俺の薫子の笑顔は、世界一だ……といいますよ」
「い、いえ、そんなことは……」
シロとクロはからかっているつもりはないようで、真剣な顔で「いいます」「いいます」と繰り返した。
私は何だか照れてしまって、染まる頬を隠すために俯いた。
そんな私に近づいてくる人影がある。
それは、数人の女性を引き連れた、女学生の制服姿をした咲子さんだった。
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