第28話


 一点差で迎えた最終回。常磐二高と同じく水上高校も打順は一番からだ。

 上位打線であることは間違いない中で、誰もが思っていることがある。

 

 「三者凡退にすれば弘松には回らない」


 博一はロジンを手に付けながらマウンド上で呟く。

 相手は春の代表。名門校。

 負けられない。

 なんとしてでも四番に繋ぐ。

 そんな夏の日差しよりも熱い意志が水上高校のベンチから溢れ出している。バッターボックスに立つ打者の視線が博一に突き刺さる。

 最終回のピリピリを超えてビリビリした雰囲気が博一には懐かしく思えた。

 青い空を見上げ、目を瞑る。そのまま持ち上げた首を元の位置に戻し、目を開く。

 そして、今までの槍投げのようなフォームを崩し、大きく左足を上げる。谷村のミット目掛けて投げ込んだ豪速球が弾けるような音を響かせた。

 九回まで来ても変わらない勢い。寧ろ上がってるような感覚さえあった。

 加えてフォームの変更に球場がどよめいている。

 明らかに動揺を隠せない一番打者に谷村は声を掛ける。


 「驚くことはないだろ。知っての通り、足本は世界一を獲った守護神だぞ。どんな場面でも最終回を抑え続けてきたんだからな」

 

 そう言われて守護神に思えるのはチームメイトだけだ。

 水上高校のメンバーにはマウンド上に立つ博一が大きく大きく聳える絶対に越えられない壁に見えてしまった。たったの一球で。

 守護神なんてありがたいものではない。

 言うなれば災いをもたらす神——さながら魔神と呼ぶべき存在だった。

 手も足も出させることなく一番、二番を三振で打ち取っていく。

 後一人で試合が終わる。

 弘松はネクストバッターズサークルで待つ。仲間を信じて。

 勝利を確信していた谷村は浮つきながらミットを構えるのだが、外れた。


 「うん?」


 博一とバッテリーを組んでミットを動かした中で初めての距離だった。

 こんなに大きく外れることは今までなかった。

 これだけ投げ続けていればそんなこともあるだろう、と気にせずボールを投げ返す谷村。

 二球目、ボール。

 三球目、ボール。

 そこで谷村は察した。前にもやったスリーボールからストライク三連発でアウトを取る作戦だろうと。

 

 「ボール、フォアボール!」

 

 だが、続く四球目も大きく外し、四球で出塁。

 弘松が本塁打を放てばサヨナラ負けである。

 三者凡退で終わりだと思っていた谷村は大慌てでマウンドの博一へと駆け寄る。

 

 「どうしたんだ突然! 一発出たら終わりだぞ! 調子悪いのか!?」

 「いや、お返しです」

 「お返し?」

 「ファーストゴロになって、俺がベースの上にグローブを置いた時があったのは覚えてますか?」

 「一個前の弘松との対決だな。覚えてるとも」

 

 守備側である博一がヘッドスライディングをしたあのアウトはギリギリだった。

 

 「あの時、弘松が避けてくれたんです。多分、あのまま全力疾走されてたら俺の左手は使い物にならなくなってたと思います」 

 「だからと言ってだなぁ!?」

 「星野も俺と勝負しました。それに今、すっげぇ調子良いんです。ここで四番抑えて勝ったら最高じゃないですか」

 「こんな時にあいつみたいなことを言いやがって……」


 まるで山路のようなロマンを求め始めた博一に頭を抱える谷村。

 確かに瑠璃に捧げる勝利としてはこの上ない最高の終わり方であるが。

 だが、余りにもリスクが高過ぎる。

 

 「配球は先輩に任せます。しっかり打ち取るでも、全部直球勝負でもどんな注文も受け付けます。ただ、後者の場合は弘松に——と言って下さい」

 「あぁもう分かったよ! 信じるぞ! 瑠璃に最高の勝利を届けるからな!」

 

 ホームに戻る谷村にピースサインで返事をする博一。

 谷村はキャッチャーマスクを被り直しながら打席に入る弘松へ声を掛ける。


 「球、しっかり見といてくれよ」

 「……?」


 博一が大きく振りかぶって投げた第一球が炸裂した。

 ストライクゾーンからは大きく外れていたが、球速は百五十八キロ。

 

 「勢いが……増すのか……」

 「逃げる気はないから本気の勝負をしようぜ。抑えればオレたちの勝ち。ホームラン打てばそっちの勝ちだ」

 「変化球への前振りか?」

 「馬鹿男二人がロマンを追い求めてるだけだ。乗りたきゃ乗れよ」


 谷村の言葉が真実である保証は何処にもない。

 これから全部あの豪速球が来ると待ち構えていて変化球を投げられたら誰だったとしても絶対に反応出来ない。

 そもそもこんな馬鹿げた勝負をする必要が何処にあるのか。

 春に全打席敬遠を貰っている弘松は変化球を頭に入れて再び構えるが。


 「ストライク!」


 次はど真ん中に同じく百五十八キロの直球。

 歓声とも違う声があちこちで上がり、この一打席の緊迫感が増幅する。

 

 「見逃すコースじゃないだろー! 打てぇ!」

 「頼む! お前が打たなきゃ誰が打つんだよ!」


 ベンチから聞こえる応援の声。

 弘松はマウンド見る。


 「まさか……本気で?」

 「あいつ曰く、お返しなんだとさ」

 

 お返しと言われて弘松の脳裏に一塁上でのクロスプレイが浮かんだ。

 信じ難い話だが、あれだけ制球力の高い博一が三番打者に四球を出したのも勝負する為だと思えば納得出来る。

 それと同時に打席に入った時に言われた「球を良く見ろ」の忠告。

 初球がボール球だと思ったら次はど真ん中。制球を無視して全身全霊の直球勝負を仕掛けてきているのだろう。

 

 「こんな馬鹿げた勝負は……初めてだ」


 高校に入ってからまともに投げてくれた投手が何人居ただろう。

 今、この瞬間だけ敬遠敬遠敬遠の日々の記憶が吹き飛んだ。

 二死、一塁。高校生最強打者と謳われた自分が本塁打を打てばサヨナラ勝ちの場面。相手投手は全力の真っ直ぐしか投げてこない。

 ならば弘松がやることはたった一つ。


 「絶対に打つ」

 

 それを聞いた谷村はミットの中に拳を叩き付け、構える。

 その仕草に博一は一層気合を入れて縫い目にしっかりと指を引っ掛ける。真ん中目掛けて本気で投げる——投げる——投げる。

 あくまで基準のど真ん中からバラつく百六十キロ弱の直球。

 弘松が必死にバットで喰らい付く。

 ファウル、ファウル、ボール球を見逃し、目の前で繰り広げられる一進一退の攻防に応援席は感情が激しく上下に揺れている。

 しかし、そんな雰囲気も束の間。フルカウントになってからは異様なまでの静けさが球場を包み込んでいた。


 「ふぅ……ふぅ……」


 四球を選びたくない弘松がボール球を無理矢理ファウルボールにしているのだ。

 誰も博一が変化球を投げないことに疑問を持っていない。

 ただただこの勝負の行く末を邪魔立てしないように見守っている。

 博一は位置がズレてきた帽子を被り直し、バットを構える弘松に目を向ける。

 四球でも構わないくらいに投げていたのに無駄に粘ってくる所為でスタミナが限界に近付いていた。

 

 「くっそぉ……そろそろ球速マズいぞ……」


 このままだと確実に一発浴びることになる。

 その時、思い浮かんだのは前橋開明のエース藤谷。百六十キロを超える球を最終回まで投げていた怪物。

 今日の博一はまだ百六十キロに達していない。そもそも出した経験すらない。

 

 「……全部使い切ってやるか」


 その決心をした博一はボールを握り、セットポジションから大きく足を上げる。

 残った力全てを注ぎ込んだ渾身の一球。

 コントロールは奇跡的にも完璧。

 見逃せば終わり。

 

 ——だが、弘松のバットが降りてくる。


 全身を使って振り抜いた弘松。

 吹き抜けるように響く金属音。

 打球は高く高く上へと飛び——ぱすっと博一のグラブに収まった。


 「「「うわぁああああああああああ!」」」


 絶叫なのか歓声なのか分からない爆音が響き渡る。

 試合終了となり、両チームが向かい合って整列。

 なんとなくの流れで谷村の隣に並んだ博一。その前に弘松が立っていた。

 

 「ありがとう。悔しいが……悔いは残らない」

 「俺のお返しは三番打者への四球だけです。最後の配球は全部谷村先輩ですよ」

 「そうだったのか……決勝はもっとキツい試合になる。まぁ、やり切ってこい」

 

 弘松からの激励まで貰い、挨拶が終われば水上高校の選手たちが涙を流す。

 負けた悔しさ、三年生にとって最後の夏、様々な理由から溢れ出ている。整列の時は必死に耐えていたらしい。

 その光景を尻目に博一と谷村はグラウンドを後にする。

 

 「勝ったんだよな。オレたち」

 「勝ちましたよ。俺たち」

 「そうだ! 勝った! 勝ったんだ! 水上高校に!」

 

 水上高校に勝ったこと。

 決勝に進出したこと。

 それらの事実がやっと谷村の実感になり始める。

 

 「足本のおかげだ。どれだけ感謝すれば良いのやら」

 「勘弁して下さい。感謝するのなら俺一人だけじゃないっすよ。それにまだ決勝だって残ってる。今、言葉を伝えるべきなのは俺じゃなくて」

 

 博一は視線を谷村から前方へ移す。

 それに釣られて谷村も前を見る。


 「あ……」


 球場の外に立っていたのはスタイルの良い小さな少女。

 博一は会ったことがなかったが、写真は白那に見せて貰っていたので直ぐに瑠璃だと分かった。


 「瑠璃!」

 「ミキ!」


 谷村は一目散に駆け出し、引き合うように瑠璃も駆け寄る。

 感動の再会なんて言葉では安直過ぎる二人の抱擁に博一は微笑み、近くに居た謙一に声を掛ける。


 「応援ありがとな。それにしてもつっかれたぁ……荷物持ってくれぇ。俺たちはお邪魔だろうしお暇しようぜ」

 「あ、あぁ……うん」

 「おいおい勝ったんだぞ? なんて顔してんだよ」


 いつもなら大騒ぎするはずの謙一がやけに静かで表情も浮かない。


 「てか、シロとマスターは?」

 「途中で飲み物買いに行ったっきり戻ってこなくて……今、連絡が来た。病院に居るって……」

 「はっ? 熱中症か何かか? 無事なのか!?」

 「育美ちゃんの文面的には大丈夫っぽい」

 「今直ぐ帰って病院向かうぞ」


 浮かれている場合ではなくなり、歩くペースを早める博一。

 謙一は慌てて博一の服を掴んで止める。


 「待ってよ博一! 気持ちは分かるけど、今日は帰って休んだ方が良いよ! あんなに投げたんだから疲れだって相当溜まってる。決勝だってある。育美ちゃんももう帰るって言ってるし……行くなら明日にしよう」

 「……分かったよ」


 とにかく命が無事なら一応安心出来る。

 博一は大人しく前田の店で明日を迎えることにした。

 

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