(2)――「いたいけな少年の夢を壊してしまって、本当にすまない……」

「おはよう! アキっ! おはよう!!」

 すっかり慣れた足取りで山道を登り、神社の境内に入る。

 僕の姿を認めるや否や、少女はぴょんぴょんと飛び跳ね、ぶんぶんと手を振りながら僕を出迎えてくれた。狐面は昨日と変わらず少女の顔を覆っており、黒色のマフラーと小豆色のカーディガンは、夏服の少女をしっかりと温めているようである。

「おはよう」

 それを見ただけで、ここへ来るまで抱えていた不安感が少し和らいだ気がした。

 僕は少女の意見を尊重したいと思う。だからこの先、少女がどう結論を出したとして、頭ごなしに否定するような真似はしたくない。先のことよりも、まずは今このときを大切にしたい。目先の問題を先送りにしているだけと言われればそれまでだが、どうしても先を急ぐ気にはなれなかった。

「昨日はよく眠れたか?」

 荷物を社殿前の階段に下ろしながら、僕は尋ねた。

 今日も狐面を付けているということは、目元が腫れたままなのだろうか。或いは、寝不足でできた隈を気にしているのかもしれない。よくよく考えてみれば、こんな場所で安眠なんてできるものではないだろうに。

「ああ、ぐっすりだったぞ!」

「マジでか」

 しかし少女は、僕の想像とは真逆の回答を口にした。

「マジでだ。この神社の中は意外と快適で、普通に寝られるぞ?」

「へえ……」

 ちらりと横目で社殿を見る。

 十数年前から地元民でさえほとんど寄り付かない、寂れた神社。手入れがされていないのは、その外観からも伺える。外側でさえこうなのだから、中はもっと酷いことになっているのではないだろうか。

「そういや気になってたんだけど、この神社、鍵かけられてなかったか?」

「ああ。確かにあったな」

「あれ、どうしたんだ?」

「ぶっ壊した」

「ぶっ……?!」

「あっ、違う、違うぞアキ!」

 少女は両手をばたばたと振り、慌てて否定する。

「ここの鍵、もともとすっごく錆びついていたのだ! だから持ち合わせの工具をちょっと使ったら、あっさり壊れてだなっ?! 決して素手で壊したわけではないぞ?!」

「ああ、工具……工具を使ったんだな……」

「当たり前だ!」

 遺憾の意なのだ、と言いながら腕組みする少女。

「とはいえ、神社の鍵を破壊して、あまつさえそこに居座っているのは事実だ。これが悪いことだという自覚もある。……しかしこの神社、本当にアキ以外に誰も来ないから、管理している人もわからないのだ。ワタシは誰に謝れば良いのだろうか」

「それは僕もわからないなあ……」

 少女と同じように腕組みをして考え、僕は言う。

「まあ、謝りに行くときは、僕も一緒に行くからさ」

「えっ、あ、ああ、ありがとう?」

「わかりやすく動揺するなよ」

「いやだって、鍵を壊したのも、神社に居座っているのもワタシだけだから……」

「僕だって昼間はこうして一緒に居座ってるんだ、共犯みたいなものだろ」

「……えへへ、そうだな」

 そう言って、少女は微笑んだ。それと共に歪む顔の痣も、昨日よりはだいぶ良くなってきているようだ。痛みはもうないと言っていたし、あとは徐々に治っていくと思いたい。

「さて、それじゃあ少し早めのお昼にするか。コマ、お腹空いてるか?」

「もちろんだ! ……あ」

 何度も首を縦に振った少女だが、なにか思うことがあったのか、ぴたりと動きが止まる。

「アキ、ワタシは重大な事実に気付いてしまった」

「な、なに……?」

 真剣味の増した少女の声音に、僕はごくりと生唾を飲み込み、続きを待つ。

 家出のことで、なにか思うことがあったのだろうか?

 それとも単純に、今日の弁当にリクエストができなかったことか?

 様々な可能性が一気に脳内を駆け巡る。

「あのな、アキ」

 ゆっくりと僕を見据えて、少女は言う。

「ワタシは狛犬ではないから、このお供え物は受け取れないのだ……!」

「え? コマさん?」

「いたいけな少年の夢を壊してしまって、本当にすまない……」

「同い年だろうが、なに言ってんだ。身長でそう言ってるなら、僕だって怒るぞ」

 まだ成長期前なのだ。今に見てろ、絶対に追い抜いてやる。

「あ、いや……」

 弁明しようとする少女を右手で制して、僕は口を開く。

「弁当をお供え物って言ったのは、そうでもしないとお前が食べてくれないかと思ったからだ。昨日も言っただろ、僕は最初から、お前が本物の狛犬じゃないってわかってたって」

「胡散臭い中学生、と思っていたんだものな」

「……」

 意外と根に持っていたらしい。

「でも、コマと一緒に居るのは楽しいし。そういうやつと一緒に飯喰いたいって思うのは、変なことか?」

「……変じゃない。でも……」

「それとも、一緒に弁当を食べたいと思ってるのは僕だけだったか? そうだとしたら、こっちこそ悪いことをしたなー」

「そ、そんなわけない! ワタシもアキと居るのは楽しいぞっ!」

「えー、でも今の流れだと、なんだか僕が言わせたみたいじゃないか?」

「違うちがう! ワタシはアキに会うのも、お弁当も、どっちも楽しみにしていたのだっ!」

 そこまで言ってから、つい本音が飛び出してしまった、という風に口元を押さえる少女。

 しかし残念、とき既に遅し。

 この両の耳で、一言も漏らさず聞き取った。

「うん。それじゃあ一緒に食べよう。んで、歌の練習をしよう」

 不敵な笑みを浮かべて言った僕に、少女は一瞬だけ苦虫を噛み潰すような表情を浮かべる。だが、次の瞬間には降参だと言わんばかりに肩を竦め、そうだな、と笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る