十九話 しゃしゃりでる。



 フェンネルが消えてしまい、一人取り残されたアニスは茫然としていると、馬車が去っていくのが見えた。

 見覚えのある馬車には、ローズとミモザが乗っている。そして、それを見送るジョーンズの険しい顔が見えた。


「ジョーンズ……」


 アニスは、ジョーンズの無事な姿を見て、唇を噛みしめた。涙が溢れそうになる。

 よかった。生きていてくれた。

 お師匠様、ありがとうございます。


 改めて彼の無事を確認して、アニスは安堵した。

 すると、アニスは走りだしていた。

 足が勝手にジョーンズの方へ向かっていた。

 そばに寄って彼の声が聞きたい。

 

 ジョーンズのそばに近づくと、彼が気づいて、アニスを鋭い目で睨みつけた。

 その目に驚いて、アニスは立ち止まった。


「何……?」


 足がすくんでいると、彼がずかずかとこちらに歩いてきた。


「おいっ」


 ジョーンズがいきなりアニスの手首をつかんだ。

 この体は小柄であったため、足が宙に浮いた。


「お前っ」

「痛いっ」


 アニスは悲鳴を上げた。ジョーンズは激怒していた。


「やめて、離してっ」


 冗談みたいな甲高い声が出る。


「お前、魔女だな。あの嵐はお前の仕業だろっ」

「お客様っ、おやめ下さいっ」


 突然、宿の主人が飛んで割って来た。


「この娘はわたしの姪でございます。両親に死なれ、わたしが世話をしています。こんな変な声をしていますが、そんな大それた魔女ではありませんっ」


 声のせいだけではないだろうが、ジョーンズはパッと手を離した。どしんとお尻から落ちる。


「痛ーいっ」


 アニスは悲鳴を上げた。涙があふれる。

 自分は泣き虫じゃないのに、このメイドは涙腺が弱いらしい。しくしく泣き出した。

 その少女を主人が優しくあやした。


「タンジー、大丈夫かい?」


 この少女、タンジーという名前か。

 アニスはお尻をさすりながら立ち上がった。

 なんとかして、ジョーンズに話をしなくてはいけない。


「大丈夫です。叔父さま」

「叔父さま?」


 宿の主人がぽかんとした。


「どうしたんだい? タンジー、お尻じゃなくて、頭を打ったのかい?」


 主人が、アニスの頭を押さえて、へこみがないか確認する。


「だ、大丈夫だから」


 アニスは、あわてて主人から離れた。

 目の前には、腰に手を当ててジョーンズが睨みを利かしている。

 アニスはごくんと唾をのんだ。


「あ、あの、あの、旦那さま……」

「ふん、何か用か」


 ジョーンズの視線が厳しい。アニスは肩をすくめた。


「先ほど、旦那さまがおっしゃられたように、確かにわたしは魔女でございます。でも、嵐はわたしの仕業じゃないです。わたしは、いい魔女なんです。いいことしかできないんです」


 タンジーの言葉は奇妙だ、とアニスは思った。

 思った言葉が、口を開くと別の言葉に変換されているようだった。

 これでは、ジョーンズが不愉快に思うだろう。しかし、ジョーンズは呆れた顔をした。


「そうか。いい魔女だったら、今すぐここからいなくなってくれ」


 アニスはがっくりした。

 中身はアニスだが、口を開くとタンジーがしゃしゃり出てくるらしい。

 何を言っても今は無駄かもしれない。

 アニスは仕方なくそばを離れた。

 こうなったら、ジョーンズの後をこっそり追いかけるしかない。


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