十四話 感謝の気持ち


 

 心配していた雨は降りだすことはなく、夕方には宿に到着した。

 宿につくとジョーンズは、二人に旅に必要な物を取りそろえてくれた。

 

 アニスには上品なアンクルブーツ。さらに新しいドレスも用意してくれていた。

 新しいドレスはラベンダー色で、緩く襟元が開いたオーガンジーの膝下までのドレスだった。

 彼が自分で選んだのろうか、と驚きながらも嬉しさを隠せなかった。

 言いつくせないほどのお礼をローズが代わりに言ってくれたが、アニスは思わずジョーンズに抱きついてしまった。

 兄が見たら、きっと、はしたないと叱りつけただろう。



 宿は、ローズと同じ部屋を借りることができた。

 ローズは、すぐさま部屋にバスタブを運んでもらい、先に汗を流した。


「ああ、生き返るわ」


 メイドもおらず、アニスが手伝いをすると、ローズは頬を上気させて笑顔で言った。


「ねえ、ミスター・グレイって本当に素敵ね」

「本気なの? ローズ。兄上はどうするの?」

「そういう意味じゃないのよ、アニス」


 ローズが苦笑する。

 アニスは、ローズのために魔法でバラの花を湯船に散らしてあげると、彼女は目を閉じて、思い切り花の匂いを嗅いだ。


「いい匂い、ありがとう」


 バスタブで無邪気にはしゃぐ彼女を見ていると、不安に駆られた。


「ねえ、ローズ」


 話しかけると、眠そうに目をとろとろさせていた彼女は、はっと顔を上げた。


「アニス、ミスター・グレイとキスぐらいはしたの?」

「は?」


 アニスは、自分の耳を疑った。


「なんですって?」

「挨拶のキスじゃないのよ、きちんとしたキスをしたの? って聞いているの」

「するわけないでしょっ」

「あら、どうして? わたくしとノアは出会った時にはしたわ」

「まあ……」


 アニスは赤面した。兄上とローズのことなど知りたくもない。


「やめてよ」

「いつまでも子供じゃないんだから。それくらい当り前よ」


 ローズはお湯から出ると、女性らしい柔らかな体にタオルを巻きつけた。茶色の髪の毛の水気を拭き取りながら、ちらりとアニスを見た。

 アニスは川で体を洗っただけで、あまりきれいとは言い難い。


「そんなみっともない姿では、誰もあなたを見てくれないわ」

「そんなにひどいかしら」

「ひどいわ。洗ったとはいえ、白いドレスは、灰色よ」


 たしかに、ローズの言うとおりだった。

 お城にいた時、まさか、こんなことが待ちかまえているなんて思いもしなかったので、ドレスになどかまけていられなかった。

 アニスは、淡い色の服が好きだった。なるべく軽くて動きやすいドレスを作ってもらい、コルセットもつけることはほとんどない。


「さ、次はあなたの番よ」


 ローズは、さっさとナイトドレスを着こんだ。




 ローズの言うとおり、熱いお湯は疲れを癒やしてくれる気がした。ごわごわしていた髪の毛もバラの匂いのする石鹸でしっかり汚れを落とすと、滑らかな絹のような髪に戻る。

 アニスは、ジョーンズに選んでもらったドレスを着た。

 鏡を見る。久々に自分の姿を見た気がする。ドレスは、アニスの顔の色によく似合っていた。


 鏡に映る自分を見ていると、ふと不安に駆られた。

 これからどうなるのだろうか。

 国に戻れるのはいつになるのか。そして、ティートゥリーはどこまで支配を拡げているのだろう。


 思考は負のエネルギーに変わってしまう。

 アニスは首を振った。

 くよくよしてはいけない。進み始めたばかりなのだから。


 アニスは、髪の毛を横に束ねて軽く肩に垂らした。

 ジョーンズに無駄な出費をさせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 改めて、一言お礼を言いたい。


 ローズは、すでにベッドに入って休んでいる。そっと部屋を抜け出した。


「ジョーンズ、もう、休まれたかしら」


 部屋のドアをノックして、少し待つ。中でごそごそ音がしてすぐにジョーンズが現れた。彼もさっぱりとした顔をしていて、アニスを見て目を見開いた。


「……驚いた。君はずいぶん汚れていたんだね」


 アニスはむっとした。

 お礼を言いに来たのを忘れるほどだったが、すぐに目的を思い出した。


「お礼を言いに参ったのです。わたくしとローズのために、ドレスや靴まで買っていただいて、それに、お宿まで。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

「アニス」


 ジョーンズがドアを開けて中へ、と促した。

 アニスは躊躇した。さすがに男性の部屋に入るのはためらいがある。しかし、ジョーンズはさっと手を引いて、中に招き入れた。


「僕は君に興味がある」

「え?」

「君のような女性は初めてだし、僕と対等に話ができる女性はいない。君がパースレインの姫だと言われても、それが本当かどうかも実は疑わしいけれど、君自身にはとても興味がある」


 ジョーンズが真剣な顔で言った。



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