第16話 見えない鳥籠
昼食を終え、御影さんが部屋を出た後、オレはまた横になって身体を休めた。夜眠れなかった分もぐっすり寝入って、夕方目を覚ました頃には大分熱も引いていた。これなら、明日には完治して登校出来そうだ。
ホッとしたついでに、暇になってきた。さすがにもうこれ以上は眠れそうにない。夕食までにはまだ時間があるし、さて、どうするか。
「そうだ、本があったな」
おそらく歴代の姫が置いていったのだと思われる、書籍の数々。まだ手を出せていなかったので、こんな時こそ暇潰しに丁度良い。
オレはベッドからそっと起き上がると、スリッパを履いて書斎スペースの方へと移動した。天井に届く大型の本棚。上の方は梯子に乗って取るのだろうが、熱のある状態では危なさそうだし、今回は手の届く範囲から読むものを探すことにした。
やっぱり、気になったのは古めかしいハードカバーのファンタジー小説だ。ワクワクするよな、剣と魔法の世界で冒険とか。最近のファンタジーはゲーム世界が主流で、今や書店ではこういう古き良き王道はあまり見かけない気がする。
やたら分厚いそれを手に取って、眺める。表紙には、大きく書かれた青いドラゴン。題字は箔押しだ。なかなかにいい雰囲気だ。これにしよう。
早速、本を手に机に向かおうと思った、その時だ。
「あれ? 何だ」
よく見ると小口の部分に不自然な凹みがあることに気が付いた。本よりも一回り小さな長方形の凹凸。何かに押されて出来たものではなく、初めからそうした形になるように、その部分だけ紙が短く製本されているようなのだ。
本を抜いた箇所を確認すると、本棚の奥に何やら出っ張りがあった。本の凹みとピッタリ合わさる形の、長方形。
何だろう、これ。まるで、ボタンみたいな……。
そう思って、何気なくその出っ張りを指で押してみた。カチリと噛み合う音がして、出っ張りが壁に飲み込まれ、平面になる。
途端、軽い駆動音と共に、本棚が横にスライドした。
「!?」
現れたのは、空間だった。本棚の奥にあるはずの壁には人が通れるサイズの穴がぽっかりと空いていて、その先は別の部屋に繋がっていた。――絡繰り仕掛けの隠し通路。本棚自体が、扉の役割を果たしていたのだ。
「え? えっ? こんなの、聞いてないぞ」
困惑しながら、恐る恐る内部に足を踏み入れた。カーテンの閉ざされた室内は、薄暮に包まれて薄暗い。電灯のスイッチを探して壁面を撫でる。きちんと清掃はされているようで、埃臭くはなかった。
というか、ここ……図面の位置関係的には、御影さんの部屋じゃないか?
「お、あった」
指先がスイッチらしき凸凹に触れた。試しに押してみたら、読み通り室内に明かりが灯る。――直後、目の前に広がった光景に、息を呑んだ。
壁に、天井に、所狭しと写真が飾られていた。額縁に入れられているものもあれば、素のまま貼付されているものもある。大きさも様々。一番大きいものは、オレの等身大くらいあった。その全てに、同じ被写体が写っている。
「……オレ?」
オレだ。全部、オレの写真だった。それも、最近のものだけじゃない。小学生、中学生と、次第に歳を重ねていく様が克明に記録されている。
撮った記憶の無い写真。目線の合わない、明らかな隠し撮り。
「何だ……これ」
あまりの衝撃に、思わずよろけた。すると、背中を何かに支えられた。ハッとして振り向く。そこには――。
「お身体の具合は、もう平気なのですか? 陽様」
「御影……さん」
普段通りの彼が居た。別段焦る風もなく、ごく普通の態度で気遣わしげな眼差しを向けてくる。オレは余計に混乱した。
「み、御影さん……このっ、これは?」
「設計者の遊び心ですかね。護衛人がすぐに姫君の元へ駆け付けられるようにと、部屋と部屋を繋ぐ、このような仕掛けが施されているのですよ。私の側からもスイッチを引けば、同じように隠し扉が開くようになっております」
「御影さんが作った訳では……」
「まさか。私にそのような建築技術はありませんし、元からですよ」
「で、ですよね! 何だ、びっくりした」
いや、でも待てよ。
「……それじゃあ、この写真、は?」
恐る恐る、訊ねた。御影さんは穏やかにオレに笑み掛けてから、室内を横切り、壁の写真へと歩み寄る。
「私は、貴方に受けたご恩を忘れたことは、一度たりとてありません。あの日、貴方に救われた日から、ずっと……貴方に恩返しをする機会を窺っておりました。けれど、私は影の世界に生きる身。光の中で生きる貴方様は眩し過ぎて、私から話しかけることすらも
白手袋の長い指先が、慈しむように一つの一つの写真の上を滑っていく。
「貴方に害を成す者を密かに排除し、貴方が健やかに笑顔で成長していく様を見ることだけが、私の人生の楽しみとなりました。……貴方はきっと、気付かない。私も、それで良かった」
最後に、一番大きな等身大の写真の上で止まると、指先は平面のオレの頬をゆっくりとなぞるように撫でた。その仕草があまりにも優しくて、オレは自分が触れられているみたいに、こそばゆさを覚えた。
「けれど、貴方がこの学園を受験すると知った時、私は居ても立ってもいられなくなりました。この学園には、特殊な姫制度があります。愛くるしい貴方のことです。貴方が姫君に選ばれることは確実でしょう。ですが、それは危険を伴うもの……私は、もっと傍で直接的に貴方をお護りすべく、警備会社に籍を置き、護衛人の資格を得ることにしたのです」
愛おしげに写真を見つめていた視線が、ふとこちらに投げ掛けられた。紫の瞳が熱を孕んで、じわりと赤みを帯びていく。――そこに、オレが映っていた。
「貴方に存在を認知されなくても構わない。……そう思っていたはずなのに、こうして貴方の瞳に私が映っている事実に、正直、私は悦びを禁じ得ません」
魔性を感じさせる蠱惑的な眼差しに射竦められ、オレは身動きが取れなくなった。
白い指先が、今度は直接頬に伸びてくる。触れた途端、ぞくりとした感覚が全身を支配した。首筋から背骨を抜けて、電流が駆け抜けていく。
「本当は、ずっと……もう一度、貴方にお会いしたかった」
偶然? 運命? ……違う。これは、仕組まれた必然だ。
その瞬間、オレは理解した。知らない間に自分が見えない鳥籠の中に囚われていたことを。
この紫の呪縛からは――もう、逃げられない。
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