第一章 始まり

第一話 そして、彼は辿り着いた

 フレアは自らの絶叫と共に目を覚ました。

 昨晩は酷い夢を見たものだと思いながらも目をこする。

 どうせ今日も耐えるだけの日々の始まりなのだろう。

 彼が目を擦りながらも辺りを見回すと、そこは見たこともない場所が漠然と広がっていた。

 寝ていた場所は廃墟らしく、ひび割れた石床はホコリと土で汚れている。

 彼の身体には毛布代わりの上着が掛けられ、すぐ側には見慣れた靴がある。

 そこで彼はようやく先程見たのが夢でなかったことに気がついた。


「ここが異世界なの?」


 なんとなく独り言を呟くと、待っていましたとばかりに答えが返って来る。


「お気に召したかな?」


 それはフレアの頭上から聞こえてきた。

 彼が見上げると、そこには朽ちた柱の上にリナウスの姿があった。


「いや、どうだろう……」

「おいおい、ここから君の本当の人生が始まるのだがね。気合いを入れて臨んでくれたまえ」


 リナウスは柱の上から飛び降り、華麗に着地する。

 その華奢な動きはまるで猫のようであり、重力をものともしていない。

 優れた身体能力、だけでは説明の出来ない事象に、フレアは自身の脳が追いつけていない気がした。


「僕の、本当の人生?」


 フレアは靴と上着を身につけながらもその言葉を噛み締める。


「そうさ。大丈夫、この私が直々に素晴らしき君の人生をプロデュースしよう」


 リナウスはその場でクルリと一回転する。

 その黒髪とワンピースがたなびく可憐な姿に、フレアはそっと目を逸らす。

 どこか、眩しく見えて仕方なかった。


「えっと、僕を助けてくれるの?」

「当然さ。まあ、君が嫌というならば私は大人しく帰るさ」

「助けてくれるのは嬉しいのだけれども、その……」

「その? 何だい?」

「見返りとして僕の魂を寄越せとか言わないよね?」


 恐る恐る口にしたフレアの言葉に対し、リナウスは小さくかぶりを振る。


「魂を? いやいや、そういったものは必要ないさ。というか、魂を集めるのが流行なのかい?」

「流行っていないよ。でもさ、何の見返りもなしに僕を助けてくれるの?」

「見返りか……」


 リナウスがやや目線を反らす。

 そして、肩を竦めながらもこう答えた。


「私はそんなにケチに見えるかい? 顔に書いた記憶はないんだがね」

「いや、そういうことでもないけど。でも、見返りがないと誰も助けてなんて――」

「持たざる者を助けることこそ神の所業だと思うのだがね。まあ、不審に思うのも無理はないかな。ただ前もって言っておいたけれども、私は単なる弱者の味方さ」

「味方――」


 フレアがぽそりとつぶやき出す。


「今まで、僕の人生で味方なんていなかったよ。家族はあの両親だけだし、学校でも居場所すらなかった」

「では私が君の味方となろう。お祝いとしてこれでも食べるかい?」


 そう言いながらも、リナウスはフレアに向かって何かを投げ渡す。

 フレアが慌ててキャッチすると、それは見たこともない果物だった。


「空腹だろ?」

「う、うん」


 形はどこかリンゴに似ているが、空のように青く、どうにも食欲が湧かなかった。

 何もかもが新鮮な反面、これまでの常識がまるで通じない世界に来てしまったことを、フレアは改めて後悔する。

 彼が皮ごとかぶりつくと、みずみずしい果汁が口の中一杯に広がった。


「味はどうだい? おっと、クレームは受け付けていないさ」


 感想を聞かれるも、フレアは答えに困った。

 甘くも酸っぱくもなく、あまり食べ過ぎると飽きてしまいそうな特徴のない味だ。

 だが、正直な感想を告げる訳にもいかず、フレアは妥当な返答をすることにした。


「ううんと、普通かな」

「普通か。そいつはよかった。平凡なことは幸いさ」

「そうなのかな?」

「そりゃあそうさ。君だって、出来れば平凡な人生を送りたかっただろう?」


 そう言われてしまうと、フレアには反論のしようもなかった。

 空腹感は拭えたものの、今度はこの先どこをどうすればいいのかわからないという不安が彼を襲う。


「これから先、どうしよう」

「なあに、風の向くままに進めばいいさ」

「でも、その」

「衣食住の心配ならば、私がなんとかするさ」

「じゃあ、早速住む場所をなんとかしてもらいたいんだけども」


 フレアの言葉に対し、リナウスは顔をしかめる。


「すぐに住む場所を、か。ちょいと待っていてもらいたい。不動産を探してくるさ」

「ふ、不動産があるの?」

「あれば私が一番助かるんだがね。ともかく、ここで待っていてくれたまえ」


 その言葉から、フレアは嫌な予感を覚える。

 そして、彼は勇気を出してこう尋ねた。


「リナウス、ちょっといい?」

「何だい?」

「リナウスはこの世界のことをよく知っているの?」

「いいや、生憎だがさっぱりだよ。あまり選りすぐっている時間がなくてさ」

「そ、そうなの?」

「大丈夫さ、私を信じて大船に乗ったつもりでいたまえ」


 大丈夫かな、とフレアは思いながらも余裕な表情でその場から去って行くリナウスの後ろ姿を眺める。

 彼は待つことに慣れていた。

 彼の両親はふとしたことから家を留守にすることが多く、その度に彼は家の中でじっとしていた。

 家にはゲーム機どころかテレビすらなく、することと言えば学校の教科書を何度も読み返したり、小説を暗記するまで読む他にすることがなかった。

 そう考えると一人ぼっちでいる時が何よりも幸せだったが、その時間はあまりにも短かった。

 彼はリナウスが帰るまでの間、廃墟の周辺をぐるりと巡る。

 廃墟の中心には祭壇らしきものがあり、かつてここには何かを祀っていたのだろうかと推測してみる。

 しかし、書かれてある文字がわからないため、彼は仕方なく周囲にある草原へと目を向ける。

 近所にある空き地にあるようなこぢんまりとしたものでなく、どこまでも広がる青々とした草原に彼は小さな感動を覚えた。

 狭苦しい都会では見られなかった生き生きとした自然がこれほどまで素晴らしい物だったとは。

 彼は改めて異世界に来られたことを心の底から喜んでいると、前方の草むらから何かが忍び寄ってくるのが見えた。

 草丈よりも小さいためその正体がわからない。


「何だろう?」


 フレアは注意深く近寄ってくる生物を注視することにした。

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