─9─ 壱歩
「さて、お前さんたちは駆け出しの冒険者だ。コヒナは……まァ、コヒナを駆け出しと呼んでいいかどうかは微妙な所だが、今までお前がこなしてきた仕事は全部、うちの常連さんがお前を選んで頼み込んできた仕事。ここにある貼り紙とは訳が違う」
いくつかの依頼概要が貼り出されたコルクボード。そこをコンコンッと叩いて、親父さんは言った。
「まず見なくちゃならないのはなんだと思う?」
「報酬!」
「はいアラクラン速かった! でも違う! ブッブー! まずお前たちが確認しなきゃならないのは、『募集人数』」
貼り紙の一番下あたりには、どれもたしかに人数の規定が書かれている。中には『マジックアイテムに詳しい方を含めた三人以上』とか、『男性の方、二人』とか、『人間以外の種族の方を含めた四人以上』なんてものまで。
わたしは双剣士、アラクランは……バーサーカーかシーフかな? どちらにせよ、わたしたちのいずれも『ヒーラー』や『キャスター』といった術士系のジョブではない。それに、二人ともこれが初仕事なので実績も特に無し。わたしは女で、アラクランは男。うーん……こうやって見ていると女性冒険者を指定しているお客さんは少ないんだなあ。うちにはわたしと、タスクしか女の子はいないけれど、わざわざ女の人に依頼をするメリットはあまり無いのかもしれない。
頭の中であれこれ考えながら貼り紙を見ていって、わたしたちで受けられそうなものは自然とたった一つに絞られた。
カラットの自警団からの依頼。ここからさほど遠くない村の脇道に出没しているという、ゴブリンの討伐。
「『戦いの腕に自信があれば、何人でも良し』……」
「俺自信あるよ」
「そうだね。それでなくともわたしたちの条件に該当してるのはこれしか無いんだけれど。……でも自警団からの依頼か。公的な組織からの依頼なら、きちんと調査されてるから間違いも無いはず」
「その通り! お前たちが次に確認しなければならないのは、『依頼人』。身元はハッキリしていればしているほど良い。初めのうちは自警団や、ジェイダリア政府から直々にお出しされているような貼り紙を選ぶんだ。お前たちで手に負えなければ、すぐに自警団や騎士隊が救助に派遣されるだろうしな。尤も、あまりに何度もそんな事が続けばお前たちへの依頼は確実に減っていくだろうが」
「よし……! この依頼を引き受けるよ! わたしたちの最初の仕事は、村に近付いたゴブリンたちの討伐!」
……で、どうよ!
と言わんばかりにわたしは隅のテーブル席を振り返った。
さっきからヤニ臭いなと思ってはいたけど、テーブルの上の灰皿にはもう四本もの吸殻が積み重なっている。
足を組んで腰掛けているユウジンは、わたしと目が合うなりヒラヒラと追いやるように手を振ってみせた。これはもう完全に『勝手にしろ』のジェスチャーだ。よし、勝手にしよう!
「お嬢ちゃまの決定に異論無し」
薄々そう言う気はしてたけど、アラクランもあっさり頷いてやる気満々だ。
親父さんはわたしたちの顔を順番に見つめ、「うむ、文句無しの新人の顔だな」と嬉しそうだ。
「この討伐依頼は終わりが無い。ゴブリンなんざ、減らしても減らしても何処からか現れて、いつの間にやらそこへ住み着いているもんだからな。ひとまず村の脇道を占拠している集団を討伐して、報告すれば良いだろう。もしゴブリンの
「わかった! 暗くてジメジメしたところを好むから、洞窟みたいな所があるはずだよね? まずはそこを地図で探そう」
「ほほう、なかなか様になってきたんじゃないか? ああそれと、パーティーに『ヒーラー』は必須だ。回復薬を常備しておくのは当然だが、今回の討伐依頼はそれじゃあ間に合わんだろう。たかがゴブリンと言えど、囲まれちまったら厄介だ。村へ行く途中、教会へ寄って行け。知り合いの修道士への紹介状を書いてやる。ワシの名前を出せばきっと協力してくれるはずだ」
さすが、冒険者の宿の亭主! 顔が広い。
親父さんは迷い無くサラサラと紹介状を
親父さん曰く、修道士さんはリンゴが大の好物らしい。市場で薬を買うついでに、リンゴも探してみようかな?
誰かのお下がりだという荷物袋を親父さんから貰って、わたしたちは早速荷造りを始めた。
今から出発して、今日のうちには討伐まで終えることができると思う。この依頼はきっと『ゴブリンの数を人間の生活に邪魔にならない範囲で減らす』ことが目的だ。だから本気の殲滅作戦とは違う。わたしたちに求められているのはせいぜい、ちょこっとゴブリンの数を減らして彼らの住処を探り当てること。それをきっちり報告すれば、ジェイダリアの政府が動いてくれるはずだ。
「…………」
「どうしたの、お嬢ちゃま」
手が止まっているわたしに、アラクランが首を傾げていた。
「なんでもないよ」ってわたしはかぶりを振る。
親父さんがロープや、ナイフの善し悪しの見分け方について話している間、わたしは自分の背中に突き刺さるユウジンの視線を感じていた。
◆
奥の大部屋から、細い明かりが零れている。あたたかな橙の光は、廊下に残った小さな埃を照らしていて、僕はそちらへ向かって音も無く歩いた。
部屋に近付くと生ぬるい風の循環を感じる。肌に覚える中途半端な冷たさ。明日は雨が降るかもしれない。
「こんばんは、ゆーちゃん」
部屋の主が起きていることは明白だった。だから僕は全開にしたドアへ凭れ掛かって、声を掛けてからコンコン、とドアを叩いた。ユウジンの言葉を待たないまま、ドアを閉める。ついでに鍵も。
「こんばんは」
「ワオ! 今日のゆーちゃんは挨拶ができる」
「貴様を此処で殺すことも出来るが」
「いや、できないね。黙ってコヒナを見送った腑抜け野郎。僕を殺せるか? 冗談じゃない」
ユウジンはバルコニーに立っていた。もはや今日何本目かとんと見当もつかない煙草を咥えていて、月明かりの下で紫色の雲を生成し続けていた。
僕の嫌味はあまり響かなかったらしい。彼に、これと言って表情の変化は無かった。ベッドへ勝手に腰掛けても何も言ってこない。いや、───これは違うかな? 響かなかったんじゃない。寧ろ響きすぎて、『鳴らない』んだ。
「馬鹿だな。そんなにショック受けるくらいなら最初からきちんと話せば良かったんだ。お前がどうしてコヒナを外へ出したくないのか、懇切丁寧に説明すればあの馬鹿も理解できなくはなかったはずなのに」
「貴様が言うのか。英知」
「フン、なにを?」
「貴様が、……貴様があの子に『世界』を教えておきながら。それを、言うのか」
「……ああ」
僕の口から出た声は、明瞭な発音を伴っただけの溜息だ。
僕は心底呆れたんだと思う。ユウジンの発した「あの子」という言葉、その甘酸っぱい響きに。屈強な男、傷だらけの男、強面の男───お前を喩える言葉はいつもそんなものだ。それなのにどうしてコヒナを呼ぶ時のお前は、ギモーヴを噛み締めたようなこそばゆい声を出す。
なんだか苛立って枕を取り上げた。膝の上に抱えて、そこへ頭を押し付ける。ひどい煙草の匂いがした。これはもう何回洗っても落ちやしないんだろうなと思った。
「長く眠り過ぎたお前自身を責めるべきだろ。僕が吹き込む前に、お前が目覚めていれば良かっただけの話だし、それに……どれだけ悔やんでもそうはならなかったというだけの話だ」
「貴様の目的は何だ」
「遺跡の修復だ。今朝もそう言ったはずだ」
「私には『それだけ』だと思えない」
「なら頑張って答えを探してみろ。コヒナはお前からの挑戦に答えたんだ。お前だって僕からの挑戦に乗ってみればいい」
「……」
「今のお前は無職同然なんだ。どれだけ輝かしい過去があったとしても、現状何もしていない。僕には、『まだ輝ける』コヒナが羨ましいだけに見えるけど?」
「…………私と喧嘩したいなら、六年前に来い」
「『六年前』だなんて読み方の『明日』は無いはずだ」
ふ、とユウジンが息をついた。
口角が上がらないので分かりづらいが、今のは間違い無く笑っていた。
ユウジンは懐から取り出した携帯灰皿を開き、「親父はエリシャ・イサ・ゼルキンを
そうか、コヒナはあのアラクランを仲間に引き入れた。たしかにエリシャほどのヒーラーを加えることができれば、暫くは安泰だろう。僕も親父さんの案に異議は無い。
「良いんじゃないか? にしてもエリシャか。冒険者にはなりたくないって言ってたな。誘っても、うちに戻ってくることは無いだろうな」
「奴のいた頃と比べてここは随分様変わりした。戻らない方が良いだろう」
「そんな冷たいこと言うなよ。案外今の方がしっくり来るかもしれないぞ。あの頃はだって、ほら、お前を英雄だと
「……」
「エリシャはそれに嫌気が差した。な? 僕は何か間違ったことを言ったか?」
「……私は英雄などではない」
「
立ち上がった僕に、いや楽しいのに眠くなるんかーいって突っ込んでくれないからユウジンって本当、楽しい奴だ。
ユウジンはバルコニーから戻って、窓も、カーテンも閉め切って、部屋着の上に羽織っていたマントを脱いだ。言葉にはしないが「早く出て行け、こっちも寝たいんだ」と言いたいのは伝わってくる。
「おやすみ、ゆーちゃん」
ふざけてウインクしたせいか、今度のユウジンは挨拶を返してくれなかった。
そればかりか、こんな嫌味を寄越してきたのだ。
「お前のような体になってしまっても、眠くなるんだな」
「…………僕のこと誰から聞いたんだ?」
「誰からでもない。昔の知り合いに、お前のような奴を追っている男がいた」
「……へえ、そいつは聞き捨てならない」
「聞き捨ててくれ。そしてさっさと眠れ」
───どうやら『挑戦』を残されたのは僕の方だったらしい。
半ば追い出されるようにドアを閉められて、ふう、と真っ暗闇の廊下の突き当たりで、僕は一人溜息をついた。
僕のような奴を追っている男───恐らくは、金烏亭のスメラギ。あいつは長年『ライターズ』の芥川龍之介を追っている。六天遺跡を管理する傍ら、そのことを敢えて公表して動きやすくしているのだ。つまり、だ。───スメラギは、芥川龍之介の正体に気が付いている。既に。
「……フン。警戒した方がいいか」
僕は僕で、勝手にやらせてもらう事にしよう。
どうせコヒナの初仕事は上手くいく。心配せずとも、『
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