─7─ 善善善世
火力を上げていく。もっと、もっとだ。わたしの『作品』から巻き起こせる炎は、人や家を丸焼きにしたり、命を奪ったりすることは出来ない。きっと記憶を失う前の作家だったわたしが、人を傷つけることを望まなかったからだ。
ならばこの炎は、人を助けることに使う!
「ふっ……うぅ……!!」
双剣から放つ火柱で、傾き、迫り来る地面を押し返す。
地面は少しずつ……本当に少しずつだけど順調に押し返され始めた。傾斜がだんだん緩やかになって、滑り落ちかけていた皆も何処かに掴まって、後は自分の力でなんとか耐えられているみたい。
良かった……これならあと少しで闘技場を元の形まで押し戻せる。
そう思った時だった。
「あ、あれ……」
双剣を握る手から突然、ふっと力が抜けてしまう。
一体何が……なんて考えている隙も無く、わたしはその場に頭から倒れ伏してしまった。
「コヒナ! 大丈夫か?!」
実況者さんが席から飛び出して、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。せっかくもう少しで元の形に戻るのに……皆を助けられるのに……中途半端なところで地面がストップして、皆もまたわあわあとどよめき始めている。随分高いところで宙ぶらりんになってしまっている人までいる。
大変だ。もっと炎を出さなければ。もっと熱風を起こさなければ。あと少し、あと少しで皆を助けられるのに……。
「魔力切れか?! 『ライターズ』の『作品』はエーテルの消耗が激しいからな……。俺は実況者という『キャラクター』だから、これくらいしか助けにはならないけど……」
実況者さんが、わたしに何かを握らせた。あまり高価そうには見えない、スリムで装飾も無い小瓶。蜂蜜色のとろりとした液体が少しだけ入っていて、きゅぽんっと蓋を開けるとハーブのような香りが漂う。
「イリクサだ。飲めばすぐに魔力を補給できるぜ。万能薬じゃないから、あとはコヒナの根気次第だけどな」
「ありがとう……!」
「お求めは雑貨屋まで! 一本二百プラタで販売中! うちの売店なら二十五パーセント増量版オリジナルラベルのが三百プラタで……」
「ごくごく」
「聞いてないし!」
なるほど。イリクサも冒険者には必須アイテムだ。覚えておこう。
飲めばたちまち視界がはっきりして、手の中にも熱が戻ってくる。やれる! そう確信して実況者さんに頷くと、彼は嬉しそうに親指を立てた。
「ううっ……おおお…………!!」
唸りを上げる。顔がクシャクシャになっても、腕が焼き切れそうな程に痛くても。
わたしの炎はこんなもんじゃない。まだやれる。まだいける。もっと燃えて、ひたすらに燃え尽くして、この空気さえ喰らい尽くして全部、全部引っくり返してみせる。
ズズズ……、ゴゴゴ……! と不気味な音を立てながら、闘技場がゆっくり回り出す。観客の悲鳴は一人分、二人分と歓声に変わっていき、いつの間にかわたしの元にまで「頑張れ」の声が届くようになっていた。
「頑張れ、頑張れ!」
「もうちょっとだ!」
「頑張れ! コヒナ、頑張れーッ!」
「がんばれ! がんばれ!」
闘技場を飛び交っていた手のひらサイズの小さな機械が、わたしの近くに集まり始めた。ピカピカ光る一つの目でわたしを撮影し、闘技場に掲げられた大きな画面には、リアルタイムでわたしの姿が映し出される。
旧文明の『カメラ』と『モニター』だ。お金持ちの娯楽施設にはまだ、こうして旧文明の遺物を使っている所も存在する。
素晴らしい演出に、会場も大盛り上がりだ。今この瞬間、誰もがわたしを応援していて、誰もがわたしに期待していて、誰もが力技で無理矢理繰り出されるハッピーエンドを確信している。
───かくして、元通りになった闘技場。滑落の影響で壊れてしまった座席はあるし、お客さんたちの飲み物や売店の食べ物は全部ダメになってしまったけれど、終わってみれば皆安心感からかすっかり笑顔になっていて、「面白かった」「ヒヤヒヤしたね」「帰って兄さんに話そう。きっと喜ぶぞ」なんて口々に言い合っている。
闘技場のスタッフさんたちが忙しなく後片付けに駆け回る中、わたしはフィールドで仰向けに転がっていた。
広がる青い天井。なんて綺麗な空! 仕事した後の空ってこんなに綺麗なんだなあ。宿のウェイトレスのお仕事は、いつも終わるのが夜だから、こんな風に空を眺める事なんて無かった。眩しくて肌にグサグサ突き刺さるような太陽の光。ああ、このまま天に召されそう……。
「疲れた……」
「お嬢ちゃまもなかなかやるね!」
「あ」
ズイっと青空を遮って現れた人影。フードを被った、男の人。たしか名前はアラクラン……だったはず。
彼は自分をこう言った。───女神の牙。毒蠍、アラクラン。
「蠍……」
「はい」
「えっ?」
寝転んだままのわたしに、アラクランがぽふっと柔らかな何かを押し付けてきた。
顔を擽る赤いヒラヒラ。花弁? 独特の匂いは多分、薔薇……あっやっぱり薔薇だ。なんで薔薇? 上半身を起こしてその薔薇の花束を受け取ると、アラクランは恥ずかしそうに両頬を手で挟んで身を捩っている。わたしより随分大きな男の人が、まるでタスクのような動きをしているこのアンバランス感。
「へへ……! ずっと会いたかったんだぜ、お嬢ちゃま。俺は今日この日の為にクソつまんねえシャバを生き抜いてきたと言っても過言ではない。朝からなんかピンと来てたんだ。今日は絶対運命の日だって。だから俺、珍しくそいつはきちんと花屋で『買った』んだぜ。盗品をプレゼントされてもお嬢ちゃまは喜ばないだろ? ほら、
「ダメだと思う」
「ね! だからこないだ大通りを歩いてたボンボンからスった財布の中に入ってたエメラルドの指輪を売った金で買ったのさ! その花束を!」
「……ダメでは?」
「えっ?」
「ダメでしょ! 人から盗んだものを売って得たお金で人にプレゼントしちゃあ! ダメ!!」
一体何を言ってるんだ、この女は? みたいな顔でアラクランがわたしを見下ろしてくるけど一体何を言ってるんだ、この男は? だよ!
わたしは至極真っ当なことを言ってると思うんですけど!
慌てて花束を突き返すと、アラクランは今にも泣き出しそうな顔で「えええ……!」と花束をしょんぼり抱き締めている。なんでわたしが悪いことしたみたいになってるんだ。世の中おかしくないですか。
「いやあ、すごいパフォーマンスだったよ! コヒナ!」
さっきの実況者さんが駆け寄ってくる。事情を知らない彼には、花束を持ったアラクランがわたしのファンか何かに見えているらしい。彼は空飛ぶカメラを引き連れて、「フレイヤ闘技場のニューヒーロー! 赤ずきんとオオカミのドッカン大バトルなんて触れ込みはどうだろう?! きっと今に稼げるぞ」とワクワクしながら語っている。
ちょっと待った……アラクランって盗みの常習犯じゃないのか? 花束ひとつ用意するのにここまでやらかすくらいなんだから、一回きりには思えない。わたしは嫌な予感がして、頭に付いた羽を回転させながら近付いてくるカメラたちを、一匹(?)ずつ手で追い払った。
「ええと、あはは。わたし今日は飛び入り参加で……ここでやっていく気は無いかな……」
「そんなァ、勿体無い! ウチは最近女の子の看板ヒーローが減って困ってたんだ。人気のある子は何処ぞの金持ちが買い取っちゃうからね」
「買う……?」
「あ……っと怖がらせちまったかな? でも大丈夫。ウチの支配人はその辺ちゃんとしてるからね。女の子を売る時はしっかり身辺調べ上げて……」
「だだだ大丈夫です! 本当に! また暇な時遊びに来るよ! 来ないかも! いや来ないかな?! もう来ないかもしれない! あははッじゃあまたいつか!」
わたしはアラクランの手を掴んで走り出した。
背中にめちゃくちゃ汗をかいてるよ。戦った後だからじゃなくて、これはもう、恐怖の冷や汗……。
アラクランは意外にも静かにわたしに連れられて走っていた。闘技場を出て暫く道を行く頃には、わたしと殆ど併走するくらいになっていたけれど。
とりあえず追手の姿も無いし、カメラも闘技場の外までは出てこられないみたいだし、ついでに言えばお兄さんやラズロとも騒動の結果はぐれてしまった。わたしはアラクランと二人きりになっていた。
「……はあ、とりあえず花束はお店に……ああでも、お金を出して買った事になってるから返すとか、出来ないのかな? お金を払い直す……? いや、それより財布を無くした人を探してきちんと返す方が……?」
「そんな事しなくて良くない?」
「だ、ダメだよ。悪い事をしても謝ればまだ許してもらえるかもしれないし、こういうのって黙ったままにしておくのが一番ダメなんだから……」
「ダメばっかだね」
「良くはないでしょ!」
「よく、ない?」
「そうそう! 善いことをしたいんでしょ?」
「ウン」
「ね? じゃあ……そうだ! わたしに付いて来てよ。わたしと一緒に『善いこと』をやろう!」
アラクランはきょとんとして───それから驚きに目を丸くして、その場に花束を取り落とした。
血色の良い頬が赤らんでいく。どこか胡乱げにぼやけていた彼の瞳が、涙の膜の奥できらきら、光って輝いていた。
天啓を得た敬虔な信者のような……そんな顔をして、彼はがくりとその場に両膝をつく。呆気に取られているのはわたしばかりでなく、大通りを行き交う人々もわたしたちから距離を置いて、なんだなんだとヒソヒソ声を交わしていた。
「わが女神の仰せのままに」
「え……あ……何……?」
「あっそうだ靴舐めなきゃ……」
「舐めなくていい! 舐めるな! うわーッやめろ!! とりあえず立ってわたしの話を聞けーッ!!」
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