─5─ 王!舞……

 わたしの言葉を聞き届けたラズロ。

 ……しかし彼女はなんだか不思議な顔をしていた。ハッとした、ような……心に何かがつっかえて、呼吸を忘れかけているような変な顔。

 わたしが訝しんで彼女の顔を覗き込むと、ラズロは今度こそびくりと肩を震わせて「え、ええ。そうですね。そうかもしれません」と曖昧な返事をした。


「コヒナ……、どこかで…………。この懐かしさは一体……?」

「? とりあえずそういう訳だからわたしはお兄さんじゃなくてことにするよ」

「は? 何を言って───」


 そう。初めから三つ目の選択肢なんて無いし、わたしは考えるより動くことの方が得意だし、大好きだ!


 胸いっぱいに息を吸い込む。わたしはもう、ブチかましてやる! という気満々だったんだ。

 柵に手を掛けて目をギュッと瞑る。それから全身全霊、ありったけの力を込めて───


「たのもーーーーーーーッ!!!!」


「こッ、コヒナ?! 何のつもりです?!」

「誰だ今の声……?」

「あそこに女の子が!」

「誰だ? 何者だ?」

「あんな子エントリーにいたっけ……?!」


 叫んだわたしは軽々柵を飛び越えて、フィールドへと降り立った。

 猫みたいに空中でくるり、くるりと身体を翻すわたしに、客席からは「おおっ!」とどよめきが起こる。

 一階席の北側、少しフィールド側に飛び出たボックス席のような場所。チリチリした長い髪の男の人が、頻りに手元の紙とわたしの顔とを見比べて慌てていた。なるほど、あの人が『実況者』ってことかな? わたしが笑顔で手を振ると、彼は引き攣った笑みでぎこちなく手を振り返してきた。


「コヒナです! よろしくお願いします!」


「コヒナだって。聞いたことある?」

「無いな。本当に戦えるのか?」

「でもさっきのジャンプは凄かったよ!」

「まあ元気があって良いんじゃない? 思い出作りにでも来たんだろ」


 観客席が良い具合にどよめき始めた。さっきまでお兄さんがこのフィールドの主人公だったのに、わたしがそれを一気に塗り替えたみたいで気分が良い。別に目立つことが大好きって訳じゃないけど……舞台の真ん中で皆の歓声を浴びるこの感じ、何故か、無性に懐かしくて気持ちいいなって思えた。

 実況のお兄さんがテーブルの上の機械を叩いた。会場中にキィーン……と変な音が響いて、それから実況者さんのハイテンションな声が続く。


「現れたのはなんて愛らしい『赤ずきん』だろうッ! コヒナの登場だーッ! さあ、絶対王者たるマッドハッターを前に、彼女は我々に、何を見せてくれるのか! 期待の拍手をーッ!」


 赤ずきん? ああ……服が赤いからかな? 決して『小さい女の子』だからではないと思いたい。


 客席の拍手喝采を浴びながら、わたしはクルッとターンしてお兄さんへ───絶対王者・マッドハッターへ向き直った。

 ───彼の顔に笑顔は無い。


「……何のつもりかな?」


 人は口角を上げなくても、笑っているような優しい声が出せるんだなと、わたしはその時初めて知ったんだ。


「俺と戦う気? やめた方がいい。俺は本気を出さないし、それに」

「本気出してくれなきゃ困るよ」

「ッ……俺は女の子に酷いことはしないんだ」

「ラズロとは戦えたのに?」

「…………」


 お兄さんは観念して溜息をつくと、鉄槌をドン、と地面に突き立てた。その圧だけでぐらりと足元が揺れる。それでも、わたしは少しもぶれること無く真っ直ぐに立っている。

 お兄さんへ一歩、また一歩と近付いていく。

 絶対王者は動かない。

 ただそこに立って、わたしの歩みを真正面から見つめているだけ。

 玉座は迎えには来ない。わたしにとって玉座とは、奪い返すものであり、防衛するものだった。───? わたしにとって、玉座とは……?


「何を考えてる?」


 お兄さんの問いに、わたしはふっと笑い声を漏らした。

 わたしの声とは思えない冷たさを纏ったそれを吐き出しながら、わたしが胸から引き抜く『作品』は燃え盛る双剣一対。


 ───向き合う必要がある。何度繰り返そうとも、繰り返さざるとも。


 その言葉を唱えた瞬間───わたしたちの体は一柱の火柱の中に包まれた。




 ◆




 燃える。フィールドがあかあかと燃えている。本物の炎ではなく、あれは強烈な幻だ。触れて焼け死ぬことは決して無いけれど、そこにはたしかに温度がある。熱波が私たちの元にまで降りかかるので、周囲の観客らも半身を退いて噎せていた。

 無名のライターズでここまでの幻を操るとは───。

 私は目を凝らした。この猛る火炎の向こう側で、今まさにぶつかり合っている軽やかな双剣と、不釣り合いに禍々しく、巨大な鉄槌。

 身体能力で遥かに劣っているはずのコヒナが、あのマッドハッターに食いついている。決定打となる一撃は喰らわせられないにしても、彼女は執念深くマッドハッターを追い、彼の大振りな攻撃を掻い潜ってひたすらに距離を詰めていた。


「す、すごいぞ……あの子すごいぞ! なんて速さだ!」

「マッドハッターの攻撃が全然当たらねえ! ……あの子の攻撃も全然効いてないけど……」

「コヒナって冒険者か? 誰か知ってる人いないの?」

「見たことあるような……たしかヴィノクの兎亭で……」


「ヴィノクの兎亭ッ?!」


 バッと振り返った私に、背後の客たちがぎょっと目を剥いている。

 ただでさえボスに普段から「お前は美人だから睨むと洒落にならない怖さだ」と私の顔だ。私は短く「失敬」と謝罪しつつ、「あの『ユウジン』の宿ですね?」と問い質す。客たちが顔を見合わせ、コクコクと頷いた。


「そうだよ。なんか、大変な事件に巻き込まれたそうじゃないか……最強のユウジンと、その仲間が。ユウジンはもう目覚めたって聞いたけど、姿を一度も見てない。何処で何してるんだか」

「流石にもう冒険者を辞めたんじゃないか? あの事件でユウジンが亡くしたのは奥さんだったんだろ? 夫婦で冒険者パーティーなんてよくやるなと思ってたけど、こんな最悪の結果になるなんて」

「ユウジンのことだから覚悟はしてたんじゃないか。なんでも、拾った捨て子も娘として同じパーティーに所属させてたようだし」

「その娘ってのは生還したのかな?」

「さあね。あそこの親父さんも事件についてはもう全然喋らないだろ? うちの長男が常連だけどさ、やっぱ何も聞かされてないってさ」


「娘…………」


 あくまで噂程度にしか知らない。


 ヴィノクの兎亭に籍を置くユウジンという最強の冒険者。彼は突如ヴィノクの兎亭に現れて、次々と依頼をこなして名声を上げていった。ジェイダリアの隣国ルベアンダで起きた紛争では民間人の護衛として派兵され、なんと旧政府軍を押し止めて三十年余り続いた紛争を終結させたという。

 刀一振で世界を変えることが出来る男。ボスは以前、ユウジンのことをそう仰っていた。……例の事件をきっかけにボスとユウジンとの交流は途絶えてしまったそうだが、ボスは未だ時折ユウジンの冒険譚を酒の肴にする程である。


 ボスはよく話していた。

 あの男がアオイと育てるのだと言って拾ってきた子供。あれはきっと今に、素晴らしい『ライターズ』になるだろう。オレほどじゃあないがね。あの男に『ライターズ』を育てられるとは到底思えなかったが、あいつは子供にえらく入れ込んでいてな、運命だといって可愛がるもんだから、オレもそういうもんかと思うようになってさ。そうだ、子供は……ユウジンの娘はどうしているかな。───。


「ユウジンの、娘……!!」


 二度、火柱が煌めいて───そこには片膝をついてぜえぜえと息を荒らげるコヒナの姿があった。

 ああやはり、やはり彼女では歯が立たない。

 たとえこの催しを台無しにするとしても、バトルを中断させるべきだ。コヒナにこれ以上何かあってはいけない。ユウジンの娘に───あの子は、ボスの語っていた『運命の子供』!


「私が感じた『作風』は間違っていなかった……。彼女は、彼女こそが、『文豪』を継ぐ者……!」


 何としてでも彼女を保護しなければ。

 冒険者なんて以ての外。今すぐにでも我々、黒点会が保護すべき対象だ。彼女は、彼女の存在は───この世界の環境を一瞬でひっくり返しかねない……!


 客席裏手の階段を駆け降りる。フィールドに繋がっている大扉は、すぐ目前。見張りのリッターズが一人立っているが、ここからなら十分狙撃できる。私の射程範囲内だ。

 壁に背を預け、拳銃を引き抜く。見張りはちらちらと廊下左脇の時計を確認していた。交代を待っているのか? 次に振り返った時、その脳天を撃ち抜く……!


 ───が、その時は来なかった。

 ガチャリ! と……廊下右側の扉が開いて、見張りと同じ制服を纏った男が現れた。


「ありゃ? 早かったじゃないか。まだあと二十分もあるぞ」

「支配人から差し入れがあるんだ。溶けちまう前に休憩室で食ってこいよ。俺はさっき食ってきた」

「おお! お前気が利くなァ〜。ありがとう! 相変わらずここは何事も無く、だ。引き継ぎも無いし、適当にッ───……」


 フラリ、と見張りの体が大きく揺れる。

 そして……彼は交代に来た見張りの腕の中に頭から倒れ込んで行った。

 ここのリッターズではない……。あの男は何者だ?

 壁際から顔を出し、そろりそろりと身を乗り出していく私には全く気付かないまま、男は次々に見張りの制服を脱ぎ捨てていった。小太りの男だと思っていたそいつは、制服の下に薄汚いローブを押し込めていただけだった。

 パッと帽子を取り払えば、乾いた藁のような色の金髪が現れる。

 そして何やらローブの下をまさぐり始めた男。銃か? 短刀か? あらゆる得物を想定して私はじり……と彼の方へ躙り寄る。道中掃除用具入れやゴミ箱など、障害物があって有難い。上手く身を隠しながら、着実に彼の方へ接近していく。


 彼我の距離、およそ七メートルといったところか。

 意を決してゴミ箱の影から立ち上がった私は、そこで思わぬものを目にした。


「えっ…………は?」


 男が懐から取り出したものは……真っ赤な薔薇の花束である。

 見間違いだろうか。目を擦る。いや、間違いない。真っ赤な薔薇の花束である。

 男はすんすんと匂いを嗅いで、「よし」とガッツポーズを決めている。何が良いのか全く分からないが、これだけ接近しても毒薬や火薬の匂いがこれっぽっちもしてこない。ということはやはり、あれは……ただの花束だ……。


「うははッ! 探したぜ……俺の女神お嬢ちゃま!」


 男は意気揚々と大扉を開け放った。

 驚くほど眩しいフィールドの光を浴びながら、呆れるほど陽気なスキップと共に……。

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