じいちゃん家 ~意外と異世界、近かった~

実川えむ

プロローグ

 分厚い窓ガラスから差し込む光は、すっかり夕日で赤く変わっている。

 部屋の中はたくさんの本で埋め尽くされていて、その奥の机では、一人の男が縦長の革製の小さな肩掛け鞄を弄るのに、厳しい顔で集中している。

 年のころは、30代後半くらい。オールバックにしたストレートの黒髪に、鋭い鷲鼻。金色の瞳は真剣に革に彫りこむ魔法陣に集中している。

 革製の鞄は彼の妻の手作りの物だ。

 一文字でも書き間違えたものなら、使い物にならなくなるから、慎重にもなる。

 男の名は、アラン・モンテール。

 この世界で『大魔導師』の称号を持ち、『黒死の大鷲』という二つ名も持つ。

 隣国との戦争や、『魔の大森林』での高位の魔物討伐で名を馳せた彼は、すでに何十年も経っているのに、いまだに多くの者にその名で呼ばれ、恐れられている。

 そんなアランは今、この夏休みに遊びに来る孫二人に渡すマジックバッグ作りに勤しんでいる。


『アラン様』


 部屋のドアの隙間から、執事の格好をした体の小さな男が顔を覗かせる。子供のような体に黒い服を着ている姿は、子供が大人の格好をしているように見えるが、顔は髭をたくわえた中年男性。ブラウニー屋敷妖精のロイドだ。


「ん? ロイドか。どうした」


 小さな鞄から目をあげ、小さな男のほうへと目を向ける。

 ロイドと呼ばれた男は、はぁ、とため息をつきながら、主人であるアランに、ある事実を伝える。


『アラン様、そろそろあちらに戻られる時間かと』

「ん!? 何!」


 アランは慌てて腕時計に目を向ける。時計の時間はもうすぐ午後六時になろうとするところ。


「ああ、まずい、まずい。早く戻らねば、ユミーに怒られる!」

『後は私どもが片づけておきますので、お早く』

「すまん! ロイド、明日、また来る!」

『お気をつけて』


 部屋から飛び出していくアランの背後では、ロイドが深々と頭を下げていた。

 一方のアランが向かう先は、屋敷の地下にある『転移の間』。


『あら、アラン様』


 長い廊下をかけていくアランに声をかけるのは、ロイド同様に、小さな体で黒いワンピースに白いエプロンをつけた中年の女性。彼女はブラウニー屋敷妖精のマリー。この屋敷唯一の侍女だ。


「すまん、マリー、時間がないんだ!」

『お急ぎくださいませ。ユミー様がお待ちでしょう?』

「うむ、またな」


 マリーのコロコロと笑う声を背に、アランは地下への階段を駆け下りる。

 地下には倉庫となる部屋がいくつか並ぶ中、一番突き当りの壁へと向かう。


『&%@(開け)』


 アランが古代魔術語で呪文を唱え、手を伸ばして壁に触れると、サーッと青い光が触れたところから広がるように長方形に光った。そこには新しく木のドアが現われた。

 ドアをあけて中に入ると、薄っすらと青白い光で部屋の中は照らされ、床の中央には、大きな円形の魔法陣が白く描かれている。

 大きくため息をつきながら、その中央に立つアラン。その顔は先程までの厳しい顔つきとは違い、立派な眉が情けないほどに下がっている。


「あー、ユミーに怒られるなぁ……『〇%$@#、*#◇(異なる印の元へ、転移)』」


 アランの言葉とともに魔法陣から黒い光が吹き出し、彼の姿を包み込んだ。

 黒い光が消えた後、その部屋には誰もいなくなった。




 アランの姿は、古びた木造の建物の中にあった。建物の中には、木箱がいくつか重ねられている。ちょっとした物置のような状態だ。

 そして、先ほどまでと違うのは、彼の姿。

 黒かった髪は白髪に変わり、瞳の色はダークブルーに変わっている。そして何より、一気に年をとって、見た目は70代くらいの老人に変わっていることだ。


「マニアッタ……」

「いいえ、間に合ってないわ」


 建物のドアを開けたところで待っていた女性が、被せるように言葉を発する。


「ユ、ユミー!」

「もう、遅いから迎えにきたわよ」


 日が暮れかけているその場所で、ユミーと呼ばれたぽっちゃり体型の50代くらいの女性が、腕を組みながら目の前に立っているアランを睨むように見上げている。

 彼女の名前は、山中 裕美子。アランの妻だ。

 190センチ近い背のアランと、140センチほどしかないユミー。並んでいる姿は、まるで親子ほどもありそうだ。


「スマン、ツイ、ムチュウニナッテ」


 カタコトの日本語で謝りながら、アランは頭を掻く。


「もう少し暗くなったら、足元が危ないんだから」

「ソウダナ」

「そうよ。ここでは便利な魔法は使えないのよ?」

「ウンウン」

「もう! ちゃんと聞いてる?」


 鞄を弄っていた時のような厳しい表情は消え、今のアランはデレデレ状態。

 ユミーのゆるくパーマのかかった白髪のない短い黒い髪を撫でながら、一緒に山の中の細い道を歩いている。


「ソウイエバ、エマタチガクルノハ、ライシュウダッタカ」

「そうよ!」


 嬉しそうに答えるユミーに、アランも微笑みかえす。


「翔ちゃんは『じいちゃん家に行くのが楽しみだ』って、言ってたじゃない」

「ウンウン」


 懐中電灯で道を照らし、二人は孫たちの話をしながら歩いて行く。

 口元を緩めるアランの姿には、『黒死の大鷲』の二つ名の影も形もない。

 ……二人の孫と、一緒に異世界を楽しむ夏休みまで、あと少し。

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