第78話 悔恨

 無数の傷にあちこちを包帯で巻いた姿のシラーに、同じようなザイストが声をかけた。


「ああ。大した傷でもないが」


「その姿で?」


 前に立つザイストにシラーはやっと顔をあげて言った。


「命がある。……あの子の代わりに死すべきは私なのに」

「なんだと?」


 ザイストの声が冷たくなった。


 ふいと顔を背け、シラーは魔物を街へ入れてしまったのは自分だからなと呟いた。


「あの時にすべてを防げていれば、今、この惨状はない」


「バカなことを」


 どちらかといえば、先に青狼ブルーウルフの数を減らしてくれたシラー達のお陰で、この死傷者の数なのだといえる。


「あれだけ減らしてくれたのに、おまえはまだ不満なのか。そんなに自分の腕に自信があったのか、凄いな、おまえ」


「茶化すな。今はのってやれない」


 ザイストはシラーの隣に座り、同じく壁に寄りかかった。


「まあ、確かにツラいな。今回は幸運の塊だったって隊長もカーラントも話していたが、ひとりでも守れなかった人がいたら、本当にそうだとは言えないよな」


 昨日の褐色狼ブラウンウルフと青狼、ハルピュイアとハルピュイア・クイン。どの種族も実戦では初めて対峙した。如何に練習を重ねていたとはいえ、隊員の誰もが訓練のようには戦えなかった。


 撃退するには骨が折れるものを更に同時に三種族もと考えれば、この程度の死者数で済んだのは幸運以外に表現できないだろう。しかし。


「おまえの気持ちも分かるが、必要以上に自分を責めるな。シラー・アンティア分隊長の指揮は完璧だったぜ」


 シラーを慰めようとするザイストの心が、彼に本心を吐き出させる。


「守りたかった。警護を任されたからには、誰一人傷つけることのないように、毎日寸暇を惜しんで鍛錬を重ねていたからな。だが、いざとなればこの有様。笑うじゃないか。この程度の腕で、私は怪我人のひとりも出すつもりが無かったんだ。ましてや死者など……っ」


 嗚咽おえつ交じりに吐き出す台詞せりふに、ザイストはそれ以上何も言わず、ただずっと、シラーの隣で降り注ぐような満天の星を見つめた。




────


「ジェイン」


 長くがれた声がする。私の顔を覗くのは。



 ぽかぽかのお日様が少しだけ焼いてしまった髪。とろけたはちみつの瞳。


(サラエル)


 小さな少女と手を繋いで歩く。引きる私の足。


「ここだよ!」


 笑顔に続いて景色が変わる。

 

 森の中の一面の黄色。緑と黄色が風に揺れる。


 花弁が空を舞い踊る。くるくる、くるくる。


 綺麗で可憐な世界。


 隣で笑う、初めての友達。あの日見た、きらきらな世界。


(ああ、もう分かっているよ。これは夢だ)


 自覚した瞬間に笑っていたサラエルがかき消える。花と共に、空間に溶けるように。


「出てくるんじゃないよ!!!」


 急に場面が変わった。


 昔の自分と、サラエルがいる。真剣な顔をした、サラエルの母親も。


 暗色の空気が肌にひりつく。突然に響く多くの声。人と、人じゃないものと。激しい戦闘の音が家の中にも聴こえる。


「おばさん!!」


(ああ、これは)


「サラ! ジェインとここで隠れているんだ」


 引っ張られる腕、突き飛ばされるように押し込められた小さな部屋。ドアを閉める直前に。


「ジェイン、あんたが持っていたあの剣、悪いけどちょっと借りるよ」

「え! あの剣は、ダメ、おばさんには使えない、あれは!」


 幼い自分が必死に首を振る。だが、話は聞いてもらえない。


 耳に心臓が移動したようにうるさくて痛い。閉められた扉は重くて、子どもの力ではびくともしない。


 何度も何度も扉を叩く。血がにじんでも、懸命に叩く。


(あれは、あの剣は、私じゃないと使えない)


「ジェイン、大丈夫だよ。あんなやつら、絶対お父さんとお母さんがやっつける」


 少女のサラが誰をなぐさめている?

 サラのような小さな子ども?

 


 ……誰が子どもか。


「違う、私は、サラ」


 運命を分ける轟音、あっという間に崩れゆく世界。


 白から黒へまた反転する世界。


 散らばる瓦礫がれきの中、突きだす形で白く浮き上がる少女の手。あの日の、小さなままの自分が、瓦礫の中から引っ張りだそうとしている。


「サラ! サラ、しっかりして。今だしてあげる」


 白い小さな手を握りしめる。ぐいと力を込めると同時に、抵抗らしいものがなくそのままずるりと抜けて尻もちをつく。


「……っ」


 サラの腕は、肘から先が


 握った掌が握り返すことはなく、その先にサラはいなかった。


 サラの腕に覆いかぶさるように、その場にうずくまる。大きな碧玉の瞳からぼたぼたと涙が零れ落ちる。


 見渡す限り瓦礫しかなく、燃えカスとなり果てた、家であったものの集まり。


 声を詰まらせながら胸を掻きむしる。


(私が嘘を吐いたから?)


(カティアと離れたから?)


(何も打ち明けなかったから?)


 そうだとしても。


「くそ……なんで、こんな」


 喉の奥から痛みが音になって溢れる。

 黒い夜に激しく降る雨が、世界を無音に変えたとしても。


「サラ!!!!!」



────




、彼らの命を使うな!!」


 ふかふかのベッドで眠っていたはずのジェインが、暗闇の中で突然声をあげた。


 はっとして起き上がると、周りを素早く見回す。


『ここは月花亭よ』


 相棒の声に、段々と意識がハッキリとしてきた。


「……ああ、そうだ。あれは単なる、雑な記憶の羅列」


 顔にかかる髪をかき上げた。冷や汗か何本も肌に残ってしまったが、気には留めない。

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