第7話 陰謀

「渡竜は西の空から来ることは、分かっているな?」

「ああ。確か、昔迎撃した時も西からだったな」

「今回は国の西門付近に砦を建てた。すでに魔法士部隊、弓隊、いくつかの剣士を常駐している。はぐれ竜はここで迎撃だ」


 ソフィーネは地図を示しながら、テキパキとアルと話を進めていた。

 彼女はコツコツと音を立てて、羽ペンで地図に矢印を書いていく。

 よそ者で、しかも聖女としてぬくぬく生活してきたアイリスは完全に置いてけぼりだ。

 だからと言って拗ねるわけにもいかないので、アイリスは砂糖とミルクを大量に入れた甘々のコーヒを啜る。

 おいしい。

 

「それで、俺たちはどうすればいい? 砦の守護か?」

「いや、それは私がやる。一番被害が出たらいけないのはどこだと思う?」

「街だな。砦の魔法士たちではぐれ竜を撃退できれば良いが、街に侵入を許すこともあるだろう」

「そうだ。二人には街の警護を頼む。もちろん、他の冒険者も街に常駐させる。レイリスもお前といた方が良いだろう?」


 コーヒを啜っていると、ソフィーネと目が合った。にやけている。

 アイリスは咄嗟に「アル……じゃなくて、スミス様と一緒が良いです!」と叫んだ。

 

「……む。それもそうだな」


 アルは頬を赤らめて水を一気に飲み干した。

 何を照れているのだろうか。

 よく分からなかったが、自分も会話に混ざることができて嬉しい。


「渡竜はいつ来るのですか?」


「正確には分からないが、例年の傾向から考えると、一、二週間で来るだろう」


 アイリスが訊ねると、ソフィーネは少し考えてそう答える。


「結構早いな」

「ああ。最近は早い。それに数も多いし、強い。昔のようには甘くないということは、念頭においておいた方が良い」

「肝に銘じておくよ」


 それにしても、今日のアルはかなり積極的というか、生き生きしているように見えた。

 久しぶりの冒険者、久しぶりの盟友。渡竜の討伐。

 ローレッタが言っていた、初心を思い出す、とはこういう意味と効果があったのかもしれない。


「よし、二人は街で物資を調達しておけ。明日竜が来るかもしれないから、悠長なことは言ってられないぞ」

「ああ」

「あと、宿は私が取っていたからそこを使え」

「へいへい。話がお早いことで」


 まさか宿も取っていたとは。

 やはりローレッタが手回ししていたに違いない。アイリスは思わず苦笑いを浮かべた。

 ローレッタはああ見えてかなりの策士なのかも。


「ちなみに宿は二部屋とっておいたが……その様子じゃ、一部屋でも良かったか?」


 ソフィーネがニヤけながらそう言うと、その意味を理解したのか、アルは耳まで頬を赤くさせた。


「む!? な、何言ってんだ! 二部屋に決まってんだろ。それじゃあアイリスが困るだろ」

「私は別に良いですよ?」


 そう言ってやると、アルはしばしの間体を硬直させて、文字通り、沸騰した。


「そ、そそそそ、そんな。ふ、へ、俺は断固拒否するぞ!」


 逃げるようにギルドを出ていったアルの背中を見ながら、アイリスはため息をつく。

 ふとソフィーネを見ると、生暖かい目でこちらを見ていた。


「もう、意地悪ですよ、ソフィーネさん」

「はっはっは! 相変わらず度胸のない奴だよな」

「本当に。フラれるってこういう気持ちでしょうか」


 楽しい気持ちと残念な気持ちがアイリスの心の中でしのぎを削っている。

 少しくらい強引でもアイリスとしてはウェルカムなのだが。


「気にすんな! あいつは昔からあんな奴だ。そして、ああ見えて不器用でもある。あいつを頼むぜ、聖女さんよ」


「任されました」


 そう言って、アイリスは彼の背中を追いかけた。

 ギルドを出ると少し離れたところでアルは彼女を待っている。

 置いていかずに、待っていてくれた。


「お待たせしました」

「ああ。何話してたんだ?」


 チラチラと視線を向けて、アルがこちらの様子を窺ってくる。子どもみたいで少し可愛らしい。


「なんでもありませんよ」

「む、そうか」

「そうです」

「なら、早いとこ物資を買いに行くぞ。準備は早い方が良いからな」


 方針は固まり、作戦も決定した。

 渡竜はそれから一週間後に姿を現した。


◇◇◇


 ここはレーテン王国。

 第一王子のクレイン・バン・レーテンは頭を抱えていた。

 

「ところどころで、聖女アイリスに下した処遇をめぐって、民衆たちが声を挙げております。中には第二王子派につく貴族も少なくありません」


 側近がそう報告すると、クレインは頭をかいた。

 現国王の病状が進行し、いよいよ王位継承権をめぐって内なる争いは苛烈を極めていた。

 その中で民衆たちの暴動。有力貴族の裏切り。


 盤石だったクレイン派閥は、今や泥舟くらい不安定なものとなっていた。


「グランめ。まさか民衆を味方につけるとは」

「クレイン様、聖女アイリスはどうなりましたの?」


 フランがそう訊ねた。

 多忙を極めるクレインにとって、正直なところ、ろくに仕事もしない聖女フランは邪魔な存在になりつつある。


「暗殺者からの報告はないな」

「まさか逃げられまして?」

「今はそれどころではないだろう。俺たちはこの王位継承権争いに勝たねばならない」


 頬を膨らませるフランを差し置いて、クレインは考えた。

 グランは人気こそあれ、国王を求められるようなカリスマ性、そして兄であるクレインに面と向かって対立するような性格ではない。

 グランは一体何を考えているのか。

 クレインはただそれだけが不思議だった。


◇◇◇


「守備はどうだ。クレイン派閥の貴族の動向は?」


 グランの声に、一人の側近が一歩前に出た。

 グランはあれから人選に手間と時間と金をかけ、信頼できる者をかき集め、いよいよクレインを落とすことに力を入れ始めていた。


 この側近も頭の切れる男だ。


「はい。全て計画通り。上級大臣のロズウェル、レートフル、そして名家であるオズレース伯爵もグラン様に付きました」


「そうか。何よりだ」


 第二王子グラン・バン・レーテンは臆病な性格だ。しかし、今はまるで別人のような立ち振る舞い。

 何が自分をそうしたのか、グランは理解していた。

 アイリスを自分のものにしたい。嫁にして、女としてこの身のそばに置いておきたいのだ。

 あの女神のような笑顔、優しさ、有能さ、賢さ、可愛さ、親切さ、寛大さ。

 素晴らしい。素晴らしすぎるのだ。他のどんな女でも代わりになることはできない、嫁として相応しい人間なのだ。


「あはは。アイリス……。ああ、アイリス。アイリス、アイリス、アイリス、アイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリスアイリス」


 グランはアイリスの名前を呼び続けた。愛しの彼女のことを思い浮かべると、なんでも出来そうな気がする。


「グラン様」

「なんだ」

「お客様です」

「来たか。通してくれ」


 しばらくして、グランの元へ客がやってきた。

 もちろん、味方だ。これからグランがアイリスと結ばれるかは、この男にかかっていると言っても過言ではない。


「俺はアルデバラン。第二王子に会えるのは光栄だ。よろしく頼む」


「存じております。アルデバラン様。遥々こちらへ来てもらったこと、感謝します」


 そう。グランの心強い味方はこの、北の剣聖アルデバランだ。

 第二王子グランよりも、剣聖であるアルデバランの方が立場が上だ。

 グランは額に汗を浮かべながら、彼を見る。

 ニコニコとしているが、真意がまるで読み取れない。恐ろしい男だ。


「ええと。なんだったかな。ああ、聖女アイリスのことか」

「はい。私が聞きたいのは彼女の安否です」

「アイリスは生きているよ。とても元気に」


 それを聞いて、まずグランは肩を撫で下ろした。

 兄が暗殺者を使ってアイリスを殺そうとしていたことを知った時は、心配で夜も寝られなかった。

 それにしても、どうやって生き延びたのだろう。兄が雇っている暗殺者の腕はこの国随一であると聞く。


「率直に言うけれどね。グラン。君はこの調子なら、この国の王になっても、アイリスと結ばれることはないよ」

「なんだと!!!?? ……す、すみません。取り乱しました」


 グランは立ち上がり、怒号をあげた。その勢いで目の前のコーヒーが倒れ、黒い液体が机の上を覆い尽くす。

 側近はそそくさとそれを片付けて、新しいコーヒーを淹れ直す。


「良い。今、聖女アイリスは剣聖アルのところで身を潜めている」

「剣聖アル……」


 グランは考えを巡らせた。もちろん彼はその名前を知っている。

 剣聖アル。七代剣聖のトップだ。

 そして次の瞬間にはどうやってアイリスを彼から奪うかを考えていた。


「アルはアイリスをたぶらかして自分の女にしようとしている」


「な、なんだと……!」


 腹が立った。アイリスをたぶらかして良いのは自分だけだ。そしてアイリスは自分にだけ心を許してくれている。

 あの笑顔はグランにしか向けないものだ。


「俺もアルに説得したさ。だが、ダメだった。嫌がるアイリスを塔に閉じ込め、無理やり働かせて、夜も……」

「もう良い!!!!! もう良いです……」


 雄弁に語るアルデバランを睨みつけ、グランは拳を握りしめた。

 到底許されざる行為だ。反逆行為と言っても良い。

 

「アルデバラン様。お願いがあります」

 

 グランは決意を固めて口を開いた。


「俺に、剣聖殺しをさせる気か?」

「……ッ。申し訳……ありません」


 グランの意図を読み取ったのか、アルデバランはこれまで以上の圧力をもってグランを睨みつけた。

 

「良いだろう! ただし、条件がある」

「なんでしょう」

「言うまでもなく、剣聖アルの方が俺より強い!」

「そ、そんなことは」

「まずは金だ! そして戦力。そして作戦! これらをクリアしなければ、剣聖アルは殺せないよ」

「できる限りのことをしましょう」


 その夜は、永遠と続いた。

 アルデバランが知っている剣聖アルの情報、強さ、彼がどうしたら本気を出すのか、強さの片鱗を見せるのか、塔の召喚術師はどのようなやつで、どうしたら阻止できるのか。

 殺し方、おびき寄せ方、怪しまれない方法。

 全ての情報を互いに交換し、契約を結ぶにはその夜だけでは足りなかった。


 結果、第二王子グランは巨額の金を支払い、剣聖アルデバランを味方につけた。

 

「ああ、アイリス。待っててね。僕が必ず君を取り戻すよ」


 邪魔者は排除し、必ずアイリスと結ばれてみせる。

 グランはうっとりとしながら、策略を巡らせた。 

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