第5話 引きこもり、追い出される

 アイリスは目の前の盤上を注視していた。

 白と黒の駒が乱雑に並べられたそれは、紛れもなくアイリスに分があることを示している。

 

「む」


 目の前の男、アルが唸った。黒髪がさらりと揺れ、ゆっくりと彼は黒い駒を盤上におく。

 頭脳ゲーム、ロセロ。

 相手の駒を自分の駒で挟むことで、盤面を自分の駒で埋めていくという、シンプルなボードゲームである。


「これでどうでしょう」


 アイリスはニコニコと笑みを浮かべながら、自分の駒を置いた。

 アイリスが予想するはるか先の未来では、アルが泣き崩れている姿がありありと思い浮かぶ。


 自分が負けていることにいつ気がつくのか、アイリスはそれが楽しみで仕方がなかった。


 剣の腕が少しあるからといって、ボードゲームが得意なアイリスに意気込んだことを後悔させてあげよう。


「む? 何をそんなに笑っている。勝負はこれからだぞ」

「ええ。そうですね。勝負はこれからです」


 絶望はこれから、の間違いだろう。

 とはいえ、小首を傾げてアイリスの表情を窺ってくるアルにそのことを伝えるのは酷かもしれない。


 彼女はウキウキとしながらゲームを進める。


 暗殺者の魔の手から逃れて数週間。

 正式に塔の住人となったアイリスは今日も今日とて暇な日常を送っていた。

 とはいっても、暇なのはアルとアイリスだけだが。

 

 ゲームも終盤に差し掛かり、徐々にアルの顔色が青くなり始めた頃。

 盤面が揺れ動き、ボードが突然、浮遊した。


「邪魔ですーー!!」

「む! 何をする、ローレッタ!」


 ローレッタが指をくるくると動かして、浮遊魔術を操る。

 その刹那、ボードがアルめがけて急速に飛んでいき……。


「痛ってぇぇー!」


 直撃した。

 アイリスは呆気に取られながら二人のやりとりを見る。

 ローレッタはどうやらお怒りのご様子。

 アイリスは気配を殺して傍観者になることに徹することにした。

 

「何をする、じゃないですよ! アイリス様が来られてからというもの、引きこもってばかりじゃないですか」

「い、いいじゃないか、ちょっとくらい」


 あ、言った。アイリスは恐る恐るローレッタを見る。

 ローレッタのおでこには血管が浮き出ていた。


「全然良くありません! アル様が思っている以上に支出が多いのです」

「塔に金ならいくらでもあるだろう」

「増えるより減る方が多いんですっ!」

「む」


 アルは唸った。そして考えるそぶりをする。

 多分これは何も考えていないな。「む」と唸って考えるそぶりをするのは、どうやらアルの口癖らしい。

 かわいいけれど、アイリス含め、ローレッタにもバレバレだ。


「戦いでダメージを受けた塔の修繕。諸々の生活費、ガーディアンたちへの報酬。他にもたくさん支出があるんです!」


「それは、私にも非があります。ローレッタ様にはご迷惑を……」

「アイリス様は良いのですっ!」


 アイリスがそう言うと、ローレッタは手をぶんぶん振ってにこやかに笑った。

 

「アル様、初心を思い出してはいかがでしょう」

「と、言いますと」


 ローレッタの言葉に、びくりと肩を震わせてアルがとぼけた。

 初心を思い出すとは、どういうことなのだろう。

 アイリスが考えていると、ローレッタは剣を引き抜いて天井に掲げる。


「冒険者、やってきてください!」


◇◇◇


「これが冒険者のギルドカード……!」

「ああ……。帰りたい」


 アイリスとアルは、活気ある街の中を徘徊していた。

 側から見ればそれは仲睦まじいカップルがデートをしている真っ最中だと、見えるかもしれない。

 実際はそうではなかったのだが。

 アイリスは首元にぶら下がった冒険者のギルドカードを見ながらウキウキとしていた。

 全体的に銀色で、手のひらサイズの金属の板である。

 それは鉄級を示すギルドカードだ。


 ローレッタから、冒険者だった頃の初心を思い出せと言われて塔を追い出されたアル。

 アイリスは楽しそうな予感を感じ取り、彼についてきたのだ。

 実際冒険者になるなんて初めてで、なんの縛りもなく知らない街を歩くのも初めて。


 アイリスは目を輝かせながら歩き回る。


 一方アルはというと、表情はまるでゾンビかゴブリンのような醜悪かつ悲壮な面持ちをしていた。

 アルは剣聖になる前は冒険者だったらしい。

 冒険者のランクは上から順に、プラチナ、金、銀、銅、鉄に分けられており、彼はプラチナ級冒険者だったのだとか。


 日頃、塔の守護や管理を任せっきりで、昼寝ばかりしているアルにも、輝かしい過去はあったのだ。

 ローレッタの言う、初心を思い出せとはそういうことなのだろう。


「あ、アル様!」

「レイリスさーん。俺の名前はスミスだよー?」

「あ、す、スミス様」

「なんだい? レイリス」

「どうしてプラチナ級ではなく、銀級なのですか。あと、どうして名前を?」

「正体がバレるといろいろ面倒いから」


 今、この場所ではアイリスはレイリスで、アルはスミスらしい。

 もちろん偽名だ。

 偽名を使うなんて、なんだかかっこいい。潜入捜査みたいで。

 本来ならプラチナ級の彼だが、スミスとしての彼は銀級冒険者らしい。


 剣聖になる前の彼は、プラチナ級としてかなり功績を上げており、知らない人はいない有名人らしい。だから、正体がバレると色々と厄介ごとを押し付けられて大変。

 めんどうごとを嫌う彼からすると、絶対に避けたい事なのだろう。

 みんなから頼られる彼もなかなかカッコいいと思うアイリスだったが、それは心のうちに秘めておく。

 

「ふーん。そうなんですね」

「ふーん。そうなのだよ、レイリス」


 ちなみに二人はローレッタの隠匿魔法を使用しているから、見た目に関しては別人だ。


 設定は、片田舎からやってきた二人の兄妹。

 剣に自信のある銀級冒険者である兄と、少しばかり治癒魔法をかじった妹。

 血の繋がっていない二人の兄弟は、密かに恋心を持ち合わせ、度重なる冒険の中で気持ちに歯止めが効かなくなり……。


「まだその設定やってんのか、レイリス」

「やってます」

「気持ち悪いからやめろ」

「ひ、ひどいです!」


 アイリスが考えた渾身の設定は、どうやらアルには響かなかったようだ。

 気持ち悪いと言われる始末で、アイリスは少し落ち込む。

 腹が立つから強引に彼の腕に手を回してやった。

 彼は「な、なにをする」と言って顔を赤らめたが、無理やりアイリスをはがそうとはしない。

 なんだかんだ優しい人だとアイリスは思った。


「よし、レイリス。簡単な依頼をこなして、さっさと帰宅するぞ」

「ええ。もうちょっとここにいたいです」

「何言ってる。いいか、ここには厄介な野郎が沢山いるんだよ。そりゃあもう虫みたいにいるからな。厄介ごとに巻き込まれる前に帰りたいんだよ、俺は!」


 珍しく饒舌なアルだ。それほどまでにトラウマらしい。

 虫みたいな厄介な野郎とは、非常に気になる。

 できれば会ってみたい。

 

「誰ですか、その厄介な野郎って。参考までに聞きたいです」

「厄介人物No. 1。金級冒険者のソフィーネだ。真っ赤な髪で、身長の高い女を見たら逃げろ。何してくるか分からんぞ」


 アルはそう言って、大袈裟なそぶりでアイリスに伝えようとする。

 彼は今しがた出来た人型の影に気がつくことなく、熱弁している。

 アイリスが影の方向を見ると、真っ赤な髪で、しかもスラリとした、身長の高い女の人が立っていた。


 あら、提供された情報とピッタリ。

 指名手配犯かしら。


「誰が厄介だって? ああ? おい。ちょっと身分が高いからって舐めてんじゃねぇぞ、アル!」


「……」


 アルが恐る恐る、声の方向に振り向いた。

 二人はバッチリ目と目を合わせる。

 アルの表情はアイリスからは見えない。

 しかし、首筋には鳥肌と、脂汗が浮かんでいた。


「……解せぬ」


 アルはかろうじでそれだけ言うと、そのまま赤髪の彼女に首根っこを掴まれて連行されていった。

 アイリスはただその情けない姿を見ることしかできなかった。


「解せぬはこっちよ。カッコ悪いんだから」


 アイリスの呟きは誰の耳に入ることもなく、街の雑音に飲み込まれた。

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