第一章

第9話 チョコレートプリンパフェ

 次の日、つまりは夏休みの初日の昼。天気は絶好の散歩日和で、燦燦と降り注ぐ光に視界が狭まった。

 涼太が向かう先はすでに決まっていた。


 目の前には見上げるほどの大きな図書館。

 常連である涼太は、受付の愛想の良い司書に会釈をすると、通い慣れた道を歩く。本棚と本棚を縫うように歩いて、しばらくすると目的のスペースへと辿り着いた。


 涼太は時々一人で図書館に出向き、氷雨症候群について書かれている本を手当たり次第に読む。

 それは前々から『感情具現化』という現象が氷雨症候群なのではないかという予想を立てていたからだ。


「氷雨症候群はまだ解明されていないことが多く、発症している人間の体への影響も不確実。……この本も同じこと書いてあるな」


 その結果としてえられたものは、「氷雨症候群について、何も解明されていない」という事実だけだが。


 だが天という存在が現れたことで、涼太の意識は大きく変わり始めていた。一刻も早く氷雨症候群を治療しないと、天の体に何があるか分からない。


「相談、してみるか」


 図書館を出てポケットの中のスマートフォンを取り出す。

 登録されている数少ない電話番号の中から、一番使われている番号をタップした。


 春上栞。

 涼太の、たった一人の友人だ。




「天使が氷雨症候群を治すには?」

「ああ。七坂──えっと、その天使の名前なんだけど、天はいつまでもこのままって訳にもいかないだろ。本物の天の身体に何が起こるか分からないし」


 路地裏の近くにある隠れ家のような喫茶店。

 人気ひとけのない喫茶店には二人の声だけが響く。店内に流れる音楽は人の居ない喫茶店をさらに静めているようにも思える。


 涼太は電話で最も信頼の置ける友人──といっても友人は一人しかいないのだけど──を喫茶店に呼び出すと、前置きもなく天の氷雨症候群を治したいと告げた。


 涼太が口をつぐんだ後、ソーサーにそっとカップを置いた栞は眉を動かした。コーヒーの表面に栞の顔が映って揺れる。


「……そう。涼太はその天って子を助けたいんだ」

「当然だろ。成り行きでも一緒に暮らしている相手が氷雨症候群だなんて、心配じゃないか」

「……それだけなの?」

「え?」

「なんでもない。私ができることなら、まあ、協力してもいいよ。ここのパフェ一つで」

「まじか……」


 この喫茶店のパフェはプリンや小さなチョコレートケーキが乗った、それはそれは甘くてとんでもないサイズのパフェだ。

 栞は了承も聞かずパフェを注文すると涼太に向き直って腕を組む。


「まあ、氷雨症候群については私も分からないことがほとんどだけどね……その子は涼太の家にいるドッペルゲンガーを「願望」って言ったんだよね?」

「ああ。願望が作り出したって言ってたな」


「でも今は本当の自分と同じように、涼太の家に閉じこもりっきりなんでしょ? それじゃあ「願望」を作った意味がないと思うけど」


「……つまり?」


「「願望」がやりたいことをやれば、ドッペルゲンガーがいる意味も無くなる。氷雨症候群の解決になるかもよ」


 涼太ははっと目を見開いて立ち上がる。机に置かれていたコーヒーの表面が揺れた。

 なんで今まで気がつかなかったのだろうか。天が望んでいたのは、「外に出ることのできる天」と言っていたのに。


「そうだ、それは確かにそう言ってた。望んだのは「外に出ることのできる自分」だって」


 そうして涼太は音を立てて椅子から立ち上がる。

 人気ひとけのない喫茶店に椅子が床を引きずる音が響いた。


「……お待たせしました、チョコレートプリンパフェでございます」

「涼太、とりあえずパフェ来たから、落ち着いて。座って」

「……すみません」




 チョコレートプリンパフェのクリームを頬張りながら、栞は満足そうな顔をする。心なしかいつも冷静な瞳がきらきらと輝いている気もする。


「よく食えるな」

「美味しいよ。涼太も……食べる?」


 栞は早くもパフェを食べ終えたようで、最後に残された量の少ないプリンの部分を掬うと、こちらにスプーンを向けてあーんという姿勢をとった。

 スプーンの上でぷるぷるとプリンが揺れている。クリームも乗っているなんてサービスを栞がすると思っていなかった涼太は目を見開く。


(よく恥ずかしげもなくこんなことできるな、栞)


 口に出したら怒って喫茶店から出て行ってしまうだろう。だからじとっとした視線だけを向ける。

 栞があまりにも冷静なだから、自分だけが意識してしまっているみたいで涼太は照れ隠しをするように俯いた。


「いや、甘そうだし遠慮しておく。栞、楽しみに取っておいたんじゃないのか」

「……まあ、うん」


 そうして伸ばされたスプーンの先は、ゆっくりと持ち主の口に入っていった。


 最後まで残されたプリンを頬張る。

 栞はそうして最後までパフェを美味しそうに食べた後、涼太と一緒に喫茶店を出た。


(目標は決まった。天の願望の叶える、そして天の氷雨症候群を治す)


 喫茶店の後しっかりと買い物に付き合わされ栞と別れた後、涼太は帰路へと着く。その足はしっかりと地を踏みしめていた。

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