雨の中公園で美少女を拾ったら、六畳一間で天使を飼うことになった件。

ふじな

プロローグ

第1話 天使との出会い

 桐川涼太きりかわすずたが天使と出会ったのは、雨の降る七月のことだった。


 夏休みに入る三日前。涼太はいつものように学校で授業を受けると、部活に行くことも、友人と寄り道をすることもなく一人で帰路に着く。

 学校から家までは約二十分。十五時十五分に帰りのホームルームが終わり、学校を出たのが十五時十八分だから、四十分くらいには家に着くだろう。

 涼太の住む岬ヶ崎みさきがさき町は、喧騒とはかけ離れた落ち着いた雰囲気の郊外だから、こうしてゆっくりと町中を歩くのは嫌いではなかった。


 家と学校の、ちょうど中間地点辺りにある公園が目に入ってきた。その公園は普段、小さな子どもとその親で賑わっているが、今日は傘を差していても心許ないほどの大雨で静まり返っている。


 だから、その公園のベンチで傘も差さずに佇んでいる人間を不審者だと思うのは、全くもって自然なことと言えるだろう。誰もが急いで家路につく中、その人間は何をすることもなくベンチに腰かけていた。


 遠目から見てもその顔色は青白く、下手をすれば風邪をひきかねないだろう。いや、既に風邪をひいていてもおかしくない顔色の悪さだ。


(あからさまに不審者だよな、あれ)


 涼太が目を凝らすと、その人間は自分と同じくらいの年齢の顔立ちの整った少女だということが読み取れる。

 少女は見たところ、どこかの学校の生徒かとも考えたが、制服を着ているというわけでもない。小綺麗なシャツに黒のスカートを身にまとっているから、家出少女なのかもしれない。


 こういうのは自分が首を突っ込んでも仕方ないから、関わらないというのが最善の選択だ。そう考えた涼太は、少女のいる公園を通り過ぎようとして──くるっときびすを返した。


 さすがに見かけてしまったからには良心が痛む。だから一つ傘でもあげようと思ったのだ。


「なにしてるんだ、こんな雨の中で」


 あくまでも心配で声をかけた、という口調で涼太は声をかける。ナンパだと思われるのは心外だったからだ。声を掛けられたことに驚いたのか、大きく見開かれた瞳が涼太を見る。


 遠目で見た時から顔立ちが整っていることは分かっていたが、少女の容姿はそうと分かっていても驚いてしまうくらいには綺麗なものだった。


 腰まで伸びている艶のある薄い濡羽ぬれば色のストレートヘアーに、同じ色を持った大きくて穏やかな、だけど少し弱弱しさを兼ね備えている瞳。

 その下には細い鼻梁びりょうと、ふっくらと、しかし主張しすぎていない桜色の薄い唇がある。

 その全てが綺麗に整えられており、まるで精密に作られた物のようだ。


 天使、みたいだ。


 涼太は実際に天使を見たことはなく、これはあくまでも比喩に過ぎないが、少女を見て思ったことはそれだった。

 決して彼女の容姿に惹かれて声を掛けたわけではないが、そう思われても仕方ないと納得してしまうくらいには、少女の見た目は整っている。


 この大雨も、ベンチも、傘を差していないという異常事態も、彼女という一枚の絵画のために描かれた背景のようだ。

 

「……あなたは?」


 透き通った少し高めの声が、涼太に投げかけられる。その声は警戒心むき出しというよりも、捨てられた猫のようなか細い声だった。

 だがそれよりも、少女の声があまりにも透明感を持った声だから、涼太は今にでも少女が消えてしまいそうな錯覚に陥る。

 数秒間その言葉を自分の中で咀嚼そしゃくして、やっと自分の身元を聞かれていると理解できた涼太はようやく返事を返すことができた。


「……俺は近くの岬ヶ崎高校に通ってる、桐川涼太。植物の桐に川、涼しいに太郎の太で桐川涼太きりかわすずた。今は下校中で、雨の中公園で傘も差していない不審者に声を掛けているところだ。そっちは?」

「私は……」


 ぐっと彼女が口ごもる。やはり何かしらの事情を持っているらしい。

 こんなこと聞くつもりはなかったのに、成り行きでこうなってしまったことに今更ながら少しだけ後悔した。

 やはりここは傘を押し付けるように渡して、とっとと帰るしかない。


「あ、いや、なんでもない。やっぱり何も言わなくていいからこの傘だけ――」


「私は、天使です」


「……は?」


 何言ってんだこいつ?


 想像していた答えとは百八十度違う答えが返ってきた。だから思わずそんな暴言を口にしそうになって、涼太はぎゅっと唇に力を入れる。

 二人の間の空気がしんと静まり返った。

 

(いや、確かに天使のような見た目をしているが)


「まあ確かに、見た目は天使みたいに整っていると思うけど。それは俺に言うことじゃないというか、そもそも俺は身元が何であるかという質問をしたわけで――」

「だから、天使なんです。身元が。決して私の容姿のことではなく……」


 少女はふざけているわけでも、涼太を揶揄っているという顔でもなかった。ただ真剣にまっすぐと涼太の目を見てそう言ったのだ。


「私と何の関わりもないあなたにお願いするのは図々しいって分かっています。だけど――」


 少女は何かを決意したような、そんな目で涼太を見た。おせっかいにも、雨の中少女に声を掛けた涼太には、目を逸らすことなんてことができるはずもなかった。


「私を、家に置いていただけませんか」


 どうやら、天使のような見た目の少女は本当に天使らしい。

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