ライラの図書館〜認識されない少女と真面目騎士。一冊の原書を探す禁忌の旅〜

紳士やつはし

目が合った

第1話 魔術師騒ぎ

 立ち寄った街で、ライラは本を見つけた。

 それがライラの探しているモノと違うのは明らかだったが、ただ本というだけでも、ライラの視線を惹きつけるには十分だった。

 さて、詳細を語る前にまずは便宜上、この場所について述べておく。

 そこは、大きな市場だった。ゼルベ州名物の大市場通りだ。商会役場と集会所の間に位置するこの場所は、通りでなく広場とも呼べるほどの面積を有しており、そこにずらりと並ぶ色とりどりの出店でみせと、行き交う大勢の人々の活気や明るさは実に見事だ。故に、昼の眩い太陽が、赤茶色がかった街並みにもよく映えていた。

 ライラが本を見つけたのは、その大市場通りの奥側にあった一つの店だ。カウンターの脇に一冊だけ、大層な見た目の本が置かれていた。その店は雑貨屋らしかった。周りと比べてかなり繁盛している様子だったが、それでも本はかなりの貴重品なため、たかが出店の一つにそうやって並べられているだけでも違和感があった。

 しかし、それが本である限り、ライラは好奇心を捨てきれない。ライラの持つ資金では購入なんて冗談にもならないが、とにかくその店を囲う集団に参入するべく、纏った深緑のマントを両手でしっかりと引き寄せた。

 小柄で華奢なライラは、参入した瞬間にもみくちゃになった。人々にはライラの姿など見えていない。人間の波に飲まれて圧死しそうになりつつ、少しずつ波とともに前に進む、とは言え、元からライラがこうして参入する意味は一切なく、横入りしたって誰も文句は言わないのだが。

 やっとカウンターの前に来ると、ライラは頑張って体をずらし、本を目の前に捉えた。

 店主は中年ちょっと前の男性で、心地のいい調子の声で客とやりとりをしている。本は試し読み自由のようだったが、当然ながら、これだけ人がいようと本に手を出す人間はいない。

 ライラはぐっと上に手を伸ばして、本を手に取った。盗難防止用の鎖が音を出したが、群衆も店主も、ライラを見たりはしなかった。

 ライラは人の波が生む圧力に耐えながら、天体観測でもするみたいな姿勢で本を開いた。

 そして開いた瞬間に本のタイトルを察した。

「聖典」

 聖典。

 政治と裏で深く結びつき、実質的に大陸を支配する鐘塔しょうとう教会、その教えを記した書物。

 ライラも大変よく知っている書物だ。

 適当に開いたページには、こんなことが書いてあった。


『そして管理者たちは、それぞれが持つ性質に従って対立し、争いを始めた。この戦いに勝利を収められたお方こそが、我々が尊ぶべき〈主〉である。

 〈主〉は世界を管理する権利を獲得なさると、我々人類から魔性アヴァリウムの穢れを取り除き、神聖なる人性ソムニウムで満たしてくださった。

 しかし、人間にはいまだに僅かな魔性アヴァリウムが残されている。原因は、滅ぶべき〈主〉のかたき、その生き残りがこの世に存在するからであり、そのせいで人は迷い、苦しみ、魔術師へと堕ち、時に醜い獣のように変貌する。

 故に私たちは、魔性アヴァリウムとその元凶たる憎き敵を、決して許してはならない』


 ライラは一瞬でそこだけ読むと、静かに目を瞑った。本を読んで癒されたからではもちろん無いし、長旅と人混みに疲れたからというわけでもなかった。

 周囲の喧騒が、ライラの耳にすんなりと入り込む。

 石材と靴底が擦れる音。市場通りの商談や呼び込みの声。遠くの方からは闘技場の歓声。もう少し遠くからは鳥の声が聞こえた。

 ライラは聖典をカウンターに戻した。

 それから、頑張って人混みにもぐり、脱出を図る。他人は絶対にライラを避けたりしないため、人混みはライラにとっては危険だ。しかしライラは構わずもぐる。

 溺れそうになりながらも、やっとの思いで抜け出して、ライラは大きく息をつく。それから、マントについたホコリを払った。

 そして顔を上げた時、違和感に気づいた。

 通行人を含め、その場のほぼ全員が同じ方向を見ていることにライラは気づいた。その方向は、ライラのすぐ目の前。今しがた本を試し読みした店の方だった。

「貴様が魔術師だな」

 人々はざわつき、例外なく不安げな顔を浮かべる。

 店の周りに集っていた人々が一斉にはけた。ライラもそれに従って距離を取る。

 ぽっかり空いた空間に視線が集まり、その場所には、三人と一人だけがいた。

「連れて行け」

 後ろの二人にそう指示するのは白いサーコートを着た男。前部にある紋章は鐘塔教会の官吏かんりであることを意味している。

 後ろにいた二人が前に出る。黒いサーコートと軽装の鎧という姿で、腰には直剣をぶら下げている。

「ち、違う! 私は————」

 たじろぐ男性は、茶色の貫頭衣チュニックを着た一見普通の男性。先ほどの店の店主だ。あっけなく二人に両腕を掴まれている。

 ライラはその店主の姿を見て、小さく息を吐いた。つまり本当に彼が魔術師なのか否か分かったということだが、実際のところそんなのは些細なことだった。もう店主の運命は決まってしまった。

「私は魔術師ではありません!」それでも店主は続けた。官吏の男に向けて必死に訴えかける。「私はただの商人です! たった今も商いをしていただけで……妻と子が居ます……お願いです、正当なご判断を————」

 だが、返されたのは拳だった。

 店主はよろけて尻餅をついた。口の端に血が滲む。

 官吏の男が言った。

「こやつは魔術師だ。主がそう告げられたのだ。そうでなければ、こやつの店だけ異常な利益をあげている説明がつかん」

 まるで、群衆に向けて説明するかのようだった。

 ライラは人々の視線を見渡した。それらはさっきまでの不安にまみれた視線から一変していた。

 敵を見る目だった。

「そんな……あんまりです……私は今まで精一杯教会に尽くしてきたのに!」

 立ち上がろうとする抵抗意思の顔面に、さらにもう一発。

 店主は倒れ伏した。続けて、横たわった腹に一撃。

 群衆は沸いた。

「殺せ!」

「人間に紛れていた報いだ!」

「魔術師を許すな!」

 ライラは店主に視線を残しながらも踵を返した。そして目を一度瞑ってから、もう店主を見るのはやめて、群衆の視線とは反対方向に歩き始めた。

 一つの方向を見つめる集団の間を異質な少女が縫い、立ち去っていく。でも誰もライラのことを見たりしなかったし、ライラも遠くの地面だけを見ていた。

 殴られた店主は、倒れたまま血液まじりの呼吸をしていた。官吏の男はその胸ぐらをつかんで起こした。

「私の言葉がまだ不満かな?」

 ひどく無感情な声だ。

 店主はゆっくりと官吏に目を合わせる。抵抗の意思は、明らかに燃え続けていた。

 官吏は鼻で笑い、拳を振り上げる。店主の両脇に立っていた二人はその様子を黙って見ていたが、

「なんのつもりだ」

 一人が耐えられなくなり、官吏の腕をつかんで止めた。官吏から圧をたっぷりと込めた言葉が贈られる。

 掴んだのは灰色の髪の青年だった。もう一人は強そうな女上司で、

「おいよせ!」と言葉で制するが、灰の髪の青年は手を離さない。青年の瞳は揺れていた。官吏の方が青年の手を振り払う。

 青年は拳を握りしめ、店主を庇うように腕を伸ばして言った。

「それ以上は、やめてください」その言葉を聞くと、歩いていたライラは少し上に瞳を向けた。でも歩みは止めなかった。

「なぜだ。貴様に指図されなければならない理由はなんだ」

「彼が魔術師だという確証はありません!」

 一瞬、場が静まり返った。官吏は軽蔑の真顔、女上司は目を見開き、群衆はわけがわからないと言うようにこぞって口を開けた。全て、至って当然な反応である。

 しかし、殴られた店主だけは明らかに異質な反応を示した。

 彼は数秒間驚きを示した後、拳を握り締めて眉間に皺を寄せ、歯を食いしばった。それは人が怒っている時に示す反応だった。

 店主のことを見ていなかった官吏は、青年を睨む。

「騎士風情が教会に歯向かうか」それから青年に一歩寄り、汗のにじむ顔をまじまじと見た。「ほう、さては貴様、どっかの武闘大会で群衆を沸かせた例の若造だな?」

 青年も官吏を睨み返した。睨むという行動でもって、自らが犯した馬鹿な行動の是非を、一瞬だけ忘れた。声が震えるのを抑えながら、青年は言った。

断罪官イウデクスじゃないあなたは、魔術師の断定なんてできないはずです。貴方がやっているのはただの暴力だ」

 言った後で、今度は手先が震えた。震えの理由は、恐怖や怒りではない。彼は自分が何をしているのかわからなかった。彼は耐えるつもりだった。束の間の正義感よりも大切な正義が彼にはあったから。それは帝国騎士団という立場である。しかし、彼はその大切な正義に反する行動をしていた。

「ほう」

 官吏が言った。凍えるような視線だった。女上司が仲介のために声をあげる。

 だが、

「ちがう」

 先に声を発したのは店主だった。

「ちがう。ちがう。論点がちがう」

 店主はその場に座し、ぼうっと前を見ていた。全員が店主を見た。様子が豹変していたからだ。

 まるで宣教師が教えを説くように、店主は言葉を並べていった。

「魔術師かどうかではない。前提がおかしい。私たちは悪魔などではない。お前たちは」

 言葉がぷつりと途切れた。店主の顔を見た青年が、一歩後ずさる。店主は、怨嗟や怒りをふんだんに込めた視線で、前方の何もない一点を見つめていた。

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