旅人と化け犬

「おい、アイツ遅くねぇか」

「そうかな、そんなことないんじゃないかい」


 低い声で唸るその相手にカダルはのんびりとした口調で返す。

 カダルが視線を向ける先には白い犬が一匹いた。人の知能と言葉を持ち、体長は優に三メートルを超える、それ以外は他の犬と何も変わらない、ただの白い犬が一匹。

 その犬はくすんで真っ白とは言えなくなった毛を揺らしながら、同じ場所を何度も行ったり来たりと往復している。


「少しは落ち着いたらどうだい、クオウ」


 カダルは宥めるようその犬――クオウに声を掛ける。

 彼は時折こうして二人の旅に同行する友だ。そして今は二匹で人目に付かない森の中から近くの町へと旅道具の買い出しに行ったノーマッドの帰りを待っていた。

 クオウは人の知能と言葉を持ち体長は優に三メートルを超えているだけのただの犬だが、それでもその姿は人が普段目にする犬の姿とは異なり、見る者には驚きと恐怖を与えることもあれば在らぬ誤解を受けてしまうこともある。

 クオウはそのことを考え、極力人の目に触れることを避けた。ノーマッドも彼との旅を楽しむ間は人目に付かない道を選び、ノーマッドが人里を訪れるとき彼は身を隠せる場所でひっそりとその帰りを待っていた。


「遅ぇな、大丈夫なのかアイツ」


 ノーマッドの帰りをこうして待つことも珍しいことでもないが、それでもクオウは毎度そわそわと落ち着かない様子で辺りをうろうろとした。カダルにとってもこの光景は見慣れたものらしく、クオウを落ち着かせる言葉を掛けることを早々にやめた。

 彼は少し心配症だった。ノーマッドの帰りがいつもより少しでも遅くなれば、このようにいつも以上に大きく辺りを行ったり来たり繰り返す。何かあったんじゃないか、と幾度も口にする。アイツ、しっかりしてるようで結構抜けてるところあるからな、とため息をつく。

 しかしそれも全部、ノーマッドのことが本当に大切だからだということをカダルは知っていた。


「!」


 ひくり。とクオウの鼻が動いた。

 待ち人の匂いがする。そう頭に過るより先に彼の足は地面を蹴っていた。

 白い毛をびゅんと靡かせてからそう経たず、足が赴く先からは人影が見える。


「ただいま」


 両腕を広げているノーマッドが見える。

 クオウはそのままその腕の中に勢いよく飛び込む。ノーマッドは少しよろけて倒れそうになりながらも、その勢いに耐えクオウを抱き留める。白い毛はその腕の中に収まりきらずはみ出た。ノーマッドはくすぐったそうに身を捩りながらも、大きく広げた腕でクオウの背を撫でた。


「遅ぇじゃねぇか、何してたんだ」

「あはは、ごめんごめん」


 ぶっきら棒な言葉とは裏腹に、クオウの尾は勢いよく揺れていた。彼の尾はいつでも素直だ。

 オレは上手く言葉で伝えることができないけどよ、その分はこの尻尾が補ってくれるから便利なもんだな。彼がそんなことを言っていたのをカダルは思い出す、彼自身もとても素直で純粋だ。


「また寄り道してたのかい?」


 クオウとじゃれ合うノーマッドの肩にカダルが止まる、するとノーマッドは舌をちろりと出しながら「えへへ」とイタズラがバレた子供のように笑った。

 ノーマッドは一旦クオウから離れ、少し距離をおいてから背中に抱えていたものを取り出す。


「これ買ってたの」


 ノーマッドが取り出したのは傘だった。黒く染められた太い竹の骨に、鮮やかな朱色をした和紙が張っている番傘だった。

 ノーマッドがその傘をバッと広げると、クオウがその音と動作に驚いたのか反射的に身構える。びっくりしちゃった?と笑いながら傘を差しくるくると回す、鮮やかな朱の中には小さく白い花がいくつも散りばめられていた。


「いっぱい色や柄があってどれにしようか悩んじゃった」


 悩んだかいあって気に入ったものが買えたのかノーマッドは満足気な笑顔を見せる。

 「人の気も知らないで」とクオウはぼやきたくもなったが、ノーマッドの綻ぶ顔を見ているとそんな気も失せた。やれやれとため息をつく。


「似合ってるぜ」


 クオウがそう言うとノーマッドは「ほんと?」とまた顔を綻ばせた。

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