とあるロボットの話

 緑が消え建物だった灰色の塊が並ぶその街は今日も砂埃が舞っていた。

 大きな戦争があった、世界中を巻き込んだ大きな戦争だった。様々な兵器が投入され争いは止むことなく加速を続け、そんな争いも終結を迎えたかと思った時にはこの星から生命が消えていただけだった。

 生物という生物が死に絶えた世界、そこに残されたのは栄えた文明の残骸だけだった。


 キュラキュラキュラ。


 キャタピラの走行音が響く。

 人も動物も植物もいなくなってしまった街の中、朽ち果てあちこちがボロボロと崩れている道を一機のロボットが進む。

 

 残された文明の残骸のひとつに、ロボットたちがいた。


 そのほとんどは人がいなくなった際に活動を停止し無造作にその辺りに転がっているものが多い。人がいなくなったこの世界では誰もロボット達に燃料補給をしないし整備を行わないし働くことを命令することもない。街には燃料切れ、故障により稼働停止しているロボットで溢れている。

 だが中には自らメンテナンスを行い稼働し続けているものもあった。人がいなくなった今でもプログラムに残された命令に従順に従っているのだ。


「どこカシラ?どこカシラ?」


 ただ、そのロボットは違った。

 足として取り付けられたキャタピラで前進し、声を発しながら頭をくるくると回転させ周囲を見回す。

 そのロボットの本来の役目は「子守」であったが、今はその命令を出す人間はもちろん子守をする相手すらいない。

 大抵のロボットは命令がなければ自ら電源を落とし稼働停止すると次に命令をもらうその時までスリープモードに入る。――人のいなくなった現在、スリープモードに入るということはロボットたちにとっても永遠の眠りを意味するが。

 しかしこの子守ロボットには命令はなくとも目的があり、眠りにつくわけにはいかなかった。


 子守ロボットは何か探しているようで、頭に付いた双眼鏡のような眼球ユニットをキュルキュルと回す。


「こっちにもナイ。あっちにもナイ。どこに行ったのカシラ、ワタシの"ココロ"」


 子守ロボットは無くしてしまった心を探していた。

 比喩ではなく、どこかに落としてしまったのだ、心を。


「大事なものなのヨ。お嬢様につくってもらったのヨ」


 その心は薄い桃色のフェルトで作られている。中には柔らかい綿がいっぱいに詰められていて、見た目は真ん丸なハートの形、細いゴムチューブが通され首に掛けられるようになっている。

 戦争が起こる前、仕えていたいた家の一人娘、子守ロボットの主人である少女が作ってくれたものだった。


「あなたに心をあげる。これで嬉しいことも楽しいことも一緒よ」


 子守ロボットのメモリーにはその時の少女の笑った顔がいつまでも残っていた。

 子守ロボットは動きを止め、少しだけ自分の中の少女とのメモリーを遡り始めた。


 アレはお嬢様にはじめてプレゼントをもらった日。

 お嬢様はワタシにリボンをくれたワ。可愛いと言って頭に付けてくれたの。

 「嬉しい?」って聞かれたのだけど、ワタシは「ワカラナイ」と答えたワ。だってあのときのワタシにはまだココロがなかったんだモノ。

 そうしたらお嬢様がつくってくれたの、ワタシのココロを。

 ワタシはあの日から「嬉しい」も「楽しい」もワカルようになったワ、ココロをもらったカラ。


「でも、今のワタシにはココロがないから何もワカラナイのヨ」


 ココロがないと何もワカラナイ、いつまで経ってもお嬢様とお別れできないワ。


 子守ロボットは心の捜索を再開する。

 キュラキュラとキャタピラを回しきょろきょろと辺りを見回しながら、その音に連動させるかのように内蔵されたメモリーを早送りで再生する。

 映し出したのは少女との最期の日だった。

 ある日突然大きな戦争がやってきた。街には爆弾が落とされた、四方から聴こえる悲鳴と衝撃に街は包まれた。必死に逃げ惑う人々を記憶している。

 少女は逃げなかった。いや逃げられなかった、そうする前にその短い生涯を終えてしまった。小さな体がぴくりとも動かなくなってしまったことを記憶している。


「お別れは『悲しい』『寂しい』のよネ」


 子守ロボットは少女のいなくなった今でもその現実をうまく実感できないでいる。別れというものが理解できなかった。それはきっと悲しいのも寂しいのも感じないからだと思った。

 あの日、子守ロボットは少女からもらった心をどこかに落としてしまったのだ。

 砲火の衝撃でどこかにいってしまったらしい。このまま悲しいも寂しいも感じられなかったら少女としっかりとお別れができない、子守ロボットはそう考え心の捜索を始めた。


「お別れのときはちゃんと『サヨナラ』を言うのヨ」


 少女の言っていたことを真似して発する。

 そう、お別れするときはサヨナラしなくてはいけない、でも今の自分ではそれができない、だから早く心を探さなくては。

 ふと子守ロボットは「お別れしたあとはどうすればいいのだろう」と考えた。自分は命令されたこと以外のことはできない、心を見つけ少女の言いつけを達成したあとはどうすればいいのだろう。

 しかし、きっとそれは杞憂だなと思いすぐに考えるのをやめた。心さえ見つけられればそのあとのことはどうとでもなるだろう、心があればなんだってできるのだ。


 子守ロボットが足を進めていくと建物の残骸が大きな山となり邪魔をした。

 もしかしたら向こう側に心が落ちているかもしれない。そう考えると子守りロボットはキャタピラでその不安定な山を登り進み始める。順調に、少しずつ、確実に、登っていく。が途中で急になった斜面に面し、どこか引っ掛けてしまったらしくキャタピラはキュラキュラと音を立てるだけで進まなくなる。


「進んでヨ」


 子守ロボットはキャタピラの回す速度を上げる、回転に合わせてキュラキュラキュラと走行音も加速する。そうしていると、一瞬、前に進んだ。かと思ったその矢先、ぐらりと子守ロボットの体は傾きそのまま後ろに転がり落ちた。大きな音を立てる。


「ヤダヤダ、起きられない」


 転がり落ちた子守ロボットはそのまま地面に傾いたまま倒れた。キャタピラは宙に向かってキュラキュラと空回り身動きが取れない、腕を振り回し体勢を整えようとするが上手く起き上がることもできない。

 じたばたと暴れることを繰り返す、と、ふと視界に何かが入り、子守ロボットはぴたりと動きを止めた。キュルキュルと目を回す、子守ロボットに表情があれば、きっと今驚いた顔をしていただろう。


「――ワタシのココロ……」


 子守ロボットはやっとのことで声を発する。

 子守りロボットの目の前には薄い桃色をしたハートが、少女にもらった大切な心が落ちていた。

 こんなところに。子守ロボットは手を伸ばす、と、よく見ればハートにはゴムチューブが付けられ、さらによく見ればそれはしっかりと自分の首に掛けられていた。

 ……子守ロボットの探していた心は、実はずっとすぐそばにあった。なんとしっかりと首に掛かっていたのだ。ただし、子守ロボットの視界に入らない、子守ロボットの背面側に。

 戦争の最中、何かの拍子で胸元の心は背後にへと回ってしまったらしい。子守ロボットには感触が伝わらないので察知できず、またそのことを教えてくれるものも誰もいないので気付けないままでいた。


「……ウソヨ」


 探し求めていた心を見つけられた子守ロボットには、喜びも達成感も見られなかった。

 子守ロボットはただ悲鳴のような声を発する。


「ウソヨ、ウソヨウソヨ!だってワタシは何もワカラナイまま!『嬉しい』も『楽しい』も『悲しい』も『寂しい』も何も!ずっとココロはワタシが持っていたのに、こんなのオカシイワ!」


 オカシイ、オカシイ、オカシイ。

 子守ロボットは叫ぶように言葉にならないような音を発しながら、宙に向いたままのキャタピラをキュラキュラと乱暴に回した。辺りには子守りロボットの悲鳴がこだまする。

 心は今までずっと自分のそばにあったんだ、それなのに自分は何も感じない、少女との別れに寂しいも悲しいも感じない、こんなのはおかしい、自分が今まであると信じていた『感情』はなんだったのか、全部偽物だったのか。

 子守ロボットは少女にもらった心を抱き寄せた。


「チガウ、ワタシは確かに嬉しかったの、楽しかったの、お嬢様といるときはいつだっていろんな気持ちでイッパイだったの、いつだって……」


 ぴたりと子守ロボットは動きを止める。

 ――ああそうか。

 気付いてしまった、自分が今大事に抱いているこれは心なんかではなかったのだ。

 首に掛かっているそれを手に取り両端から強く引っ張ってみる。ピリピリと音がして布が裂け、中からは綿が飛び出した。

 そうだこれは心を模したただの布と綿だ、こんなもので心が作れるわけがない、これが心のわけがない。

 気付いてしまった、これは本物の心ではないことを。


「コレはワタシのココロじゃなかったのネ」


 子守ロボットはどこか力が抜けたように発する。

 探しても探しても見つからないはずだった、心なんて無かったのだから、失くなってしまったのだから。


「ワタシのココロは、お嬢様が持っていたのネ」


 ソウヨネ、ソウだったのネ。子守ロボットは破れたハートを見つめながら納得したように発する。

 これは本物の心ではないけれど、少女といるときに感じたあの『感情』というものは確かに本物だった、子守ロボットはそう確信している。

 嬉しいも楽しいも少女といるときには確かに感じたのだ、ちがう、少女といるときにしか感じなかったのだ、少女が子守ロボットの心を持っていたのだ、そうに違いない。


「お嬢様がいなくなったカラ、ワタシにはココロがなくなってしまたのネ」


 少女のいない今、子守ロボットには嬉しいも楽しいも、悲しいも寂しいも何もわからなかった。

 子守ロボットはキュルキュルと目を閉じる。傾いて地面に転がったまま動きを止めた。手からはぽとりと破れたハートが零れ落ちる。


 子守ロボットにはもう命令も目的も全てなくなったので、そのまま電源を落とし、稼働停止するとスリープモードに入った。

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